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2008/12/24 (Wed) 命名

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メリークリスマス☆☆☆
 

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数年前、北海道・旭川に一人旅した時に
自分へのおみやげに買ったガラス製のハート♡



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みなさんにとって、素敵なクリスマスになりますように・・・。


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幸せを祈っています。

●ベビィの名前

メリークリスマス☆
クリスマス・イブです。
帝王切開での出産日・イブです。
ママになる日・イブです。
いよいよ明日、我が娘との初対面です。
ドキドキします。

私たちの娘の名前・・・。
「愛」
あい、と、名付けることにしました。

夏、つわりが終わった頃、空(夫)が、
「『愛(あい)』はどう?生きていく上で、いちばん大切なものだと思うから・・・。」
と提案してくれ、私もすぐにピン!ときて、
「うん!それがいいね!」
と、大賛成しました。
その日から、女の子だったら「愛」にすると二人で決めていました。
(男の子の名前は、これ、というものが決められず・・・。結局女の子で良かった!)
これまでおなかに向かって毎日、
「愛ちゃん。」
と、呼びかけてきました。
とてもいい名前だと気に入っています。

名前は、「命」の次に、私たちが娘に贈ることのできる最大の贈り物かもしれません。
私たちは、明日私たちのもとへ生まれてきてくれる娘に、「愛」という名を、心を込めて贈りたいと思います。


●愛

「愛」
という言葉。
この数ヶ月ずっとおなかに向かって「愛」と呼びかけながら、その言葉の持つ意味を、繰り返し何度も考えてきました。
「愛」は、「愛する」という意味です。
「愛される」人になって欲しい・・・というよりも、たくさんたくさん「愛する」人になって欲しい、と願っています。
世界を、人を、人生を・・・ありとあらゆる真善美なるものを、愛して生きて欲しいです。
そして、私たちは、ベビィにありったけの愛をそそいで、育てていきたいと張り切っています。

「愛」という言葉で、私の頭にまず浮かんでくるのは、聖書の中にある「コリント人への手紙」の一節です。(クリスチャンではないのですが・・・。)

は寛容であり 
情け深い
また、ねたむことをしない
は高ぶらない 
誇らない
自分の利益を求めない
いらだたない 
恨みをいだかない
不義を喜ばないで 真理を喜ぶ
そして
すべてを忍び
すべてを望み
すべてを信じ
すべてを耐える
はいつまでも絶えることがない
(新約聖書「コリント人への第一の手紙」より)

愛とは、甘ったるいものではなく、とても厳しいものを含んでいることを感じます。
「真に愛のある人になる」というのは、究極の大変なことかもしれません。
でも、すべてを忍び、すべてを望み、すべてを信じ、すべてを耐える・・・そんなことを長い人生をかけて求めて生きていけたら・・・道を見失うことなくいられるのではと、思ったりします。

それから、私の座右の銘でもある大好きな作家ヘルマン・ヘッセの言葉。

世界と人生をすること
苦しい時にもすること
太陽の光を感謝して受け取ること
苦しみの中でも微笑みを忘れないこと
(ヘルマン・ヘッセ)

さらに、これらも大好きなヘッセの言葉。

柔は剛よりも強い
水は岩よりも強い
は暴力よりも強い
(ヘルマン・ヘッセ)

私にとって大切なのは、
この世をすること
それを軽蔑しないこと、
この世と自分を憎まないこと、
この世と自分と全てのものを、
と感嘆と畏敬の念を持って眺めうることである。
(ヘルマン・ヘッセ)

一人の人間がさまざまな強い感情を持って、
それを追い払ったり無理に押さえつけたりせずに生かしきって、
大切に享受しているところでは、
いたるところに幸福があった。
美は、それを持っている人を幸福にするのではなく、
それを愛し、讃美することのできる人を幸福にした。
一見したところさまざまな感情があったけれど、
根底においてそれはひとつのものであった。
すべての感情を意志と呼んでもいいし、
どんな名で呼んでもいいだろう。
私はそれを愛と名付ける。
幸せとは愛であり、それ以外の何ものでもない。
愛することのできる者は、幸せである。
私たちの魂に、魂自身の存在を感じとらせ、
魂が生きていることを感じとらせる魂の動きは、
どれもすべてである。
それゆえ幸せである者は、
たくさん愛することのできる者である。
しかし、愛することと恋いこがれることは同じものではない。
愛とは、恋いこがれる欲求が叡智を獲得したものである。
愛は所有することを求めない。
愛はただ、愛することだけを望む。
(ヘルマン・ヘッセ)


そして、友達の結婚式に贈った、この詩の一節も心にのぼってきます。

あい はるかな過去を忘れないこと
  見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
  命をかけて生きること
(谷川俊太郎「あい」より一部抜粋)


最後に、やはり、大好きなマザーテレサの言葉。

憎しみに
争いに和解を
分裂に一致を
疑いに信頼を
誤りに真理を
絶望に希望を
悲しみに喜びを
闇に光を
もたらすことができますように

なぐさめられるよりも なぐさめることを
理解されるよりも 理解することを
愛されるよりも 愛することを
求めることができますように

与えることによって 与えられ
許すことによって 許され
命を投げ出すことによって
永遠に生きることができるのだから
(マザーテレサが愛した 聖フランチェスコの祈り より)

私たちの小さな愛ちゃんが、「クリスマス」という日を選んで生まれてきてくるのも、ずっと呼びかけてきた名前を思えば、やはり運命なのかなぁと思ったりしてしまいます。


●愛へ

愛ちゃん。

明日、・・・やっと会えるね!
4月に愛ちゃんがママのおなかに来てくれた時からずっと、愛ちゃんの顔を見て、抱きしめて、ほっぺにチューできる日を待っていたよ。

ママは、とってもとっても楽しみです。
パパも、とってもとっても楽しみにしているよ。
ママも、パパも、愛ちゃんのことが、大好きです。

ずっと過ごしたママの狭いおなかから出て、手足を思い切り伸ばしてね。
初めて見る光はまぶしいかもしれないけれど・・・。
空気はおなかの中よりも冷たくて、少しびっくりするかもしれないけれど・・・。
でも、すぐにたくさんの温かい手が、ふんわりしたハグが、優しい声が、あなたを包んでくれるよ。
みんな、あなたの誕生を待っているよ。

これからは、3人ずっと一緒だよ。
たくさんたくさん一緒に笑って、毎日を過ごそうね。

どうぞ、元気に生まれてきてね。
ママ、待ってるね!

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この中に、「愛」がつまっています。



*明日から入院、その後はしばらく実家に帰ります。
 しばらくお返事ができないと思うので、コメント欄はクローズしますね。
 みなさん、どうぞ身体に気をつけて、お過ごし下さいね。
 みなさんの毎日がハッピーでありますように・・・。 

 愛が無事に産まれてくるよう、どうぞ、祈っていてくださいね☆


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2008/10/26 (Sun) みんなしあわせで

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久しぶりに、
「写真を撮りたい!」
と思わせてくれた花。


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朝一番に。
仕事の前に。

★みんなしあわせで

秋ですね~。
私の日々は、穏やかにやさしく過ぎていきます。

妊娠八ヶ月目。
体調も良く、経過は順調。
仕事も、周りに支えられながら頑張っているし、料理も楽しく続けています。
時間があれば、本を読み、資格の勉強をして、お散歩に買い物・・・。
空(夫)は相変わらずマメで優しく、大事にしてくれています。

ますますベビィに会うのが楽しみで、楽しみで・・・。
私自身は何の問題もなく、幸福な日々・・・のはずですが。

ただ思うのは、私は、
「自分だけが幸せなのでは、決して幸せだと思えないのだ」
ということ。
「みんなに幸せでいて欲しい」
というのが、今本当に切実で、ひたすらな願いです。

心に哀しみの雲がかかっている。
身近な愛する人たちの苦しみや涙は、自分のこととして、私の心を悲しませます。
まずは身近な愛する人たちよ、どうぞ、幸せでいて下さい。

空くん。
私のパパとママ。
二人の妹たち。
おいっ子のヒロ君。
おばあちゃん。
大好きな友人たち。
空の実家の家族たち・・・・・。

まず最初は、私を取り囲むその人たちが、毎日元気で、
「とってもしあわせだよ~。」
って、笑っていくれていたら、私はどんなにどんなに嬉しいだろう。

でも、人生はそんなにうまくいくことばかりではないですね。
それぞれ必死に生きているのに、みんな「幸せでいたい」と願っているはずなのに、順調にいくことばかりではないのはなぜでしょう。

『出家とその弟子』の中で、作家・倉田百三は、
「私には世界は悲しみの谷のごとくに見えます。」
と書きました。
今、何だかその言葉が、やけにくりかえし胸に響きます。

テレビをつけても、悲しくなるような事件ばかり。
信じられない食品の安全。
人間というものの恐ろしさやエゴに目をそむけたくなる事件の数々。
特に、今は私も妊婦だからでしょうか。妊婦が病院を7つもたらい回しされて亡くなった事件にはショックを受けました。
また、ひき逃げの車に3キロも引きずられ亡くなった男性には、2歳の男の子がいて、さらに奥さんのおなかの中には赤ちゃんがいたとか。

その方たちも、赤ちゃんを無事に産んで、家族仲良く楽しく暮らせる未来を思い描いていたはずなのに・・・。
平穏な日常は、一枚めくると思いもかけない恐ろしい表情を潜ませているものなのですね。
こんなとき、神さまは本当にいるのだろうか、と、疑いたくなってしまいます。


今の私たちの一番の楽しみは、おなかの中のベビィの存在。
ベビィは希望。
ベビィは未来。
ただ、この世に生まれてきてくれるだけで、それだけで、私たちをたくさんたくさん幸せにしてくれるだろうと思います。
呼吸して、眠って、オッパイを飲んで、手足を動かして、おしっこやうんちをして、ちいさなあくびやげっぷやしゃっくり。
ただそうしていてくれるだけで、みんなを笑顔にしてくれるでしょう。

空(夫)と二人、動くおなかに手を当てて、毎日ベビィに話しかけています。
「ママとパパは、ベビィのことが大大大好きだよ~!
なぁんにも心配ないからね。
安心して生まれておいで。
この世はこわいところじゃないよ。
たくさんの愛が、あなたを待っているんだよ。」
パパとママは、ありったけの「愛」をあなたに贈りたいと、心から思って待っています。
たくさんたくさん愛したいと、あなたのいる日々を、楽しみに待ち望んでいます。
ベビィの顔を見られるまで、あと2ヶ月と少々です。

今、悲しみや苦しみや憂いの中にいる身近な愛する人たち。
あなたの悲しみは、私の悲しみ。
あなたの苦しみは、私の苦しみ。
あなたの憂いは、私の憂いです。

みんなみんな、どうぞ、どうぞ、しあわせでいてください。
いったい私に何ができるだろう、と、必死で考えているところです。

どうぞ、どうぞ、しあわせで・・・。
しあわせで・・・。
しあわせで・・・。


生まれてくるベビィを取り囲む世界が、幸福や笑顔に満たされていますように・・・。



2008/08/28 (Thu) 潮時

●『潮時』

毎月の読書会で、長年にわたってお世話になっている尊敬する紳士・Jさん。
誰でも知っている大きな会社を定年退職されてもう十数年・・・。
奥様とお二人で旅行をしたり、文学を研究したり、生活を楽しんでいらっしゃる。
Jさんの南の太陽の下で生まれ育った明るく気さくなお人柄が大好きだ。
心の若々しさ、研究熱心さは、私たちに欠かせない刺激と元気の源。
いつも冗談ばかりおっしゃりながらも、軸がぶれないのは、50年以上にわたるキリスト教への信仰を大事になさっているからだろうか。
Jさんの波乱に富んだライフストーリーだけでも、何冊もの本になるような面白さだ。
私たちはよく、読書会終了後に食事をしながらJさんの話を聞くのだけれど、聞けば聞くほどに引き込まれる。
私は、困ったことがあると、ときどき、Jさんに相談する。
すると、不思議と笑顔で前に進むことができるようなエネルギーを下さる。


そのJさんが、ある時なにげなくお話しして下さったことが心に残ったので、書きとめておきたい。
それは、Jさんの娘さんの話だ。
彼には、私よりずっと年上のお嬢さんがいらっしゃる。

「私の娘はね、学生時代から熱心に演劇をやっておったんですよ。
もう、寝ても覚めても、演劇、演劇で、芝居のことで頭がいっぱい。
そのうち有名な○川○夫とかいう演出家の舞台に出たり、はてには自分で、自分の劇団まで立ち上げてね。
本当に一生懸命やっておりましたよ。
この子は一生芝居の道で生きていくつもりなんじゃないか・・・と、思いながら見ていましたよ。

ところがね、命がけでやってきた芝居を、三十歳になったときに、突然パタッと、やめてしまったんです。
それはもう鮮やかに、見事なまでにスッパリとやめましたよ。
惜しげもなく・・・。
その後すぐに結婚して、それ以来今まで十年以上、いっさい芝居とはかかわりのない生活です。
今は、夫と一緒に、それまでとはまったく畑違いの『医療ジャーナリスト』として、世界を飛び回って活躍していますよ。

芝居をやめたその頃は、
『どうしてやめたんだ?』
とは聞きませんでしたがね・・・・。
先日、娘と久しぶりに会ったときに、二人で食事しながらね、娘が言ったんです。
『お父さん、あの時が、ちょうど”潮時”だったのよ。』
ってね・・・。
やめて十年経つ今だからこそ、出てきた言葉かもしれないですね。

『”潮時”か・・・。なるほどなぁ・・・。』、と思いましたよ。
それはもう、まさに、
『潮時』
としか言いようのない瞬間が、娘に訪れたのだ、ということなんでしょうね・・・。
その一言で、深く納得しましたよ。
人生には、
『潮時』
っちゅうもんが、たしかにあるってことですよ。
私自身の人生を振り返っても、『潮時』という言葉でしか説明できなような瞬間がいくつもありましたよ。
それは、逃しちゃいけない・・・逃れることのできない運命の決めた時期というものなんでしょう。

『見るべきほどのものは見つ・・・』
その芝居という世界で、”彼女が”見るべきものは、見尽くした、という瞬間。
”彼女が”やるべきことは、すでにやり終えた、という瞬間。
その瞬間の訪れは、人それぞれに違う時期なんだと思いますが、うちの娘の場合は、芝居をやめて結婚したその時が、ちょうど『潮時』だったんですね・・・。

そして、ちゃんと『潮時』をとらえることができたなら、神さまは、ちゃんと次のすばらしい道を備えておいてくれるもんですよ。
『医療ジャーナリスト』という、それまでとはまったく違う分野を、娘はかつては想像していなかったと思いますが。
でも、一から勉強を始め、パソコンをマスターすることからスタートして、今こうして、新たな道で必要とされて、夫と二人三脚で毎日充実して忙しく活躍している。
本当に、不思議と上手くできているものだと思いますよ・・・。」

今、踊りを離れ、結婚し、母になろうとする私を見て、自分の娘さんと重なるところを感じて話してくださったのだろう。
Jさんは、クリスチャンだからだろうか。
自分の存在をはるかに超えた大いなるものの「意思」を信頼する心を感じる。
「神さまのなさることには、はっきりとした意図があるのだ。」
という意識。
「私の人生の道も、神さまの手の内にあるのだ。」
という信頼感。
その信頼感があれば、人生は恐くない。
聖書の言葉で言うなら、
『すべてに時あり』
『主の山に備えあり』
だ。

そしてまた・・・。
私にJさんという存在がいて、こういう話を聞かせて下さることも。
それもまた、備えられ、与えられたことなのだろう。

訪れるべくして訪れる「潮時」・・・。
そして、すでに備えられ、準備されている「新たな道」・・・。
しがみついて来た手を離し、いったん自由になる。
その時が『潮時』。

『潮時』を受け入れることができれば、ちゃんと次の道が待っている。
バカボンのパパのように、
「これでいいのだ!」
と、大きくうなずいて、自分や人生をそのまま受け入れて、笑顔で力強く前へ前へと歩いていくことができる。

しがみつき続けていたら、見えなかったもの。
しがみつき続けていたら、得られなかったもの。
そういうものが確かにあることを感じる。

みんな、日々何かを手放し、何かを手に入れながら生きている。
実は、大きなものを手放せば手放すほど、代償として手に入るものも大きい。
大きなものを得ようと思ったら、代わりに何かを手放さなければならない。
でも、いくら何を手放そうとも、それまで過ごしてきた時間の中から得たもの、学んだこと、積み重ねてきた「経験」は、永遠に失われることなく、血となり、肉となって、存在し続ける。
Jさんは、
「それだから『潮時』が訪れたら、手放すべきなんだ、手放すことを怖れる必要はまったくないのだ」
と、教えてくれた。

「結婚する」ということは、「独身」である自分との決別。
「お母さんになる」、ということは、「お母さんではない」自分を、永遠に手放すこと。
でも、どちらの方が価値が高いとは言えない。
きっと重さは同じ。
ただ、内容が違う、ということ。
「黄金1kg」と、「鉄くず1kg」を交換してしまうのか・・・。
はたまた、「土1kg」と、「ダイヤモンド1kg」を交換するのか・・・。
それは、それぞれの価値観で、もしかすると黄金よりも鉄くずの方が利用価値が高いかもしれない。
ダイヤモンドは美しい。けれど、土からは植物や生物、新たな命を生み出すことができるかもしれない。
「幸福」には、見た目の華やかさや、一般的な市場価値だけでは、はかりきれないものがある。
自分にとっての「幸福」とは何なのか。
「自分」は何を手放し、何を手に入れるのか・・・。
それを、よく見つめ考えることが大事なのだろう。

『潮時』
という言葉、深く心に残った。


2008/04/17 (Thu) 神さまの荒治療

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この桜は小彼岸(コヒガン)。



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染井吉野より花は少しだけ小さく、淡いピンクが華やか。


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上に上に登る枝に、びっしりと小さな花が着いています。



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そう大きくならないといわれる小彼岸ですが、
ここ、新宿御苑では見事な大樹を見ることができます。



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花の中央と萼の赤さがかわいらしい。



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●小彼岸(コヒガン)

マメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられている栽培品種。
「彼岸桜」とも呼ぶが、エドヒガンとまぎらわしい。
「彼岸桜」の記録は古く、江戸時代初期には栽培されていたようである。
花は淡紅色の小輪一重で染井吉野よりも早く咲く。
花はエドヒガンに似ているが萼筒のくびれた部分が長く、花は大きい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この春、私の身に突然起きたできごと(フラメンコのスタジオを離れることになったこと)について、いったいそれが人生においてどんな意味を持つことなのか、しばらく考え続けていますが、まだ考えがまとまりません。
(もったいつけているわけではないのですが・・・、まとまるまで時間がかかりそうです。)
突然、のように見えるけれどでも、きっとすべては突然ではなく、水の流れのように脈々と準備されこの結末へと向かってながれてきつつあったことなのかな。
その流れが私に見えていなかっただけで・・・。

「すべてに時あり」
と聖書に書いてあります。
すべてのできごとにはふさわしい「時」があるのでしょう。
それが、偶然にも結婚の時期と重なり、この春は私にとって大きな転機となりました。
スタジオを離れたこと。
結婚したこと。
こんな大きなできごとが偶然重なるのは、どう考えても人生の大きな転換期ですね。
人生のひとつの「章(チャプター)」が終わり、ページはめくられ、次の「章(チャプター)」へと進む時期なのでしょう。

そんな時・・・、スポーツクラブの待合室で時間つぶしにたまたま開いた雑誌に、ふとある文章を見つけました。それもまた
「主の山に備えあり(聖書)」
だと思いました。
もし神さまがいるなら、きっと、私に今まさに必要な文章だろうと備えておいてくれていた雑誌だと、そんな風に思いました。

それはこんな文章でした。
もし、私のように、人生の転換期にさしかかって考えこんでいる人がいるなら、何らかの力になればと思い、引用したいと思います。

以下すべて、雑誌『美的』4月号 巻頭の奥田弘美さんのエッセイより引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイトル
「自分から離れていくものはいさぎよく手放すべし
あいた手で必ず新しいものをつかめると信じて」

仕事も恋も友人も・・・
大切にしていたのに離れていくものは、
新しい出会いのための”神さまの荒治療”ととらえよう。

今回のテーマは仕事でも、恋愛でも、友人関係でも、すべてに共通します。
自分ではベストを尽くしてきた、また大切にしてきた仕事や人間関係があるとします。
それがみずからの意思に反して、離れていこうとしたら、あなたはどうしますか?
(略)
私はこれを”神さまの荒治療”と呼んでいます。
精神的にはつらかったり、寂しかったり、傷つく経験ではあるけれど、より大きなチャンスをつかむための試練ととらえるのです。
たとえば、やりがいのある大変な仕事は、いままで両手で必死につかんでいたといえます。
また、大好きな彼や、心を許した親友は、両手で大切に包みこんできたでしょう。
でも、自分の思いとは裏腹に、それらが手から離れていこうとするなら、実は”手放しどき”でもあるのです。
最善を尽くしても離れていくものは、そもそもそういう運命なのです。
逆に、今までふさがっていた両手があいた、と考えてみましょう。
これまでは手に取ることができなかったチャンスや出会いが、望みのまま取り放題になるのです。
そう考えると、決してマイナスではないでしょう?
(略)
もちろん、いさぎよく決別するのは容易なことではありません。
でも、あなたの手があけば、いつでも次の世界をつかむことができるのです。
別れはむしろ新たなるチャンスの到来と思って、前向きに変化を受け入れてみましょう。
なりたい自分を手に入れるためには、荒治療も必要なこと。
不意打ちの不幸やトラブルにも負けず、みなさんがいつもポジティブでいられるよう心から願っています。



2008/02/02 (Sat) 夢の話

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これは逆さま写真ではなく、
大きな木の幹のそばに立って枝越しに空を見上げたもの。
暗い冬の空からも光がさしています。



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その木の枝にはカラスが二匹とまっていて、
「寒いねぇ。」「寒いよねぇ。」
と、会話していました。

★夢の話

最近、何だか夢見が悪い。
困ったことに、現実より夢の中のほうが、イヤなことが多いような気がする。
何か、私の心に引っかかっていることがあるのかなぁ。
ハッキリと思い当たらないから、むしろやっかいだ。
ユング派の臨床心理学者・河合隼雄さんの本をこの半年ほど集中して読んできたので、「夢」に対する興味が以前より沸いてきた。
「夢」は、想像以上に豊かな世界であり、深層心理と深くつながっていることを知った。
だから、アッという間にツルツルと流しそうめんのように忘却の彼方へと流れていく「夢」のしっぽを、できるかぎり「はしっ」とつかまえて思い返し、心にとどめて反芻するようにしている。
私の心に、そして心の奥の奥に、何があるのかなぁ・・・と考えながら。

私の場合、夢の舞台はフラメンコ関係の場であることが多い。
そして、実際に現実で感じていたり起きていたりする出来事と、まったく関係がなかったり、すごく悪い形にゆがんでいたりするから不思議だ。

夢①
本番直前なのに、衣装を忘れたことに気付いた!!
もう家まで取りに戻るヒマはない、どうしよう・・・!!!
何とかごまかせないか、いや、無理だ、もう、普段着で踊るしかない・・・!?
ああ、でも、靴もないよ~~~~~!!裸足か?!


衣装を忘れた夢、これはすごくよく見る。
何とかごまかせないか、なんて考えているところがダメダメで、我ながら情けない。

夢②
舞台そでに立っていて、どうしても、最初の振りを思い出せない!!
隣にいる仲間に 「ねぇ、最初の振り、なんだっけ?」 と聞くと、絶対あり得ないような、手をアヒルの口ばしのように口元に持ってきてグワッグワッと突きだすような、ふざけた振りを教えられる。(笑)
「そんな振りのわけないでしょ!!イジワルしないで、本当のことを教えてよ!!」 と、必死で怒りと困惑の中でお願いするのだけれど、笑いながら、 「だから、こうだって~。」 と、アヒルの口ダンスを繰り返す。
・・・で、もうどうしようもないと、怒りと困惑のまま、やけっぱちになって舞台へ出ていくと・・・!
なんと、最初の振りは本当にアヒルの口ダンスだった・・・!!
「ああ・・・ほんとうにこれだったんだ・・・・・。ヒロ君先生の振り付けは、何でもありなんだった~。」
ガックリ・・・。

振りを忘れて困っている夢も少なくない。
さすがにこんなことは、現実ではないはずなのだけれど・・。 

夢③
『曽根崎』の本番前、天満屋のシーンの遊女の衣装を、M軍曹が並べて舞踊団員に配布している。
「私の衣装は・・・?」 と探すけれど、見あたらない。
(他の人とは色が違うのですぐ分かる。)
ふと見ると、スタジオの初級クラスの生徒の○○さん(実在!)が、勝手に私の衣装を着て鼻歌まじりにゴキゲンで嬉しそうにフラフラ~とスタジオを出ていく。
「ちょっとまって!それ、私の衣装だから・・・!!」 慌てて追いかける。
(そこからちょっとさまざまな出来事があり・・・車に乗ったりレストランへ行ったり。)
やっとのことで衣装を取り戻して帰ると、もうみんな、衣装も着てメイクも済んでいる。
「開演まであと10分だよ」と冷たく言われ、みんな私をほったらかして置き去りに、ゾロゾロ舞台そでへ行ってしまう。
私は動揺と焦りの中、必死にメイクをはじめる・・・。
けれど、あと10分で準備できるのだろうか!? むりだ!1時間はかかるもの。
どうしよう。半べそ・・・。焦りで手がふるえる。
 

これは、焦ったなぁ・・・。みんなの冷たさもつらかった。
でも実は、もし実際にこんなことがあったら、必死でさまざまに手助けしてくれるはずの頼もしく温かい仲間たちなのだ。

夢④
バラエティー番組の罰ゲームで見るような、すごい急傾斜になっているすべり台のような野外の舞台で、群舞で踊らなければならず、真由美先生に「みんな、バランス感覚がない!!」と、怒られながら軍隊のような厳しい指導を受けている・・・。
(みんな真剣で、空気は凍りついている。)
けれど、みんなバランスを保てずに、ゴロゴロと転がり落ちてしまう。
(もちろん笑いはない。)
一人、また一人、と脱落してゆく友の気配を、踊りながら戦慄の思いで感じている。
私も、次に回転したら、きっともう危ない・・・・!!

命がけ感が目覚めた後も残っていた。 

夢⑤
ヒロ君先生渾身の新作を上演中、という設定。
白とピンクにキラキラ輝く舞台中央にはミラーボールがパール色の光を放ちながら回っている。
真由美先生とヒロ君先生が、プレスリーのような白くキラキラ輝くつなぎの衣装で、華々しく踊っている(笑)。
(実際の私たちの舞台と比べると、ちょっと安っぽくて俗っぽい。真珠色に輝いたキッチュな世界。マツケンサンバ・真珠バーションみたいな!?)
私は花道の上にうつぶせに横たわってみんなと並んで、親友JJの隣にいる(という場面)。
「次に起きあがってから何をするのか、そういえばまだ知らなかった~。」 と思い、小声でJJに、 「次何やればいいんだっけ?」 と聞くと、 「実は、この場面まだちゃんと決まって無いんだよ。順番に起きあがってテキトーな感じでうまいこと踊って、って言われているだけ。でも、やるしかないから、とりあえず、ヒロ君先生が今やっている振りの感じで踊ろう。今まで、さんざん色々経験してきたんだもん、何とかなるよ。まぁとりあえず適当にごまかせばいいよ。私先に行くね。」 と、パーッと立ち上がって、パールに輝く世界(笑)に行ってしまう。
こっそり横目で見ていると、さすがJJ、すごく上手いことごまかしている。
かなり素敵に踊っている様子。(笑)
「よし、まぁ、あんな感じで、とりあえずハデ目に回転しちゃったりすればいいか・・・。」 と、私も、自分のタイミングを見はからって、舞台上へ飛び出す・・・。 


こんなこと、現実にはありえない!!
舞台上で振りが決まってないことなんてないし、いつも、目をつぶっていても踊れるぐらいに確実に繰り返し練習してから本番を迎える。
舞台上で「ごまかそう」とか「てきとーに」ということなんて、ありえないことだ。
見ている人に対しても本当に失礼だ。
でも・・・、夢っておもしろい。
これはちょっと困ったけれどおもしろい夢だった…。


そして昨夜は、舞踊団の中で仲間はずれにされる夢だった。
みんなに冷たくされればされるほど、心は素直さを失い、攻撃的になり、やけっぱちになって、よりいっそうみんなとの関係を決定的に悪くしていってしまうという悪循環の中にいた。
苦しかった~。
(これまた現実では、あり得ない。・・・・と、笑って自信を持って言える。)
目が覚めて、
「ああ、夢で良かった。今生きているのが、この現実で良かった。現実の方がずっといい。」
と思った。

夢は不思議。
私自身の心が私に見せている。
でも、コントロールが効かない。
そして、誰を責めることもできない。

踊りのことをテーマに夢を見ていても、きっと心の中の問題は、別のところにあるのだろう。
ふだん、プラス思考で物事を良い面にとらえようとする。
そのことが、現実の上でうまくいっていればいるほどに、一方では奥深くにしまい込まれてしまう感情があるのかもしれない。
それが、「夢」というものを通して表されるのか。
焦燥感や、苛立ちや、怒り、不安、そういう私の中で抑圧された、マイナスの感情が「踊り」という装置を舞台にストーリーとして展開しているのかもしれない。

もっと良い夢を見るには、どうしたら良いんだろう。
「現実の方が良い」って思うんだから、寝なければいい!?
…なんて、それは無理。(笑)

河合隼雄さんによると、夢を見続けていくと、いつか曼陀羅のようなものを見ることがあるらしい。
いつかそんな時が来るかなぁ。

とりとめもない夢の話。
長くなってしまいました。
夢見たときはイヤな夢だと感じたけれど、書いてみると何だかおもしろい。
これも私の心の記録。


2008/01/29 (Tue) ホセとの対話

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これは蝋梅(ろうばい)
…といっても梅の種類ではありません。
まるで蝋細工のような透きとおる花びらが光を透かします。
甘く、いい香り。


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庭の椿。
今年はこんなに寒いのに例年より早く花が咲き、今なお次々開きます。


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これがホセくん。ジャズ祭の打ち上げで。
こう見えても、まだ30を少し越えたばかり。



●ホセの言葉


「今、この瞬間を生きる」ということ。
それが最も大切なこと。
人間は、過去でも、未来でもなく、ただこの瞬間の中にだけ生きているのだから。
それがわかった瞬間から、生きているということが輝きを放つ。

ただ、深く静かに、一度ずつの呼吸を味わう。
呼吸しているということ、それがまさに生きているということ。
だから、一度ずつの呼吸を、大事にしないといけないんだ。

頭で「考えること」は、疑問を生み出す。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」
・・・問いは尽きることなく生まれ続け、心を苦しめる。
一方、心で「感じること」は、疑問を生まない。
太陽の光、月光、風の音、波の音、音楽や花の美しさを、「考える」のではなく「感じる」。
ただ、心を開いてこの瞬間を受け入れて味わうだけ。
それが満足感を生み、心の平安を生む。

フラメンコの音楽は、ありとあらゆる感情を内包している。
怒りも、哀しみも、喜びも…。
それらを、考えるのではなく、心を開いて受け入れて深く感じればいい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これはすべて、フラメンコの歌い手、ホセ・ガルベスが私に語ったこと。
私は別に、ホセと何かスピリチュアルな話をしようと思って彼の横にいたわけではなかったから、とても驚きました。
そして(こんなこと言ったら図々しいかな?スミマセン)、普段はたわいもない冗談を言って笑っているホセもきっと、誰にでもこんな話をするわけではないと思います。
不思議なことに、なぜそんな話をすることになったのか、きっかけはまったく思い出せないのです。

ただ、「ジャズ祭」の楽屋の外の広いロビー、壁一面ガラス張りの窓の外から、午後の光が静かに差し込む中に、ホセがぽつんと一人で坐っていたので、「Hola!」と話しかけ、横に坐っただけなのです。
でも不思議なことに、ホセがこの話をはじめた瞬間に、私のスペイン語のヒアリング能力が一気にアップしたのです。
…と言うよりも、スペイン語と日本語、というものをすっかり越えてしまって、言葉が直接心に響いてくるような、そんな感じ。
ホセが何をいっているのか、すごくよく分かる気がしました。

私も、なぜか思っていることがいつもよりずっとスムーズにスペイン語になります。
翻訳こんにゃく(「ドラえもん」に出てくるアイテム)でも食べちゃったかなぁ!?
「あのね、私は花の写真を撮ることが好きなんだけれど、花をじーっと見つめているとね…小さな花の中に、まるで宇宙のような広い世界が見えてくる気がするの。」
と言うと、
肩をすくめて、
「もちろん!」
だって!
ホセは、
「そうに決まっているじゃないか。当然だろ。何を今さらそんな当たり前のことをいっているのさ。」
…という顔をして肩をすくめます。

ホセと、普段心の中で思っていたり感じていたりするけれどなかなか人とは話す機会の無いような大事なことを、短い時間のあいだに、なぜだかスラスラと話すことができました。

まるで、同じ星から地球にやってきた同郷宇宙人仲間に偶然出会ったような、そんな不思議な嬉しい感覚。
日本語の話せる日本人同士でも、なかなかこんな話ってできないなぁ・・・。
うん、こういうことをまっすぐ話せる人って、少しいるけれど、そう多くない。

ホセはジャズ祭の翌日、帰ってしまいましたが、打ち上げから帰るときに、
「ホセ、また小さな花の話をしようね!」
と言うと、ニッコリと笑って、hug&ほっぺにchuをしてくれました。
強いスペインの香水の匂い。ヘレスのフラメンコファミリーに生まれ、フラメンコの道をひたすら歩んできた人間独特の匂いがしました。

そして実は、同じ職場のイギリス人、ポッターくん(私のカメラの先生でもあります)も同じ星からやってきた同郷宇宙人仲間(?)です。
ポッターくんと話していると、ほとんど英語で話していることを忘れます。
(私は英語もスペイン語も片言程度しか話せないのに、なぜかお互いに言っていることが通じてしまうのです。)
スペイン人のホセは、フラメンコの歌い手、という芸術家。
イギリス人のポッターくんも、花を見つめ、美しい写真を撮る人。
私の好きなフラメンコの道を生きてきたホセ、そして私の好きな花の写真についての先輩であるポッターくん。
彼らは、それぞれの道を究めてゆく過程の中で、私が発見しつつある真実に、私より先に辿り着いているような…。
そして、彼らの話す真実…宇宙を流れる原則のようなものが、私の心にすっぽりと入り込むのは、それらが「私にとって」すごく大事なことで、必要なことで、本当のことだから。

翌日職場でポッターくんに、
「昨日ね、不思議なことがあって…。
ホセというフラメンコの歌い手とこんな素敵な話をしたの。」
と話しました。
ポッターくんもまた、さもありなん、といった様子でうなずいています。
ポッターくんは言いました。

「ミラクルはね、とまることなく、雨のように毎日毎秒、降りそそいでいるんだ。
でも、みんな心を閉ざして、ミラクルという雨から自分をブロックするために傘をさしてバリアーを張ってしまうから、ミラクルを受けとめられずにいる。
でも、もし心を開いたら…、いつも、素晴らしいミラクルに出会うことができるんだよ。
Marは、心を開いていたから、彼に『宇宙の真実を話そう』という気を起こさせたのだし、
彼との会話を、心で受けとめることができたんだよ。
そして、彼が話したことは、本当はすべての人が分かっているはずのことなんだ。
だって、それは真実なんだから・・・。」


私はしょっちゅう、ポッターくんの撮る写真の美しさに感動しながら、
「彼には、世界がこんなにも美しく見えているのだなぁ」
と感じます。

ミラクル…。
かぁ。
ふとした瞬間に、隣にいた人が、急に「預言者」に変身し、神からのお告げのように(?笑)大事なことを告げてくれる。

その時は、外国語という壁が取り払われる。
そんな瞬間は、確かにミラクルかもしれないなぁ。
…でも次の瞬間にはもう、普通の人に戻って、たわいもない現実的なことを言っていたり、急に会話が片言に戻って、相手の言うことが半分もわからなくなっていたりね(笑)。

ホセが私に教えてくれたこと、一人だけの胸にしまっておくのはもったいないので、みなさんにもお伝えしました。
どうぞ、傘をささずにいてくださいね。

みなさんも、絶え間なく降りそそぎ続けているミラクルを、頭で考えず心で感じ受け入れ、今この瞬間生きていることの輝きを、深い呼吸と共に静かに味わってくれますように。


*前の記事にコメント下さったみなさん、本当にありがとうございます!
ゆっくりお返事書きたいので、明日まで少々お待ち下さい♪
今日も練習に行って来ま~すヽ( ´ ▽ ` )ノ ♪


2008/01/12 (Sat) 消えた時間

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姫リンゴ。
春にはあんなにかわいい白い花とピンクのつぼみを華やかにつけていたのに、
(姫リンゴの花の写真はこちら。)
http://lunasolmilcoco.blog68.fc2.com/blog-entry-111.html
今は、葉の落ちた枝にこの実ひとつだけ。

2008_0104days0163.jpg
こちらはにぎやかに明るく。l
この木の名は万両。
赤い実がかわいい。

2008_0104days0167.jpg
これは日本古来からの植物、南天。
難を転じる…ということで好まれるとか。



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これも南天。


2008_0104days0196.jpg
これまた南天。
私のデジカメは、「赤」という色を写すのが苦手らしい。
光ってしまったけれど、あまりにたくさんでかわいいので載せます。


2008_0104days0198.jpg
これもまた南天。
明るい植物を写すときは背景を暗く…
というアドバイスをもらったので、意識してみました。


最近、「私だけの心の時間」は、一体どこへ消えてしまったのだろう…と思います。
一日は24時間。
それは変わりないはずなのに、前はできたけれど今はできないことがあります。

「私だけの心の時間」とは…。
こうしてパソコンの前に落ち着いて坐って、花の写真を選び、ブログを書く時間。
眠くなるまでゆっくり本を読む時間。
そんな、ささやかだけれど、私の心に欠かせない時間を持つことが、なかなかにムズカシイ日々です。

仕事や踊りは今までと変わらない。
でも、「生活する」ということが、私の日々に登場し、アッという間に私の時間を占有してしまいました。
自分だけで、洗濯、料理、買い物、掃除………。
こう書けば簡単なことのようだけれど。そう、そして、大げさではない、当たり前のこと、のはずなのだけれど。
それぞれひとつずつ、実際やるためには、それにまつわる数え切れないほどたくさんの、やるべきことがあることを知りました。
そして、まだ私の中でうまく歯車がかみ合っていないような…。

買い物の荷物は重いですね。牛乳に野菜ジュース、ジャガイモにお米・・・。
買い物して帰ると、ビニール袋やパッケージやタグ、冷蔵庫に冷凍庫に、棚にしまって…。荷物を片づけるまでにまた一苦労ありますね。
生活すればゴミも出る。私、超マジメに分類します。
ホコリって、一体どこからあんなにあらわれるの?前の日の夜クイックルワイパーしてから眠ったのに、朝になるともうテーブルの下や部屋の隅にホコリがある。最近、家の中にいるときはクイックルワイパーが手放せません。髪の毛一本落ちていても気になる今日この頃…。私こんなに神経質だったかな?
昨日は、朝からカレーを作り、掛け布団、敷きふとんを干し、シーツやタオルケットや枕カバーを洗濯し、えっちらおっちら干して…そんなことしている間にアッという間に時間が過ぎていきます。

それらは楽しいし、苦ではないけれど…。
…これらをメインで担当せずにここまできてしまったことの方が間違ったことなのだけれど…。
でも、私にとっては、まだ時間のかかること。
そして、その中でなかなか「私だけの心の時間」をうまく捻出できずにいます。
職場へゆく運転中の車の中でも、前は、窓の外の季節が移り変わりゆくことに心を向けていたけれど、今は、
「今日はクリーニングを受けとって、…それから、あ、キャベツは絶対に買わなくちゃ。牛乳も無いな…。洗濯物早く帰って取り込まなくちゃ~~~!で、急いでレッスンに出発だぁ。」
などと思っている自分に気付きます。
まだ、その新参者「生活すること」とのつきあいがうまくいっていないのかもしれません。

「何もやらなくて良いよ。」
と、優しく言われるけれど、でも、私が自ら進んで、やりたくてやっていること。
決して、被害者意識は持ちたくないし、自己犠牲、という風にも思いたくない。(自己犠牲こそ美しい生き方だ、なんて、理想論としては思っていても。)不平不満で自分をいっぱいにしたり、義務感に押しつぶされそうになったりもしたくない。
笑いながら、鼻歌を歌いながら、気軽にこなしたい。
私がやらなければ、生活は成り立たないですものね。
空は、毎日夜中まで仕事、土日も仕事。家では短時間、倒れたように眠るだけ。私よりもっともっとずっと大変な毎日を過ごしていて、自分の時間などまったく持てずにいるのですから…。(それでも、休みの日は、私が起きる前に食器は洗ってあるし、洗濯物はたたんであるので驚きます。)
私は今の、自分で選んだこの生活を丁寧に生き、日常のさまざまなことを(面倒くさいことも含め)じっくり味わい、楽しみ、早く(いい意味で)慣れていきたいと思います。
だって、みんなやっていること、やってきたこと…。
私が好き勝手に自分だけの時間を謳歌して踊り続けて来た日々、この負担を家族が(特に母が)代わりに担ってくれていたことに、あらためて心から感謝の気持ちを持ちました。(あ、まったく家事をしなかったわけではなく…「お手伝い」の範囲で免除してもらってきた、ということです。念のため。笑)
みんなが当たり前のようにこなしていること、私にもできないはずがない、ですよね!?

…とはいえ、子供のいる人は、さらに大変だろうなぁと想像します。
私は、子供を持つなら、子供にそそぐ時間と愛情を考えると、よほど大きいものを引き替えにしなければならないだろうと思います。責任も大きいし、相当な覚悟がいりますね。
でも、みんな…、たくさんの人たちが、自分だけの自由な時間を、何かと交換しながら、頑張って生きているんですよね。
母も、
「何かを手に入れるときは、何かを手放さないと無理よ。選択しないと…。」
と言います。母自身、そうして仕事をしながら私たち子供を育てるための時間を、無我夢中で作ってきてくれたのでしょう。

誰しも、自分の時間を、いったい何と交換したのか、検証することは必要でしょう。
でもきっと、これまでには無かったような大きな幸福も、その中にあるはず。
それは、「自分のため」、ではなく、「誰かのため」に生きる時間。
誰かの幸福のために自分をおしみなくそそぐことは、涙ぐみたくなるほど幸福なことだと、頭でも、心でも、よく分かっているつもりだけれど。
…でも、やっぱり欲しいなぁ、「私だけの心の時間」。


…今朝は、雨降り。
洗濯機をまわし(雨なので部屋干し用洗剤です。)、簡単な朝ご飯を一人で作り、一人で食べ、食器を洗い、洗濯物を室内に干し、掃除機をかけ、ゴミをまとめ…。
そうして今、やっと、パソコンの前に坐る時間を持てました。
なんだか、とっても嬉しい。
うん、すごく嬉しい!

午後はずっと、フラメンコのレッスンに行きます。
夜はスタジオの新年会。なんと40名の参加予定…!
みなさんとお話しできるの楽しみだなぁ。
本は、家で時間を持てなくても、移動中の電車の中で読める。
でも、もっとブログ書きたいよぉ。
もっともっと、自分の24時間との付き合い方、上手になっていきたいなぁと思います。

とりとめのない文章になってしまいました。
来週は、仕事にゆとりがあるので、撮りためた写真、たくさんアップしたいと思っています!!


2007/12/24 (Mon) クリスマスに

2007_1218days0111.jpg
これは、花屋さんの店先で「大特価350円」。
貧弱にヨロヨロ咲いていたシクラメン。
家に連れて帰ってほぼ一ヶ月経ちましたが、元気いっぱい!
本来の華やかさを取り戻し、炎の揺らめきのように咲いています。


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シクラメンのうしろに大好きなクリムトの絵を額に入れて飾っています。


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花びらの先のフリルがとっても可愛い。

☆クリスマスに贈る言葉

クリスマスですね。
2007年前、遠く遠くの馬小屋で、小さな赤ちゃんが生まれた日。

大好きな作家ヘルマン・ヘッセがクリスマスカードに書いて送ったという文章を、クリスマスにみなさんに贈りたいと思います。

「所有と権力を求めるためのどんな努力も、私たちからエネルギーをうばい、私たちを貧しくするのに対して、そんなささやかな無私の献身でも、どんなかたちの思いやりでも、どんな愛でも、私たちをよりゆたかにするということは、古今を通じての人生知の不思議な、しかし簡単な秘密です。
それをインド人たちは知っていて、教えた。そしてその後、賢いギリシア人たちが、それからイエスが、そしてそれ以来なお何千人の賢人や詩人たちが教えました。
彼らと同時代の金持ちや王たちが忘れられてしまい、消え去ってしまった一方で、あの賢人や詩人たちの作品は時代を超越して生き続けているのです。
イエスであろうが、ブッダであろうが、プラトンであろうが、シラーであろうが、あるいはスピノサであろうが、君たちは誰の教えを信じても良いでしょう。

人をこの上なく幸せにするのは、権力でも、所有でも、認識でもなく、ただ愛だけだというのが、誰の教えでも究極の叡智なのです。
どんな無私の行為、つまり、愛ゆえの断念も、同情からの行為も、自己犠牲も、すべてことごとく「与える」という行為であり、一種の自己掠奪のように見えるけれど、それはより豊かになることであり、より偉大になることであり、やはり前へ、上へと通じる唯一の道です。
それはひとつの古い歌です。
私は下手な歌い手であり、説教者です。
けれど真理はすたれることなく、それが今、どこか砂漠で説教されようと、ひとつの詩にうたわれようと、新聞に印刷されようと、どんな時代にも、どんなところでも、真理として通用するのです。」
(1907年 「クリスマスに」 ヘルマン・ヘッセ)

今からちょうど百年前のクリスマスに、ヘッセはこの文章を書きました。
愛すること、愛を与えることだけが、唯一無二の道。
愛すること、それだけが、前へ、上へと進むための唯一の道。
ときどきこのことをしっかり思い出して見つめる時間が必要なほどに、人間は(私は)エゴから離れられず、愛することを困難に感じたり、おっくうがったりする生き物だなぁと感じます。
どんどん孤独になって生きるのが苦しいとき、そんな時は、人を愛せず自分自身しか愛していない時、もしくは人は愚か自分自身すら愛していないときです。

「愛する」、というのは大げさなことではなく・・・。
温かい笑顔、優しい言葉、素直に感謝する心・・・そんなささやかなものにこそ、存在しているのかもしれません。

そうは言っても私は、意地っぱりで気むずかしくてへそまがりで毒舌。他人に厳しく自分に甘い。
思い通りに清く優しくは生きられないほど弱く、愚か者だけれど・・・。
時にこうして、大事なことを思い出すのも良いかなぁと思います。
だって、クリスマスですものね!


☆けなげなシクラメン

私は、単純に、「愛情には愛情が還ってくる」、と信じているところがあります。
ダイレクトにすぐその場で与えた本人から、・・・ではなくとも、巡りめぐって・・・。

それは、こんなところからも感じます。
最近、植物を育てながら、「献身的でいじらしいなぁ・・・」と思います。
花はやっぱりとっても優しいんですよ。

安く買ってきたシクラメンふた鉢。
前回載せた白は500円、今回のピンクは350円、どちらも見捨てられかけた見切り品、サービス大特価商品でした。
花屋の店先の冷たい風の中で、細い茎をあちこちバラバラの向きににひょろひょろ倒しかけ、貧弱な花を寒そうに咲かせていました。
なんだかかわいそうになって。美しくゴージャスな花ではなく、こちらを選びました。
それでも今は、真っ直ぐな茎をみずみずしく立たせて、次から次へと美しい花を咲かせています。

連れ帰ってきて、私がしたことは、日中は日当たりのいい場所に移動させることと、様子を見て花と対話しながら適度に水をあげること、たったこれだけです。
あとは、植物そのものの持つ力、太陽の力、水の力、土の力・・・・。
でもシクラメンは、けなげに一生懸命に美しい花を咲かせて、私のしたその何倍もの喜びを返してくれる。
ありがたいなぁ、と思います。
「無私無欲に、ただ命を咲かせることの美しさ」を感じさせてくれて。

うちの犬も猫も、同じです。
手をかける何倍もの愛と喜びを、惜しげもなく返してくれる。
赤ちゃんももちろんそう。
そして、不精者の私は、人にしてあげられていることよりはるかに、色々なことをしてもらってばかり・・・。こんな私に優しくしてくれて、みんな本当にありがとう!
そんな自分を反省しつつ、優しい私になれることを願いながら、のんびりのどかなクリスマスを過ごそうと思います。

みなさんにとっても、いいクリスマスでありますように!


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プロフィール

mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
・マドレデウス

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