相変わらずのつれづれ日記
★8月7日(木) 映画「イルマーレ」
6日の部分に書き忘れていた・・・。
広島に原爆が落ちた日。
もう二度と、あんなことがないように、世界の平和を心から祈る。
さて、午前中、家事とブログ。
午後はDVDで『イルマーレ』という映画を見る。主演はキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック。手紙の交換によって心の交流を深めていく・・・というのが、奥ゆかしくてよかった。どうにもならない時間のすれ違いは、歯がゆくてじれったくて・・・。ハッピーエンドに、「ほっ」とした。
<メニュー>
・カレーライス
・サラダ
★8月8日(金) 「北京オリンピック開幕」
日曜の読書会に向けて、読書、読書。(徳田秋声『仮装人物』)
本の内容は相変わらず鬱々、ダラダラとしていて、読むのに時間がかかるが、旧仮名遣いにもだいぶ慣れてきた。
読めば読むほど、徳田秋声に対し、嫌なねちっこい小人物という印象が積み重なってしまう。
「何とか、良いと思えるところを見つけたいなぁ・・・。」と思いながら読む。
夜は、9時から北京オリンピックの開会式を、空(夫)に付き合って見てしまう。
ひねくれ者(?)の私は、
「国家の威信をかけての大々的行事を、世界みんなで大盛り上がりしてバンザイしながら見よう!」
というようなことに対し、なぜだか不思議と軽い反発心を覚えるので・・・。
(昔ブルーハーツのファンだったから、反骨、反体制のパンク魂が養われたせい?)
オリンピックに対しても、正直言ってどこか一歩冷めた感じでいたため、
「あー、オリンピックが始まるのね。
それにしても、四川大地震の被害者は今どうなっているの?
チベット問題はどうなるの?
あんまりスポーツは興味ないけれど、でも、参加する選手たちは本当に努力してきた人ばかり。
どこの国の人も、みんなみんなえらいなぁ・・・。
見る側は、どの国の人も、自分の国ばっかり応援しなくても・・・。」
というぐらいだったけれど・・・。
結果は。
仕事に疲れていた空は、開会式の開始15分後にはソファーで
「ぐ~・・・・・。」
と眠ってしまい、一方の私は最後まで、食い入るようにジ~~~~~っとテレビを見つめ続けてしまった。
それは、やっぱり、開会式の演出をおこなった、チャン・イーモウ監督の芸術的感性の圧倒的すごさのためと、中国という国の持つ「人間」と「歴史」と「伸びゆこうとするエネルギー」の力だと思う。
もともと私は、チャン・イーモウの映画『初恋のきた道』の大ファンだ。
(わたしにとってはベストワンかもしれない。)
『HERO』も、『LOVERS』も、素晴らしかった。
この開会式(特に前半)は、彼のずばぬけた美意識の高さや、独特の色彩感覚の豊かさが遺憾なく発揮された、前人未踏・前代未聞の、ものすごいショーだったと思う。
いったい、他のどこの国で、あれだけの人数を一糸乱れぬ美しい群舞に仕上げることができるのか。
千人はいようかという大勢の人が、そろって太鼓を叩く腕の上げ下げの美しさ。
これまた同じく大勢の人が、孔子の言葉を繰り返しながら、竹でできた巻物を鳴らす、その音の大きなまとまり。
大きなオールをそろって波のように、海のように、舟のように動かしながら、自由自在に移動してゆく、その列の並びの美しさ。
コンピューター制御された機械で動いているかのような活版印刷の文字版ひとつひとつの下に、あれほどの人数の人間が隠れていることを、見ている側は予想できただろうか。
ショーの総出演数は、いったい何人ほどだったんだろう・・・・。
あれだけの数の人間が、衣装を身につけ、会場に出入りするためだけでも、そうとうの準備スペースがいるはず。
これだけのものを、たったこの日一日だけのために仕上げるべく、あの大人数が、どこでどう、どれほどの時間をかけて練習してきたのか・・・それはもう、想像を絶する世界だ。
・・・などなどと思うと、中国という国の持つ底力(それは「人間」というものの力)が、空恐ろしくなってくるほどだ。
「世界一、人口の多い国は中国」。
概念としては知っていたけれど、それをあらためて目の前につきつけられ思い知らされた。
次の日、ニュースキャスターが、
「今、あれだけのそろったショーをおこなえるのは、世界でも中国と北朝鮮ぐらいだろう。」
と言っていたけれど、なるほど、そうかもしれないと思った。
その、国そのものの持つ統制力と、チャン・イーモウという天才の感性が組み合わさると、あんなすごいことになるのか・・・と、感動をとおりこし、圧倒され、色々と考えさせられてしまった。
あの開会式が、北朝鮮のマスゲームのような不自然で俗悪な、思わず目をそむけたくなるようなものになることを(ギリギリ?)まぬがれたのは、ひとえにチャン・イーモウという天才の美的感性のなせる技だろう。
(最後の、子供がリュックサック背負ってスキップして絵を描く「世界はひとつ」的なメッセージの部分は、それ以前の部分と見比べてキッチュで、不必要だったように感じた。)
そのすごいショーのあとは、延々と続く、240の国と地域から来た選手の入場行進。
世界には、聞いたこともなかったようなさまざまな国があるものだなぁ・・・と、あらためて感じる。
たった一人しか選手の参加しない(できない?)国もあれば、数百人の選手が参加する国まである。
それぞれの国の、政治的、経済的事情が透けて見えてくる。
今、なお、戦火の途絶えない国。
貧しさにあえぎ、死んでいく人のたくさんいる国。
あるアフリカの水泳選手は、「国に50メートルプールがないから、18メートルのプールで練習して、このオリンピックにきた。」という。
世界には、歴然とした「格差」がある。
オリンピックは、「参加することに意義がある」という。
(F協会の、S公演みたいに?笑)
「スポーツ選手を育てることすら困難な国が世界にはまだまだたくさんあるんだ」
ということを、私に、そして開会式を見る世界の大勢の人々に教えてくれただけでも、小さな国から来た選手らには大きな役目があったのだろうと思う。
「どうぞ頑張って・・・!」と、心の中でエール。
そんな「平和の祭典」と呼ばれる大イベントが始まった日に、ソビエトがグルジアを軍事侵攻。
なんでそんなに、愚かなんだろう。
悲しい。
<メニュー>
・チンジャオロース (ピーマンは両親が家庭菜園で作ったもの。新鮮で美味しい。)
・グリーンサラダ (レタス・きゅうり・トマトでオーソドックスに。)
・かぼちゃサラダ (つぶしたかぼちゃとタマネギ、マヨネーズにレモン汁。お気に入り。)
・ナスのみそ汁
・白いごはん
★8月9日(土) 本棚・とんかつ
安く購入した本棚が壊れてしまった。
しかたなく床に積み重ねられた本の置き場がなく困っていたので、空(夫)とホームセンターへ行き、さんざん悩んで、結局クギだけ購入。80円なり。
午前中は本棚の修理。
空が上手に直してくれた。
うれしい。
クギをカナヅチで打つと、思った以上に、ガンガンと大きな音がする。
「きっとクギを打つ音が、下の階の人に迷惑だよね~。」
と言うと、空はサッと立ち上がって、
「ひとこと、挨拶してくるよ。」
と気軽に言う。
あわてて買い置きのクッキーを持って行ってもらう。
「どうだった?」
「うん、『本棚が壊れてしまって、修理に30分ぐらいかかりそうです。すこしうるさいと思いますが、すぐ終わらせますので・・・。ご迷惑おかけしてスミマセン。』って言ったら、こころよく『ぜんぜんいいですよ~。』って言ってくれたよ。クッキーも、『気を遣わなくていいですよ。』っていわれたけど、無理やり置いてきた。」
「よかったー。ひとこと挨拶するのとしないのとでは、ぜんぜん違うよね。」
「うん、下の階の人も、『本棚の修理ね。30分で終わるのね。』って事情や時間が分かっていれば、何も分からないままにうるさくされるよりも、納得してくれやすいと思う。」
「そういうの、大事だよねー。」
挨拶に行ってくれてホント、良かったなぁ、と思う。
この日は、私の実家に、妹が、もうすぐ2歳になるヒロ君(おいっ子)を連れて遊びに来たので、私たち二人も夕食をごちそうになりに行く。
空のリクエストで、父がトンカツを揚げてくれた。
私は、うちでは油の始末やにおいが付くのがイヤなので、揚げ物をしない・・・と決めてしまっているので、天ぷらやトンカツは「実家メニュー」だ。
いつも本当にありがたい。
(梅宮アンナもテレビで、「お魚焼くと匂いがイヤだから、お魚を食べたくなると、パパのところに行くの。」と言っていた。それを聞いていて、まるで親に甘えたわが身を写して見せられているようで、赤面した。)
ヒロ君は、サイコーの笑顔で迎えてくれる。
その笑顔と、プクッとしたほっぺを見ると、とろける~♪
会うたびに、できることが少しずつ増え、確実に成長している。
<メニュー>
実家で美味しいトンカツとサラダ。
枝豆、トウモロコシ、ぶどう。
★8月10日(日) 読書会
大学時代のゼミの仲間と、月に一度ずっと続けてきた読書会の日。
作品は、徳田秋声『仮装人物』。
(本の内容、議論の内容については、また別に書こうと思う。)
私にとって、文学を通じてたくさんの大切なことを話し合える、かけがえのない仲間。
自分ひとりでは決して選ばないであろう未知の本と出逢うきっかけでもある。
そしていつも、自分ひとりで読んでいては見えてこなかったさまざまなことに、ハッと気づかされ、多くを学ばせてもらえる。
月に一度、こうして会って、ひとつのことについて話し合える仲間がいることを、本当に嬉しく思う。
ベビィが生まれても、できるかぎり長く、長~く、参加し続けたい。
電車に乗って一人で出かけるのは、体調的にちょっとしんどい。
お腹もだいぶ大きくなってきたし、相変わらず貧血ギミ。
人混みのなかでは、無意識のうちにお腹を手でかばっている自分に気付く。
乗ったところがたまたまシルバーシートの前だったけれど、妊婦に席を譲る人などいない世の中であることを知る。(そんなものなのだろう。甘えずに強くなろう。)
みんなとたくさん話して、充実した時間を過ごして、さらに食事をして帰る。
本当に行って良かった、楽しかった、と、毎回思う。
同じ会の、兄姉と慕う、優しいSさんNさんご夫妻から、
「もうすぐ誕生日だよね。」
と、バラの形をしたかわいいマドレーヌをいただく。その優しさが本当に嬉しい。
お二人のことは、いつもいつも、「立派な人だなぁ」と、心から思う。(決してお菓子をもらったからではなく。笑)
Sさんが、
「母になる日々の様子を、書いておくといいよ。」
と、アドヴァイスしてくれた。
「書いてますよ~♪」
と嬉しい気持ちで答えながら、あらためて、些細な日常でも、感じたことや考えたことを、とりあえず記録しておこうと思った。
(そこでこうして書いているわけですが・・・。)
Sさんのお言葉によって、
「もう少し詳細に、『妊娠・出産』に焦点を絞って、まとめて書いてみたいなぁ・・・。」
などと考える。
こんなつれづれな・・・とりとめのない駄文も、その時のための下準備ぐらいにはなるかもしれない。
comment
おなかの赤ちゃんと向かえる誕生日、命の大切さを改めて感じますね。
この一年もたくさんの喜びにあふれますように!!
優先席は座るためにあるのよ~~!!
悪阻じゃなくてもけっこうきついもん、遠慮は強さじゃないと思うよ。
はじめはすんごく勇気がいった。
ホームの表示をみて優先席のドアから乗る。
バクバクしながらも皆さんの前に行き、
《こいつは言い訳しようのないヤツだろう》と思われる人に狙いをつける。
そして「すみません…」と低姿勢かつ聞こえる程度の声で言う。
「申し訳ありませんが、妊娠しているので譲ってただけますか?」
これでどかない人はいなかった。
「ありがとうございます。」と丁重にお礼を言い、静かに目を閉じる。
一度、座っているわたしのところに、身なりの良い初老の女性が来て、
堂々と強く、しかし笑顔で「障害があるので譲ってください。」と言った。
わたしは少し動揺したけど、すかさず「わたしも妊娠中なので」としっかりした声で言ったら、
「そうですか」とすぐに次を、という様子。
わたしの声にむしろ他の客が何人か焦ったように反応し、
誰かが自主的にその女性に席を譲っていた。
世の中は甘くない。だからこそ、気持ちよく助け合えるようになるには、
当事者たちが勇気を持って助けを求め、感謝することから始まると思うんだ。
例えば、車椅子で一人で、日常的に電車を利用する若者。ベビーカーを押している2児の母。
黙っていて助けてもらえることはまずないよね。
教育がよければ駅員が飛んでくるけど、ほとんど声をかけなきゃだめ。
車椅子の場合、何時何分に何両目に乗る、と事前に知らせることが求められたりする。
子供の手を引いて駅の階段を降りているだけで、邪魔そうにされる。
車椅子で美術展に行くと、優先的に入場できたり半額になったりしても、
肝心の作品は健常者に埋もれて何も見えない。
人いきれに酔って、「こんなものだよな」と思いながら帰ることになる。
高知の働くママが、「東京の電車には妊婦や子供がいなくてびっくりした!」って言ってた。
首都圏って殺伐としていて弱者に冷たい、というか、無関心、というか、入り込む余地がない気がする。
生活の場とオフィシャル、ビジネスのゾーンが切り離されている印象。実は入り組んでいるのに。
今、妊婦やママや障害者や高齢者(あ、これみんな優先席のマークにあるじゃんね)が
「譲ってください」と言ってもいいよと許可されている場(!)が、たった一つ、優先席なんだよね。
そういや自分が当事者となると、たくさん気づかされることがあるよなあ。
仕事や生活に活かせたら良いなあと思いつつ、
夏ばてのイライラで「近所迷惑」している未熟者のわたしでありました。
とにかくカラダ大事にね~~!
**************************************************
これ、感動します。ほんと、こういうの大事だと思います。
私は田舎育ちなので、近所の人が外に出てなにかしているとすぐにかけよって、あれやこれや立ち話をしたくなってしまう。まわりの人たちもそんな人が多かったです。
でも、東京に出てもう15年、そんな習慣はすっかりなくなり、今では実家に帰省した際も、ひっそりと自宅にこもってネットや仕事をしています。近所で騒がしい声がしても、出て行く気がわきません。。。
まあそんなことはよしとして・・・なにげに、人と意味なくお茶して夜まで話したり、なんでもかんでも何?何?と首をつっこみたい性格は今でもあまり変わっていないのですけれど(笑)
そこに気が回る事、実際に行動する事、それらが出来る人間である事は大変素晴らしいことだと思います。
本棚を買わずに、釘で済ます所も素敵です。
つれづれ日記をずーっと読んでいると空さんてなんて素晴らしい人なんでしょうと思わされます。
さすが、marさんの選んだ(marさんを選んだ?)方ですね。
遅ればせながら、この場をお借りして・・
お誕生日おめでとうございます。
ありがとう!!!
お盆休みのあいだ、パソコンを開く時間を持つことができなくて、お礼を言うのが遅くなってしまって本当にごめんね。
年齢を重ねるごとに、ちゃんと成長して行けたらいいんだけどなぁ・・・(笑)。
MALENAちゃんが言ってくれたように、命を大切に、喜びに満ちた一年を過ごしていけるよう、毎日を丁寧に過ごしたいです。
これからもどうぞよろしくね!!
( ´ー`)⊃⊂(´ー` )アクシュ
誕生日、でした。
いま、まさに、あむあむちゃんとのデートを終えたばかりで、これを書いているところ~(´ー`)ハッハ♪
今日は、さそってもらって、美味しいランチ食べて、と~~~~っても楽しかったよ!!!
こういう急な誘いも大歓迎だよ。
ほんと、ありがとうね!
短時間でも濃密な話ができる、いい友達に恵まれている自分を、幸せ者だなぁと思うよ。
私も、一応かわいいマタニティマークを入手して、ちゃんとバッグにつけているのね。
で、付けていると、そこに書かれた、お腹の赤ちゃんを抱いているようなママの絵と、「おなかにあかちゃんがいます」の小さな文字に、なんだか誇らしいような照れくさいような嬉しい気持ちがあって。
その小さなストラップを付けているだけで、自分ではすごく外にたいして、
「妊婦ですよ~」
とものすごくアピールしているような気がしていたんだけど・・・。
でも、思ったより人って、人を見ていないよね。
(自分も含め。)
マタニティーマークは、意識して見ない限りは、気付くか気付かないか・・・くらいのささやかさだろうし。
知らない人はパッと見てもピンと来ないよね。
私のお腹も、自分ではすご~~~~~く大きくなっているように感じるけれど、他の知らない人からしたら、「たんにお腹周りのふっくらした人・・・。」ぐらいの感じなのかもしれない。
だからこそ逆に自分から声を出して、あむあむちゃんが言ってくれたとおり、自分と赤ちゃんを守るための勇気を、もう少し出しても良かったのかもしれないね。
優先席に座っている人の3分の2は、私から見て、坐るべき人ではないように見えてしまう・・・。
大きいお腹を抱えてつり革につかまる私の前では、二人のギャルが優先席に坐ってどうどうと楽しそうにおしゃべりをしていた・・・。
私は(今までは)、空いていてもシルバーシートには座らないから、どうしてだろうって、単純に思う。
けれど、もしかするとその人たちも、目に見えない、外に現れない病気だったりするのかな。中にはもちろん、そういう人もきっといるよね。
(もしくは、想像力の欠如病?無神経病?にぶい病?自分勝手病?・・・なるべく自分はそうでなければいいなぁ、と思うけれど、やはり、どれだけ周りの人たちに目をきちんと配れているかは自信がないな。)
「自分は妊婦」という自覚がやっとここにきて出てきているけれど、ついつい元気だったときの気分で、立っている私・・・。
ま、たいした距離じゃないし・・・、ちょっとガマンすればいいか・・・。
・・・なんて感じるのも、これまで自分が人一倍元気できてしまって、いまだに自分が優先席該当者だという意識が薄いからかもしれない。
でも、つわり期は、電車に乗れる状態じゃないほどひどかったし、安定期に入ったとは言っても、今でも、お腹が日に日に重くなり、立ちくらみや貧血、腰痛もつらくなってきている。
次は、勇気を出して、「お腹に赤ちゃんがいるので、坐らせていただけませんか。」って言ってみようと思います。
謙虚に、かつ図々しく、そして感謝して。
いつか、そうして譲ってもらったことを、誰かに正しく返していければいいものね。
そうやってうまくめぐりめぐればいいのにね。
・・・とはいいながら、やっぱり、なかなか電車で出かけるのには勇気がいるな~。
都内の人混み、階段・・・お腹にぶつかられたら恐いなぁと思うよ。
妊婦や障害を持つ人や年輩者が安心して外出できる社会はきっと、誰にとっても住み良い社会だよね。
そうなっていけばいいのになぁって思うよ。
妊娠してはじめて気付くこと、色々あるね。
子供が生まれたら生まれたで、またベビーカーを邪魔にされたり、あかちゃんの泣き声で周りの迷惑を心配して困ったり、イヤな顔されたりしながら、ますます色々見えてくるんだろうね。
(自分も、赤ちゃん連れの人に、どこまで思いやりを持てていたか、心許ないなぁ・・・。)
ママはベビーのために、頑張らないといけないね。
これからも、アドバイスよろしくね!!!
コメントありがとうございます!
お返事遅くなってごめんなさいね。
私の住む小さなマンションは、軽量鉄骨3階建てで、各階に向かいあう2部屋ずつ、つまり、全部で6つのファミリー(もしくは単身者)しか住んでいないのですが、引っ越して9ヶ月、いまだにお顔を拝見したことのない人もいます。
二つ下の階には、赤ちゃんのいるお母さんが住んでいるので、私はもっと仲良くなれたら・・・と願っていますが、なかなか親しくなるチャンスもなく、残念な気持ちです。
私が子供の頃、通りに住む近所の子供たちはみんなお互いの家を行ったり来たり、一緒に遊んでいましたし、おやつを食べたり、もちろん家族構成まで知っていたような。
今の暮らしは都会ならではの、干渉されない良さももちろんあって、気楽な面もあるのも、みりょくではあります・・・。
でも、反面、隣に住む人がどんな人かも分からない暮らしというのは、大きな危険や不安とも隣り合わせですよね。(変な事件も多いし・・・。)
子供を産もうとしている今、「気楽につきあえる近所の人」という存在がいてくれたらいいなぁと思います。
だから、なるべくチャンスがあれば、こちらから・・・と思っています。
時代なのかなぁ・・・。地域性かなぁ・・・。
難しいですよね。
ありがとうございます!!
空のこと、そう言っていただいて、嬉しいです。
私たちはかなり性質(性格)は違っていて、違うところだらけです。
だからこそ補い合う形になれるのかなぁと
思ってみたり。
こんな未熟者の私を、よくぞまぁ好きこのんで選んで、しかも一生を共にしようと思ってくれるなんて、なんて良くできた寛大な人だろう、と、冗談抜きで感謝しています。私なら、私を選ばないのに!?(笑)
私も、三浦綾子さんのようにいつまでも「夫ノロ」でいたいなぁと思っています。
そして、時間をかけてのぶさんたちのような、仲良しな「家族」になっていきたいです。
ヽ( ´ ▽ ` )ノ ♪
trackback
http://lunasolmilcoco.blog68.fc2.com/tb.php/255-a4c4dbdd