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2008/08/03 (Sun) 吾輩は吾輩である

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愛猫:ミルちゃんです。

駒尺喜美『漱石という人 ~吾輩は吾輩である~』
                                 (思想の科学社)1987年

●はじめに

 父が貸してくれた、駒尺喜美著『漱石という人』を読み終えた。
 夏目漱石の作品は高校での授業で読んだ『こころ』をはじめ、これまでも色々と読んできたけれど、まとまった「漱石論」を一冊の本としてしっかり読んだのはこれが初めてかもしれない。
 前回読んだ駒尺さんの『紫式部のメッセージ』に続いて、今回もまた目から鱗が落ちるような鮮やかで明晰な夏目漱石論に、引き込まれ、魅了され、多くを学んだ。
 まず、駒尺さんの見せてくれた「漱石像」を通じて、あらためて漱石を好きになった。サブタイトルとしてつけられた、「吾輩は吾輩である」。この象徴的で的確な、漱石の核をズバッと言い放った部分だけでも、漱石その人の魅力にググッと心を惹かれる。
 それから、この本の中で駒尺さんの切り開いてくれた新たな視点を得た上で、今度は自分自身の目と心とをもって、漱石の作品にドップリ漬かりきって、もう一度新たな視点を持って読みまくりたい・・・!という熱い心になった。そう感じさせてくれる本って、なかなかない。
 この本はもちろんひとつのすばらしい「漱石論」であるのだけれど・・・。それだけではなく、漱石の作品を通して「人間はいかに生きるのか」という大問題と真摯に向きあった、作者自身の人生を打ち込んだ魂のこもった作品だと感じた。
 そして、駒尺さんという人を、もう少し追ってみたいという気持ちになった。(まだ、これが私の読んだ彼女の作品の3冊目・・・。)1925年生まれの駒尺さん。今まだお元気でいらっしゃれば、83歳になられるはず。ああ・・・お目にかかってみたい!
 この優れた作品をせっかく読んで、このまま読み流してしまうのはもったいないので、この内容に書かれた内容を、私自身の頭の中の整理と今後の人生のために、ざっくりとまとめておきたいと思う。
 (それにしても、こうやってじっくり本を読み、その内容について考え、書く時間を持てることをしみじみ幸せに思う。)

●第Ⅰ章「漱石の原点  -平等と独立の人」

 筆者は、「女々しさ」こそが、漱石の漱石たるところであり、偉さである、という。漱石は、偉大であるがゆえに女々しくならざるを得なかったのだ、そこに漱石の特長があるのだ・・・と。  
 漱石の一番大きな要素は、「平等の人」「独立の人」であること。
 「漱石は自分なりに、あるいは日本のこの現状の中で、どのようにすれば平等で独立の自己が確立できるか、まわりのあらゆる人たちもそのように生きてゆけるか、そしてその独立人の間をどうすれば友愛、連帯で結べるか、そのことを考え煮つめて、その果てにあのような大作をなしえたのだと思います。」(p23)
 そのあらわれとして、流派に属さなかった、文壇人ではなかった点、文部省からの博士号を「一利なくして百害あり」と拒否したり、という権威を徹底的に嫌った点、内田百間や、芥川龍之介ら、弟子たちとのフランクなつきあいにおいて、若い人から多くを学んだ点などをあげている。
 また、このような「平等・独立」な魂を持つ漱石を形成した要素として、次の三つを挙げている。
 1,「平民・夏目金之助」であったこと。
 階級社会の名残色濃い明治に、平民として生まれ育ったことが漱石の根っことなっている。「天下国家」の側からではなく、平民の場、生活人の場からの発想をし、そこから離れることがなかった。末子として生まれてすぐに里子に出されたり、その後も物品のように軽く自分を「やりとり」された生い立ちが、大人への、ひいては社会への批判眼を養った。それと同時に、その生い立ちにより、家制度から自由なところで生きることもできた。
 2,「悪妻」に恵まれたこと
 鏡子夫人という人が、黙って素直に夫に従うタイプではなかったがために、漱石は真剣に対峙せざるを得なかった。家庭内での身近な人間同士の関係が、漱石の思想を深め、磨きあげる役割をした。
 3,神経衰弱
 考えすぎるあまり神経衰弱になり胃を患うような漱石の性格は、裏を返せば、ひとつのテーマをとことん突き詰めて考え抜き、それを手放さずに持ち続ける強さでもある。いい意味でのこの「しつこさ」が、作品を描くことを繰り返しながらひとつの大きなテーマを練り上げ完成していく上での力となった。

●第Ⅱ章 「漱石の足どり」 
 (割愛)

●第Ⅲ章 「自己本位を生きるということ」

*1 自己本位の確立 -『それから』

 駒尺さんは、『それから』という作品によって、漱石の思想はひとつの飛躍を遂げ、以後の作品すべてにおいて、ここで抽出されたテーマが引き続き追求されている、という。ここがひとつの転換期であった。
 『それから』のなかで、高等遊民である主人公・代助は、「自己本位」を確立することと引きかえに、社会、家族、友人から孤立してゆく。この作品によって、漱石は、時代、社会への問題意識と、自己の問題意識とをぴたりと重ねることができた。
 そして、これ以降、その問題意識をさらに押し進める形で作品を生みだしてゆく。それは、これまで求めてきた「自己本位」をつかむこと、そしてそれが内包する「難問」へと立ち向かってゆくことでもあった。漱石が取り組もうとした「難問」 とは、個人主義を確立し合った「個」と「個」同士の孤立、衝突を、どうつないでゆくか、ということであった。
 『それから』に描き出されたのは、近代文明社会(自由競争社会)では、人間が孤立化し、ついには互殺にゆきつく、という危機意識であった。
 
*2 絶対の境地に向かって -『行人』

 その『それから』の結末においていだいた危機意識を、家の「内」へと向けたものが『行人』という作品である。『行人』において漱石は、「分からない相手の心を、分かりたい、分かりたい、と、苦しみつつも必死で求める夫婦の姿」を描いた。
 駒尺さんは、漱石の他の作家(広く見れば同時代人)として特異な点として、
 「社会問題と同じ次元で家庭内の問題を考え」「人間の孤立化を問題にするとき、社会と家、外と内をまったく同等の重さで扱っている」(p137)
 ところを挙げている。
 漱石は、『行人』の結末部分でこう書いている。
 「何んな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪(よこしま)になるのだ。(中略)自分が悪くした妻から幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求できるものじゃないよ。」
 つまり漱石は、家父長、夫権、男権という性差別の根本に、自分自身の生活のなかでの葛藤を見つめることにより気付いていったのだ。そして、こう悟る。
 「上下関係のなかでは、真の幸福は得られない。」
 と。漱石は、概念としてではなく、人間らしい幸福を求める苦しみの中から、ここまで辿り着いてきたのだ。

*3 則天去私の完成 -『道草』
 
 これまで、権威を嫌いながら権威の上に乗って歩んできた自分自身の醜さや弱さを見つめた漱石は、いったん自己を否定する必要に迫られる。それをフィクションとして作品の中で実行したのが、『こころ』である。
 
 そして、その上で次のステップとして描かれたのが『道草』だ。漱石は、平民の家庭に生まれてから、ずっと、家庭内でたった一人の「知識人」である孤独感を感じてきた。周囲を見回せば、くだらなく見えるような煩雑な日常にせせこましくかかずらってけちくさく生きている「低い人々」が見える。
 「高い自己」と、「低い人々」という、二分の視点、すなわち自己の偏見との対峙、これが『道草』のなかで描き出されている。漱石はここで、自らの持つ偏見を認め、自分から低い相手の立場へと下降していく必要性を感じる。これは自分自身を見失わないための「自己本位」をしっかりその手に握っていたからこそ、なしえたことであった。自分自身の上り詰めた高みから、相手の高さにまで降りること、それこそが、晩年辿り着いたとされる「則天去私」の境地であった。
 漱石は『道草』を書きながら、「我」のメガネをはずし、「去私」の態度になりえたとき、あらゆる人の立場、その内側に立つことが可能になった。他人の内部の重さと、自分の内部の重さとを、平等に受け取る道をつかんだのだ。それは、「人間としての道」でもあり、また、「文学方法としての道」でもあった。
 人間おのおのが、内的必然によって動きつつ、そのエゴイズムとエゴイズムが絡まり合い組み合っているのだ、という、全体像が見えてきた。そこで、見えてきたそれらを描こうとしたのが、未完の最高傑作『明暗』である。
 『明暗』は書き上げられていれば、間違いなく近代文学の最高峰として、世界の文学に負けるとも劣らない名作となったはずであるから、書き上げるまで命が保たれなかったことが惜しまれるし、漱石自身も悔しいだろう。

●「あとがき」より 一部要約

 五百年たっても色あせぬ文学として残りうるものは、近代文学のなかでは漱石ただ一人だろう。
 古典文学の作品の中で『源氏物語』が起立しているように、評論家や研究者が決定せずとも、自然と時間が経てば経つほどに漱石は、一般の読者によって時間の流れで洗い流された果てに「古典」の席へと納められてゆく、起立した作家となるだろう。
 平民・夏目金之助は、発奮して、思索に思索を重ねて、知識人の中の知識人となった。しかし、作家、文学者として大成することを目的とはしなかった。人間の生き方を求め、人と人とのつながり方を求めて、どこまでも追求した。その結果、再び平民の位置に降りたのである。晩年の漱石は、それを自己の人間性回復の道だと信じていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

*この文章を書き終えてから、駒尺喜美さんのことをインターネットで検索してみたところ、つい昨年の2007年5月22日に逝去されていたことを知りました。
 生きている間にお目にかかれなかったのは残念ですが・・・。
 残された作品を少しずつ読んでいきたいなぁと思っています。

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2008/07/31 (Thu) 『紫式部のメッセージ』

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毎回季節はずれですみません。
これも今年の春撮った、「ムラサキダイコン」の写真。
単に色が「紫」なので選んでみました。

 駒尺喜美著『紫式部のメッセージ』(朝日選書) 

☆簡単な感想と、印象に残ったところ

筆者はフェミニストとしての立場から、明快に、小気味良いほどバッサリと光源氏を批判をしていて、読んでいて本当に面白かった。
(彼女の書いた『高村光太郎のフェミニズム』もすばらしかった。)

筆者は紫式部は、地の文と、老女のセリフの中に、自分の正直な気持ちを託して語っている、という。
源氏は現実味のない、少女漫画の主人公のような男だけれども、そんないわゆる「理想の男」と結婚したとしても、結局は女は不幸になるのだ、ということがさまざまな女たちと光源氏との関係を書くことによって、繰り返し描かれている。

「紫式部は、結婚幻想・恋愛幻想に陥っていない女であった。
男女の結びつき、かかわりを冷静に眺めうる立場にいた。
自分で自分の生を生きられぬ苦しみを、女たちの上にきちっと重ね合わせている人であった。」

(紫式部は冒頭で「桐壺の更衣」の悲劇を描くことにより、)
「どのように立派な男から、どのように愛されたとしても、女にとっては悲劇であること。
男がどんなに主観的には善意に満ちあふれていようとも、身勝手な存在であり、本質的に残酷であること、を。(描こうとした)」

「どのように男女が主観的に愛しあっていても、男女が分断されているこの社会の構造と文化形態、生活様式の中では、どうしようもなく、いすかの嘴しのくいちがいになってしまうことを描き切っている。」
(以上本文より)

「宇治十帖」の必然性について書かれた部分も含め、斬新で説得力があり、目から鱗が落ちる思いだった。

あまりに面白かったので、次は彼女の書いた、
『漱石という人』(思想の科学者)
という本を読んでみようと思う。


2007/10/17 (Wed) 光世さん

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大きく包みこむ空のような・・・


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清らかな白い花のような・・・・


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すっきりと清々しく美しい、その人の名は・・・


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敬愛する三浦光世さん!


10日ほど前、大好きな作家・故三浦綾子さんの夫であり、三浦綾子記念館の館長をしていらっしゃる三浦光世さんの講演会に行って来ました。
(2007年10月8日 中野区の教会にて。小雨)
(お知らせ下さった、コッコさん、ツッチーさん、本当にありがとう!!)

光世さんについては、このブログでも時々書いていますが、私の心から尊敬する人です。
綾子さんの自伝的作品『道ありき』『この土の器をも』に出てくる光世さんのお人柄に惹かれ、まさに理想の男性像だと感じてきました。
綾子さんの小説の主人公たちは、どこか光世さんの面影を宿しています。だから私にとっては、小説を通して、本当に良く存じ上げている気持ちになる方です。
私は、ただただ彼に会いたくて、北海道まで一人旅をしたほどの大ファンなのです。
その時の気合いの入りまくった旅行記などはこちら・・・。
http://luna-y-sol.spaces.live.com/?_c11_BlogPart_BlogPart=blogview&_c=BlogPart&partqs=cat%3d%25e6%2597%25ad%25e5%25b7%259d%25e6%2597%2585%25e8%25a1%258c%25e3%2583%25bb%25e4%25b8%2589%25e6%25b5%25a6%25e7%25b6%25be%25e5%25ad%2590

光世さんは1924年4月4日のお生まれだそうなので、もう83歳になられていますが、一時間にも及ぶ講演を、立ったままでユーモアを交えてしっかりお話し下さいました。
光世さんの側にいるだけで、優しくて清らかで温かい空気につつまれるようで、私はとても幸福な気持ちになりました。
お話の内容は、ファンならばもう暗記するほどに良~~~~~く知っているお二人のなれそめや、結婚生活の日々、綾子さんの病と共に生きながらも、口述筆記をしてくれた光世さんと文字通り二人三脚で作家として多くの作品を生みだした日々についてなど・・・。
よ~く、よ~く知っている話のはずなのに、何度聞いてもやはりいい。あらためて光世さんの優しい品の良い語調で聞くと、すごく感動してしまい、気づくと涙がこぼれたりして。

光世さんは、私を覚えていてくださいました。
「あなたのことは、毎日お祈りしています。」
と、おっしゃって下さいました。
こんなことを、社交辞令でリップサービスで言う方ではないことは、ファンなら100%承知です。
光世さんが「毎日祈っている。」とおっしゃるなら、間違いなく本当にそうして下さっている・・・。
たくさんの方のことをきっと毎日祈っていらっしゃる、その末端に私のことも本当に加えて下さっている・・・。
私が若い頃の綾子さんのように、自分の道に迷いながら、何かを求めながら、悩みつつ生きているのだということを感じ、その存在を忘れずに心にかけて下さってきた。
そのことに、衝撃を受け、打ちのめされるような思いでした。
私は、身近な人のことですら、毎日祈ったり出来ないのに・・・。
それなのに光世さんは、たくさんファンがいるはずなのに、たった2度会っただけの私のことを毎日心にかけていて下さったこと・・・。
あり得ないほどすごいこと、幸福なことだと思いました。

光世さんが私に望むことはきっとただひとつ・・・。
でも、そのただひとつの壁を乗り越えられないのが私の悩みでもあります。
きっと私には私の道があることを信じて・・・毎日を丁寧に歩んでいくしかないと思っています。

光世さん、お目にかかれて本当に嬉しかったです。
旭川はもう寒いことでしょう。どうぞ、お身体にくれぐれも気を付けて、お元気でお過ごし下さいね。
光世さんがお元気でいて下さること。
私のことを、きっと今日もまた祈って下さっていること・・・。
そのことに励まされて、感謝しながら私も頑張りますね。


2007/09/21 (Fri) 弟橘媛

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海と・・・。

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空と・・・・。


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地に咲く花。


●美智子妃とオトタチバナの「愛と犠牲」

今度の舞台のタイトルが「愛と犠牲」だと聞いたとき、真っ先に頭に浮かんできたのは美智子妃の語った弟橘媛(オトタチバナヒメ)の話だった。

皇后・美智子妃が第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年)において「子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出--」 という基調講演をされた。この講演は本当にすばらしいものであり、テレビで放送され、大きな反響を呼んだ。その後、新聞で全文が掲載され、その後『橋をかける』(すえもりブックス)という本として出版された。
これをたまたまテレビで見て私は、美智子妃が読書のことに触れつつも、戦争中に疎開先で経験したことや、自分の歩んできた心の軌跡を、不安や悩みや悲しみや喜びも含めて・・・たてまえではなく率直に語ったことに驚かされた。

「私は時に周囲との関係に不安を覚えたり、なかなか折り合いの付かない自分自身との関係に疲れてしまったりしたことを覚えています。」
「生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。」
「私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見いだせたことは恩恵でした。」
「読書は、人生のすべてが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。」
(美智子妃『橋をかける』より)

このような言葉は、真剣に生きるだれしもが、生きていればいつかは感じることであるように思う。
私は、彼女が子供の頃に読んだ本から心豊かに多くを感じ学んできたことを知り、深く共感した。私も本と共にこれまでの自分の道を歩んできたように思うから・・・。
今までは、遠くで微笑んでいる人・・・というような漠然とした存在だったけれど、生きた女性としての生の声を初めて聞けた気がして、これまでとは違う親近感を持って美智子妃を見ることができた。
よくよく考えれば、自分の意志ではどうにもならないような、本当に大変な運命を担い歩んでいらっしゃるのだろう・・・と思う。あれほどの重責を背負って生きている人はなかなかいないだろう。

その講演の中でも特にこのオトタチバナヒメのことを話すときに使われた、「愛と犠牲」という言葉が、なぜか心に残っていた。

オトタチバナとは、日本の最古の歴史書(神話と言った方が良いかな・・・。)『古事記』に出てくる倭健命(ヤマトタケルノミコト)の妃である。
タケルの遠征中に海が荒れたとき、オトタチバナは海神の怒りを鎮めタケルに旅を続けさせるために自分の命を捧げ、入水する。自己犠牲の死に際して、オトタチバナは、かつてタケルが自分の命を守ってくれたことへの感謝の気持ちを詠み残す。
「さねさしの 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも 」

美智子妃はオトタチバナについてこう語った。

弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は、あまりにも美しいものに思われました。
「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。
はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。
 この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。
 古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。
ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。
しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。
今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。  」
(美智子妃『橋をかける』より)

この言葉は、彼女自身の人生と重ね合わせて考えたときに、奇妙なリアリティーを持って迫ってくる。
彼女の人生は、まさにそのまま「愛と犠牲」かもしれない。
雅子さんのことを思っても・・・皇室で生きるということは想像を絶するほど、「愛と犠牲」から絶対に逃れられない、息苦しくまた過酷なことなのかもしれない。

「愛と犠牲」は、生やさしいものではないのだな・・・と、あらためて身が引き締まる。
時には不安に威圧されるような、過酷なもの。
時には、愛ゆえに自分の命さえ意志的に投げ出さなくてはならないような・・・。
そこに対する恐れや畏怖・・・。
決してナルシシズムや甘い感傷では為し得ないものだと感じる。


●イエスとオトタチバナの「愛と犠牲」

私たちの舞台では、もちろん「愛と犠牲」とはオトタチバナのことではなく、スペインのキリスト教の聖週間の祭りのマリア像の名前に由来している。
歌われる歌はカソリックであるスペインのものなので、出てくる歌詞は、「Santa Maria(聖母マリア)」だったり、「Jesus Nazareno(ナザレのイエス)」だったり、「Subir a escalera a la Cruz(十字架に上がる)」だったりする。
でも、ほぼクリスチャンではない私たちが、ウソではない何かを「愛と犠牲」において表現したかったら・・・。
そこに、自分の人生における(具体的ではなくてもいいから)切実な、「愛と犠牲」に対する思いが無くてはならないだろう。

愛ゆえの自己犠牲。
愛ゆえに、十字架に上がったイエス。
愛ゆえに、海へと身を投げたオトタチバナ。

似ているような・・・大きく異なるような・・・。
イエスは男性。
オトタチバナは女性。
イエスは「天」にどこまでも高く昇り・・・。
オトタチバナは「海底」に深く沈んでいく・・・。
イエスは父なる神に与えられた使命を果たすために亡くなるけれど、でも、その後3日で復活したことになっている。
イエスは永遠の命を持っていたかもしれないけれど、オトタチバナの命はどうだったのだろう。きっと復活を期待していたわけではなく、ただ一度きりの命を投げ出した。
死に際し、イエスは捕らえ「られ」、十字架を担が「され」、十字架にあげ「られ」て、「父よ、どうしてわたしを見捨てたのか」と言いながら死んでいく。
オトタチバナは、自分の意志で入水を選び、ただただ愛と感謝を述べて死んでゆく。
イエスの死は贖罪の死。彼の死によって、その後、多くの人が救われる。(ということになっている)
でも、オトタチバナの死は、ただ、ひととき荒れた海を沈め、愛する夫タケルの命を救っただけだ。

どちらが優れている、とか、すばらしい、とか、言えない
次元の問題だ。
どちらも、真の「愛と犠牲」に間違いは無い。
でも、その差異が何か、とても象徴的に思える。
この辺のこと、どなたか詳しい人にお話を伺えたらうれしいのだけれど・・・。
誰かいないかなぁ・・・。
「愛と犠牲」の人類共通の普遍性と、また、それぞれの文化による違いなど、研究したら面白そう。
(こんなことを考えるもの、最近河合隼雄さんの本で、日本人の心のあり方について考える機会が多いから。河合先生は日本を「中空均衡型」、キリスト教社会を「中心統合型」とおっしゃる。日本は「空」の部分に天皇制が入り、キリスト教では「中心」に唯一絶対の神が入る。それについてはまたあらためて書きたいと思う。)

私の中での「愛と犠牲」のイメージは、天使と共に澄んだ空の上の天国へ上昇・・・よりもむしろ、深い深い海の底へと沈んでいく方がしっくり来る。
水の冷たさ温かさ、重さ、息苦しさ・・・。
涙のようなしょっぱさ。
海は、すべての生物のいのちの源。
海の中には渦を巻き、流れ、満ちて引く、混沌とした世界がある。
でも、その、混沌のままで、すでに調和し、浄化されている。
天を志向するカンテ(歌)の中で、私の海へ沈む心と体は、響きあい、溶け合うことができるだろうか。

天にも、海の底にも、「愛と犠牲」はある。
もちろん、地上にも・・・いたるところであらゆる人たちが、それぞれの「愛と犠牲」のなかを、自覚することも無くとも確実に生きている。
私の家族・・・父も、母も、妹も・・・。
「愛と犠牲」という言葉の重い響きを忘れさせてしまうほど、ただ日常をあたりまえのように、愛と犠牲の中に生きていると感じる。

うまく考えはまとまらない。
でも、とりあえず今の時点で心にあることを書いておくことが大事だ。

今日も、必死で踊ってこよう。


2007/08/09 (Thu) エゴと愛

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箱根の彫刻の森美術館で撮ったもの。
私にとって・・・神さまとはこのイメージ。
ただ黙って静かに心の痛みに優しく寄り添ってくれる「エゴを離れた愛」の存在。


☆作家・芥川龍之介の書簡
大正四年(一九一五年)三月九日付 井川恭 宛

「イゴイズムを離れた愛があるかどうか。
イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁をわたることはできない。
人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒すことはできない。
イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない。 
周囲は醜い。
自己も醜い。
そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい。
しかも人はそのままに生きる事を強いられる。
一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪むべき嘲弄だ。
僕はイゴイズムを離れた愛の存在を疑う。(僕自身にも)。
僕は時々やりきれないと思うことがある。
何故、こんなにしてまでも生存を続ける必要があるのだろうと思うことがある。
そして最後に神に対する復讐は、自己の生存を失う事だと思うことがある。
僕はどうすればいいのだかわからない。
君はおちついているかもしれない、そして僕の言う事を浅はかな誇張だと思うかもしれない。
(そう思われてもしかたがないが。)
しかし僕にはこのまま回避せずにすすむべく強いるものがある。 
そのものは僕に周囲と自己とのすべての醜さを見よと命ずる。
僕は勿論亡びることを恐れる。
しかも僕は亡びるという予感をもちながらもこのものの声に耳をかたむけずにはいられない。(後略)」
 (『芥川龍之介全集 第十巻』岩波書店 1978年)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三五才で自殺したこの鋭敏な天才・芥川龍之介の死の枕元には、一冊の『聖書』が置かれていたという。
芥川は聖書の中に「イゴイズムを離れた愛」の存在を感じながら、そしてそれを求めつつも、神を神として信じられぬまま、深い闇の中にいる自分を感じ、それを凝視し、人間の心の闇を見つめてきた。

その鋭利な刃物のようなまなざしは、自分と、そしてすべての人間を取り巻く「黒洞々たる闇」(『羅生門』より)をひたすらに見つめる。
心の「闇」とは・・・すなわち、最終的には自己の利益を最優先にしてしまう人間の、エゴイスティックな「存在そのもの」に対する絶望感。

でも、闇があれば、一方では光(=神)が存在するのだ、ということを「信じる」ことができれば、きっと人生は生きるに値すると感じることができる。
だが、芥川は・・・その「光を信じる」という一点をどうしても越えることができなかった。
このことを彼は「僕には越えられない溝」(『歯車』より)と表現している。

時に芥川のような鋭い知性・・・そして真実を見抜きすぎるニヒルなまなざしは、人が光を信じるための大きな妨げとなってしまう。
でも、上の書簡に見るとおり、神は芥川に「回避せずに進め」「すべての醜さを見よ」と命じた。
・・・ただし、それは本当に神の声だっただろうか。
彼は、亡びる予感を抱きながら、逃れられずにその声にしたがっていくことによって、最後には自殺に至ったのだ。
だからこれは、神の声というよりもむしろ、悪魔のささやきかもしれない・・・。
芥川自身の繊細な知性によって研ぎ澄まされた感性という悪魔が、幻聴のように、その声を神の声として聞かせてしまったのか。
芥川は、イエスの手を求めつつもその手から零れ落ちてしまった一匹の迷える子羊だろうか。
ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのように・・・知性とエゴイズムに苦しんだからこそ、その果てに、光の中へ入っていく道を得ることができればよかったのに・・・。
そのためには、ただ「信じる」ということができればいいのだけれど、ああ、それはどれほど困難なことだろう。


この書簡を読むと、エゴイズム・・・つまり利己主義を離れたまことの「愛」を、心から求めて、求めて、そしてそこにどうしても至ることができなかった彼の苦しみを感じる。

まことの「愛」の存在を、求めなければ、妥協できれば、苦しまない。
でも、芥川には求めないことはもちろん、妥協することはできなかった。
エゴイズムを離れたまことの「愛」を得られない現実を痛いほど見つめ続けながら、それでも求めて、求めて、絶望して死んだ。
芥川の最後の小説は『続西方の人』であった。
西方の人・・・とは、すなわち、イエス・キリストを指す。
この小説の最後の一文では、こう書かれている。
・・・・われわれはエマオの旅人たちのように、われわれの心を燃え上がらせるクリストを求めずにはいられないのであろう。」

芥川のこの書簡に描かれたエゴと愛の問題は、私自身の抱える問題でもある。
だから、芥川の苦しみは、すなわち私自身の苦しみでもある。
私も、結局は自己中心的な生き方から逃れられない自分をみつめている。
悲しい思いで・・・。
相手を愛しているつもりでいながら、結局は自分のことを考えている・・・自分の幸福、自分の心の安定、愛「されて」生きること・・・・。
そして、自分の利益を越えて相手の幸福を心から願う、というまことの「愛」の存在を求めながらも、・・・自分がそうでありたいと願いながらも、そうあり続けることのできない人間の心の弱さに直面している。
私の中に、エゴを離れた愛でなければまことの愛ではない、という、この世を生きるには適さないような、困った潔癖な心がある。
それをまずは自分自身に、そして相手にさえも求めてしまうという傲慢な心。
でも、果たしてエゴを離れた愛など、人間が持つことができるのか・・・、と、芥川と同じく求めつつも疑う。
とにかく私には、エゴを離れて「愛する」ということが永遠の課題だ。
愛する、ということは、コントロールできない感情に振り回されることではない。
もっと、もっと、意志的でなければならない。
でも、人間はたくさんのさまざまな感情を実体験として味わうことによって、少しずつ成長していくのだ。
そして、その過程に置いてはエゴに悩み苦しむことも、必要なのだと感じる。
長い道のりを生きていく果てに迷ったり遠回りしたりしながら成長していき、最後にまことの愛に辿り着く・・・そんなものなのかもしれない。

まことの愛なんて無いのでは・・・と不安になるときに思い出すのは、敬愛する作家・三浦綾子さんと光世さんご夫妻のこと。
あの二人がいる!・・・この世には「まことの愛」を貫いて一生を生ききることのできる人もいるのだ、と、希望を持たせてくれる。
そして、三浦光世さんや、「光を信じる」ことの素直にできた優しい人たちが・・・今日もきっと、私のことを祈ってくださっている。
そのことを、日々感じながら感謝しながら生きている。

私は、「信じる」という問題を越えられないこの中途半端な状態のままに、たくさんの人の愛の中で、すでに光を感じながら生きている。
心の中に、常に光との対話がある。
花や、緑や、空や、音楽や、本や、人々が、私にはとても美しくきらめいて見える。
ふと見渡せば、私にとって、世界は光に満ちている。
私が素直に「神を信じる」ということができないのは、私がすでに恵まれすぎているせいかもしれない。まだ苦しむことが足りないのかもしれない。
でも、いつも、「信じる」ことを求め、「まことの愛」を求め、求めることをやめることができない。

敬愛するJさんは、
「キリスト教は厳しい砂漠という自然条件の中で、人々の『父なる神よ!』と叫ばずにはいられないうめくような苦しみの心から生まれた。
日本人が唯一絶対の神をなかなか信じることができないのは、あまりに日本が豊かな水と緑に恵まれているからではないだろうか。
唯一絶対の父なる神よりも、すべての自然の中に八百万(やおよろず)の神が宿る、という自然崇拝的な多神教的宗教のほうが日本人の感性に合うのでは・・・。」
とおっしゃられたが、まったくそのとおりかもしれない。
敬愛する河合隼雄先生も、ほぼ同じことを言っていらした。
水と緑に満ちた自然の豊かさと、私を含め多くの日本人の宗教観は、密接に結びついている。
信じなくてもすでに、光と水と緑につつまれて生きることができてしまう。
(でも日本人の心が真に潤っているかどうか・・・は、また別の問題であるが、そのことについてはまたあらためて考えることにして、ここでは触れないで置こう。)


最近、トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』を読んだ。
欲と俗の世界に生きる主人公は、何度もキリスト教の聖なる世界に心引かれながらも、なかなかそちらへ入っていくことができない。
だが、人生の晩年を迎えたときにようやく、光の中へと歩み始める。
すべてに、「ふさわしい時」があるのだ。
芥川はきっと、その「時」を待たずに死んだ。・・・心の闇を見つめて生きることの苦しみに耐え抜くには、彼の感性は鋭すぎたから。

三浦光世さんが、8月のカレンダーにうつくしい直筆で書いてくださった言葉は
「信ずる者はあわてない」
だった。
結論を急ぐのはやめよう。

「なぞ」は「なぞ」のまま、それと真摯に向き合いながら、葛藤を生きる。
そこに私だけの道がある。
「エゴイズムを離れた愛」は、私の遠い遠い理想であり、灯台のあかり。
今はそれで良い。


2007/07/27 (Fri) 河合隼雄さんの訃報

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我が家の庭の木槿(むくげ)の花が咲きました。


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尊敬する河合隼雄(かわいはやお)さんが亡くなった。

河合 隼雄氏(かわい・はやお=京都大名誉教授、臨床心理学、前文化庁長官)2007年7月19日午後2時27分、脳こうそくのため奈良県天理市の病院で死去、79歳。兵庫県出身。自宅は奈良市西大寺新田町7の9。葬儀は密葬とし、後日お別れの会を開く。
 京大卒業後、スイスに留学し、分析心理学を創始したユングの研究所でユング派分析家の資格を取得。臨床心理学者としての業績に加え、従来の学問の枠にとらわれない幅広い視野に基づく研究や軽妙な話術で知られた。
 69年から天理大教授、75年から京大教育学部教授、90年から国際日本文化研究センター教授を務め、95年から6年間は同センター所長。2000年に文化功労者。02年1月、文化庁長官に就任したが、在任中に脳こうそくで倒れ、意識が戻らないままだった。


もう10年以上も前から・・・(もっと前かな)、河合さんの本はよく読んでいて、ファンだった。
いつかお目にかかりたい方、そして、心の中で一方的に温かい親しみをもってあこがれていた方だった。

詩人・谷川俊太郎さんとの対談、『魂にメスはいらない』(講談社α文庫)。
この本は、10回ぐらい読み返したかも知れない。
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その他にも、ベストセラーになった『心の処方箋』(新潮社)。
タイトルそのものズバリの『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮社)。
グリム童話を題材に人間の心理を深くさぐった『昔話の深層』(講談社)
などなど、たくさんの著書を残してくださった。

・・・河合さんの本を読むと、「優しい知識人」という言葉が思い浮かんだ。
・・・真の常識と、人間の心に対する深い洞察とを持った成熟した温かい人間性がうかがわれ、とても尊敬していた。
柔らかく、そして受容力のあるやさしい文章に、
「この人と共にいたら、なんだか心の奥にある色んなことを話してしまいたくなるんだろうな~。
そうしたらきっと、『へぇ~』とか、『ほほう』、『なるほどねぇ』と、
断定もせず、否定もせず、ただニコニコ感心しながら温かく聞いて下さるんだろうなぁ。」
と、確信していた。
そんな、「信頼して心を開いて良い相手がこの世にはいるのだ」ということを、感じさせてくれる稀有な存在だった。
人間の中には「たましい」の存在がある、ということを、はっきりおっしゃった方だった。
民間人から文化庁の長官になられたということで、「あの方なら!」と期待と共に嬉しく思ってもいた。

亡くなる前にお目にかかることができなかったのはとても残念だけれど・・・。
でも、残して下さったたくさんの本を、これをきっかけに、あらためて大切に読ませていただきたいと思う。

河合隼雄さん、ありがとう!
生まれてきてくれて、生きてくれて、たくさんの大きな仕事を成し遂げてくれてありがとう!
河合さんの本、これからますますたくさん、大切に読みますね!


2007/03/23 (Fri) まことの花

「花のある踊り手」とは、どんな人のこと?そもそも「花」ってなぁに?

●世阿弥の『風姿花伝』

フラメンコの発表会に行く日の朝、電車の中で世阿弥『風姿花伝』を読んでいました。
118zeami.gif世阿弥『風姿花伝』

たいてい舞台の日の朝は、私の芸術上のバイブルである、リルケ『若き詩人への手紙』を読むことにしているのだけれど、この日は、能の美学である「幽玄」を感じたいという思いがあり、このようなチョイスとなりました。
その中に多用されている「花」という言葉の核心をつかみたかったのです。

「花」
って・・・何だろう。
世阿弥も言葉を尽くしさまざまに書いてはいるけれど、決定打として言い切れてはいないようです。言葉には、し尽くせないのが「花」であり、それでも芸事に置いて最も大事なのはやはり「花」。
・「誠の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるべし」
・「工夫と達者とを極めたらん為手をば、花を極めたるとや申すべき。」
・「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり。」
・「能も、住するところ(ひとつのところにとどまること)なきを、先づ花と知るべし。」
・「因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。」
・「秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。」

・「花は心、種は態(わざ)」
何とも深遠な言葉です。
今の私には、実感として感じられる部分もあり、これからまだ心の中に「?」を残し、追求していきたい部分もあり・・・。

そして「時分の花」のこと。
「時分の花」とは、24,5歳ごろに一瞬咲かせる花で、「年の盛りと、見る人の一瞬の心の珍しさ」によって咲くものであって、それは「まことの花」ではない。それなのにすっかり極めたつもりになってしまうことはあさましい。「時分の花」を「まことの花」だと勘違いして慢心することが、「まことの花」からより一層遠ざかる心であるから、ますます気を引き締めて稽古しなくてはならない・・・、などという部分は本当に面白いと思います。
「時分の花」も、「花」は「花」ですから、美しいし見応えはあるでしょう。
でも「真の目利きは見分くべし」とあります。
本当に芸術を見る目のある人から見れば、「時分の花」なのか、「まことの花」なのかが分かる・・・ということ。うぬぼれによって成長を止めるようなことなく、謙虚に学び続ける姿勢が大事なのでしょう。

34,5歳は「盛りの極め」である、とあります。
でも、「もしこの時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手(して)」であると、グサッと来るような、芸術家にとっては残酷で恐ろしい言葉も書いてあります。
さらに、「この比は過ぎし方も覚え、また、行く先の手立てをも覚る時分なり」・・・つまり「この頃は、五里霧中で暗中模索的にたどってきた経過の意義が自覚されてきて、また、今後の進むべき方向も見通しがついてくる時期である。」ということ。
若さの勢いと容姿の華やかさで一瞬咲かせた「時分の花」の時期を過ぎ、まさにこの頃が、「まことの花」を獲得できるかどうかの重要な境目なのでしょう。この時「まことの花」を咲かせることができれば、年を重ねても「老い木になるまで、花は散らで残りしなり。」と書いてあります。
(具体的な年齢については、600年前に書かれた芸術書ですから、今とは少しずらして考えても良いかもしれませんね。)

繰り返し読むうちに、すべてを理解できたとはとても言えないまでも、心に響いてくるのは、ひたすら稽古をすることの重要さです。
人間としての品位を保ち、よく学び、稽古を重ねること・・・世阿弥は繰り返しそのことの大切さを説いています。それがやっぱり、「まことの花」を咲かせるための道・・・。

特に私が好きなのは、この本の中に書かれた漢詩です。

心地に諸々の種を含む
(しんじにもろもろのたねをふくむ)
普き雨に悉く皆萌す
(あまねきあめにことごとくみなきざす)
頓に花の情を悟り已はりぬれば
(とんにはなのこころをさとりをはりぬれば)
菩提の果自づから成ず」
(ぼだいのかおのづからせいず)

心に、身体に、たくさんの種を蒔く。
めぐみの雨によって、小さな芽が萌えいづる。
そして、花が咲く。
そのはてには、実がなる。
そんな風に在れたら、どんなにいいでしょう。


さて。
私にとって「真の目利き」だと感じさせてくれるのは、舞踊団のアドヴァイザーである、はらりん。ご自身も能を学び、芸術について、人間について、温かくまた鋭い見識を持っていらっしゃるすぐれた真の知識人です。
その尊敬するはらりんが、発表会の私のソロに対する感想を送って下さいました。
(はらりん、本当にありがとうございました!!)
実はこれを待っていた・・・。そしてとても嬉しかった。
・・・ので、「未来の私のために」ここに記載しておきたいと思います。
そして、またあらたな気持ちで、「まことの花」をもとめて、頑張っていこうと思います。

*はらりんからのメール
「さて、発表会大変お疲れさまでした。
君のソレア、とても良かったと思います。
一言で言えば「今日この時、このタイミングと場を得て踊られる必然性」を感じさせてくれるソレアでした。
また高いモチベーションの元に踊られた一曲でもありました。
極めてシンプルに抑制的に踊られていたと思います。
しかし、君の身体は十分に良く君の「心」に応えていました。
それが表現となってしっかりと表されていた事が、大変に印象に残りました。
踊りはこのように、よく必然性を持って踊られるのが理想だと思います。
それを成し遂げ、また感じさせてくれた事、見事だと思います。
勿論これが終着点ではありません。
体調にくれぐれも気をつけながら、また一歩一歩自分の道を踏みしめていって下さい。
ゆっくり、丁寧にね!」

*おまけ 
ずっと応援して下さっている優しいりょうちゃんからのメール

「ソレアでは、以前とは異なる印象を強烈に受けました。
華やかで躍動的な動きから外側に向けて発せられるエネルギーをこれまでmarの踊りに感じてきました。
今回はそういう動きを封印したことで、内側に溜め込まれて重厚感を増していくエネルギーを怖いほどに感じました。
どちらも「迫力ある踊り」なのに、受ける印象は全く違いました。
marの表現の幅の広さを目の当たりにし、これからもずっと観続けていきたいと思わずにはいられませんでした。」


2007/01/26 (Fri) 情事の終り

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「情事の終り」


 ときどき私は、私が彼を愛していること、いつまでも愛しているだろうということを、彼に納得してもらおうと骨を折るのがいやになってしまうことがある。
 もし私たちの恋に終わりがあるものとすれば、彼はそうなった時に自分をとりまく砂漠が恐ろしくてたまらないのだ、私にはそれがわかっているのだけれど、わたしもそっくり同じ気持ちでいることを彼のほうでわかってくれない。

 彼は、過去、現在、未来をかまわず嫉妬する。彼の恋は、まるで中世の貞操帯のようだ。自分が そこに、私のそばに、私のなかに、いるのでなければ、決して安心しないのだ。私が彼を安心させてあげることさえできたら、ああ、それさえできたら、私たちは、平和に、幸福に、愛しあうことができ、砂漠は遠のいて、見えなくなってしまうだろうに。おそらく一生涯でも。
 もし神を信じることができたら、この砂漠をなくせるものだろうか。
 私はいつも他人から好かれ、崇拝されていたい女だ。誰か男のひとに責められたり、友達を失ったりすることがあれば、たまらない不安を感じる。 私はあらゆるものを、あらゆるとき、あらゆるところで、ほしがる。私は砂漠を恐れている。神はお前を愛する、神こそは総てだ、そう教会では言われる。それを信じる人たちは、崇拝されることを求めない、男と寝ることを求めない、安心している。けれど私は信仰をつくりだすことはできない。

 彼は、ほかの女をこれほど愛したことはないと、よく私に言う。私がそれを信じるのは、そっくり同じように私も彼を愛しているからだ。もし私が彼を愛することをやめたら、彼の愛を信じることもなくなるだろう。もし私が神を愛したら、そのとき私は、神の私に対する愛を信じられるだろう。
 愛を求めるだけでは足りないのだ。私たち人間はまず愛さねばならない、それなのに私はどのように愛すべきかを知らないのだ。でも私はそれを求める、どんなに私は求めているだろう。

 *  *  *  *  *

 私を、私を、私をーーーこのほかのお祈りの言葉を知っていたらと思います。
 私をお助け下さい。私をもっと幸福にして下さいませ。はやく私を死なせて下さいませ。
 私を、私を、私を。

 私に私を忘れさせて下さいませ。
 愛する神様、私は愛そうとして参りましたのに、こんなひどいことになってしまいました。もし私があなたを愛せましたら、どのように彼らを愛したらよいかもわかりましたでしょう。

 私に愛する道をお教え下さい。
 どんな苦しみをも怖れませぬ。私が堪えられないのは彼らの苦しみでございます。私の苦しみはいつまで続いてもかまいません。彼らの苦しみだけなくして下さいませ。
 愛する神様。もしあなた様が少しの間でも十字架から降りておいでになり、代わりに私をあそこへかけて下さることができましたら。もしあなた様のように苦しむことが私にできましたら、私もあなた様のように癒すことができますのに。

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~イギリスを代表する作家、グレアム・グリーンが1951年に発表した作品、『情事の終り』(原題・The End of the Affair)(田中西二郎・訳)の中の、ヒロイン・サラァの日記より、引用~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★作者:グレアム・グリーンについて

1904‐1991。イギリスの教育者の家庭に生れる。大学卒業後、カトリックの学生と結婚して改宗。ジャーナリストなどを経て、’29年処女長篇となる『内なる私』を発表。’40年、政治権力と宗教の対立を描いた『権力と栄光』で作家としての地位を築く。’51年に発表された『情事の終り』は彼の名声を全世界的なものとした。『第三の男』は映画化された。

★この作品の映画化

○その1 「情事の終り」 1955年 アメリカ 主演:デボラ・カー
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=4455
End_Of_The_Affair_1956_DVD.jpg

○その2 「ことの終わり」 1999年 イギリス 主演:レイフ・ファインズ ジュリアン・ムーア
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=31968
jp000604.jpg

★簡単な感想

タイトルを見ると、恋愛の話のように見える。でも、読み終えた時に、これは愛の苦しみの果ての信仰の話なのだとわかる。 
高級官吏の妻サラァは、戦争の爆撃のさなかで、作家・ベンドリクスとの不倫の恋のなかにいる。爆弾が落ち、ベンドリクスがドアの下敷きになって死んだかのように見えた時、それまで神を信じられなかった彼女は初めて祈る。
「神様、彼を生かして下さい。そうすればあなたを信じます。私は彼を愛している。けれど、あなたが彼を救ってくれるならば、永遠に彼をあきらめます。」
・・・そして・・・ベンドリクスは生きていた。
サラァは神にしてしまった約束にしたがって、彼と別れなくてはならない・・・。
この時から、「彼の命を救ってくれれば、あなたを信じ、彼と別れる。」という神との約束の苦しみが始まる・・・。
彼女は神との約束を守り、愛するベンドリクスとの関係を一方的に終わらせる。
情事の終わり、とは、すなわち信仰・神への愛の道の始まりだった。
終わりのある人間同士の愛に対して、永遠である神の愛。
サラァとベンドリクスの情事という関係が終わったときからが、サラァの真の愛の始まりとなっていく。

「私たちの愛が尽きたとき、残ったのはあなただけでした。彼にも、私にもそうでした。」

これはサラァの日記の一節。ここで言う「あなた」とは、神様のこと。
自分の心と向き合い、愛について、そして神について真剣に揺れつつ悩みながらも、最後には神を完全に信じて死んでゆくサラァを、私は好きになった。そして、少しうらやましくも思った。
特に好きな部分は、中盤、サラァの日記の部分。ここを読むと、等身大の彼女の心の葛藤が、まるで自分のことのように感じられてせつなくなる。

日記・・・この中に、サラァは、精一杯に包み隠さずに自分の正直な心を刻んでゆく。
日記・・・とは何だろう。と、思わず考えてしまった。
一冊の自分以外の誰も見ることのないノートに、書いていくものだったのだろう、本来は。
ここ(ブログ「Wonderful World」)は、私の日記帳のようなもののはずだけれども、私はとてもサラァのようにヒリヒリするような生身の心をすべてむき出しにして書くことはできない。
ここだからこそ書きたい、見てもらいたい、共有してもらいたい、と思うことがあり、私は自分自身を発信していくことが、基本的に好きなのだと思う。
でも、ときどき、知り合いも多く見て下さっているここだからこそ書けないこともある。
書き付けていく日々は私の日々の、そして心の、リアルタイムの記録であるはずだけれども・・・。記号のようにちりばめられた真実の断片を読めば、その時の自分の心を、今は思い出すことができるけれど、時が経てば経つほどに、文字に書かれなかった真実はこぼれ落ちて記憶の彼方に沈んでいくだろう。
それでも、やはり、生活の、そして心の、すべて、すべてを書くことはできない。
そもそも日記とは、公開することを前提に書かれるものなのだろうか・・・。なんて、私のブログに対するスタンスが漠然としているので、こんなことを思ったりするのだろうか。

映画や本や音楽の感想を書いても、それはやはり、総て私自身の現在の心と、直接にリンクしている。

そのようなわけで、1月の読書会のために読んだこの作品『情事の終り』も、「読書会でこんな本を読みました♪」という、私の日々の記録でもあり、また、この作品の中からどこを引用したかによって、今の私の心には何が響くかという心の状態の記録にもなっている。

この作品で描かれていたテーマ。
愛するということ。
そして、神を信じることの困難さ・・・それでも「何か」を求めずにはいられない心・・・。
これらはまさに、今、現在の私自身のテーマでもある。


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mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
・マドレデウス

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