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2006/08/27 (Sun) コンクール考

仲間の出場するコンクールを見に行ってきた。
踊りのソロの部門に70人以上が出場し、3日に渡って催される、このジャンルでは最大のコンクールだ。

私も過去数回出場し、今年も出ようか迷って出ないことにした。
だから、久しぶりに客席から落ち着いて最初から最後までコンクールの舞台を見た。
(ここのところ、出演する側だったので、落ち着いて見られなかった・・・)
そして本当に、様々に感じ思うことがあったし、色々考えさせられた。

まずは、全体のレベルがものすごく高いな~、ということ。
この何年も、見に来てくれた人から
「本当にみんな上手くなっていて、今は上手くて当たり前、下手な人がいない、という状態の中で、頭ひとつぬきんでて賞を取るというのは本当に大変なことだよ。よっぽどのインパクトがないと難しいかも・・・。」
と、言われてきたけれど、あまり実感がなかった。
でも、今回自分で見て、本当にその通りだと思った。
本当に、どの人もため息が出るほど上手だ。
リズム感もよく、足も強く、身体もしなやかで、顔も腕も身体も美しい。
素人くさい人などいない・・・。
それが当たり前、というレベル。
誰もが上手すぎて、よっぽどの個性がないとむしろみんな同じように見えてしまう。
あのレベルまで到達するために、一人一人がものすごい努力をして、暑い夏を時間と体力とお金と精神力を注ぎ込んで過ごしてきたのかを、人ごとでなく感じるから(私もそうだったから)、それがどれだけ大変なことなのか本当によく分かる。
そして残酷だけれど、70人以上の上手い人が同じ舞台で立て続けに踊る、ということは、もう、「いくら上手くても上手いだけでは賞は取れない」、ということだ。
今回そのことがつくづく分かった。
(それが分かっただけでも、今年出ないことにした甲斐があった・・・と思った。)
あんな環境の中で無謀にも果敢なチャレンジを重ねてきた自分が、今は信じられない(笑)。

毎年コンクールのあとは、むなしさと徒労感で落ち込まされてきた。
けれど、「あのハイレベルな争いの中でそれなりに頑張って評価してもらってきた自分はそう駄目なものではなかったのではないかなぁ・・・。」なんて、自分に厳しすぎてへこんでしまう私にしては、やっとそんな風に思うことが出来たのはひとつの収穫だったかもしれない。
決して踊りがよくなかった訳ではなく、よくて当たり前、ではそこから先どうするのか、という状況なのだということがよ~く分かった。
そして、審査する側が「個性」という問題をどう評価するのか、と言えば、それはもう好みでしかないだろう。
上手すぎて、その技術の見せつけが鼻につくような人もいるし、熱い表現が素敵に見える人もいるし鼻につく人もいる。でも、ある人にとってはマイナスに感じられる個性も、別の人にとっては素敵だと感じられる要素になることもあるのだろう。また、出場するのは女の人ばかりで男の人はほんのわずかだから目立つし有利だということもしみじみ感じた。

だから、どんなに練習を重ね技術を向上しようとも、いくら技術が上がってさらに上手くなろうともあの場で評価されることを求めていく限り、ひたすらにむなしく苦しいばかりだろうと思った。
そんな挑戦をして、今年も泣く人、悔しがる人、私のように脱力しむなしくなる人、さまざまなつらい思いをする人がいるのだろう。でも、冗談もお世辞も抜きでみんな素晴らしいのだから、あそこで賞を取れないことは恥でもなんでもない。
あの努力と挑戦をしたということに、心から敬意を抱いたし「お疲れさま!本当に素晴らしいよ。」と一人ずつに言いたい。



これから、私はどう踊っていくのか・・・・。
まず私は私で「自分の良さ」をよく分からなくてはいけないのだと思った。
それから、どう踊りたいのか・・・という明確なビジョンを持つこと。
「誰かのように」踊るのでは意味はないのだ、ということ。
「私らしさ」のあり方が中途半端ではいけないのだ、ということ。
そして決まった振り付けの完璧を目指してとうとう行き着かずになんとか「90点」の状態であることの恥ずかしさ、見苦しさ、痛々しさ。むしろ難易度を下げてでも120点、それどころか200点で踊れる状態にした上で、ゆとりを持ってその中で呼吸し生きる余裕や、生のリアルなライブ感を出せる余白を作ること。
派手な技術を無理に詰め込んで見せつけることは逆効果、むしろ、能のように、押さえて押さえて引き算をして、装飾を削り落とした、真実のみを語るような踊りを踊っていきたい・・・。

そういうことをすべて自分の中でクリアにして、充分すぎるほどに気力も体力も充実して、絶対に私にしか踊れない踊りを踊れるようになった時。・・・そして、舞台の上で、いっさい何もせずにいつまでもただ立っているだけ、それだけでその場の空気の色を雄弁に染め上げることの出来るほどの実力と勇気と潔さを持つことが出来た時。(まさに能のような・・・)
そうしたら、・・・またコンクールに出る・・・かもしれない。
でも、それが出来ない限りは・・・今のままの方向性でいくら努力を重ねようとも、「このコンクールで評価されること」を求めていくのは、ただむなしいだけだ。
そして、もしいつか私が私の踊りを踊れるようになったら・・・。
その時は、もう、あのようなコンクールに出てそこで評価されたいとは思わないかも知れない。自分自身の確信があれば、「私の踊りはどうですか?」と、人に聞きたいとは思わないだろう。
・・・・果たして生きている間にそんな高みにまで到達できるのだろうか。
そして、私自身は、「この道において」それを命がけで目指したい、と、心の底から願っているんだろうか・・・。


オリンピックの陸上競技100メートル走に出場する人は、みんなその国で一番の選手だろう。
でも、世界で金メダルを取る人はただ一人・・・。
それ以外の人は、どんなに他人に負けない努力があったとしても、どんなに美しいフォームで走ったとしても、誰よりもその競技を愛していたとしても、0.01秒でも遅ければ「負け」を味わわなくてはならないのだ。

そもそも芸術に勝ちも負けもあるのだろうか?

生きていくということは、残酷で、不平等で、不条理で、厳しくて、つらいことだ。
だからこそ、不条理な苦しみの多い人生での、自分の幸福な生き方、生きていくべき道を、よく考えなくてはならない。
私の道ってなんだろう・・・・。
本当にこの道で良いんだろうか・・・・。
これからどちらに進んでいけば良いんだろう・・・・。

「私は私で、マイペースにのんびり楽しんで趣味として踊っていきま~す。」
・・・なんていうことが、当分言えそうにもない今日この頃・・・・・・。
絶え間ない克己と精進を要求され、後輩に追われ追い越され、厳しい評価に日々さらされ、比較され、自分の至らなさばかりを思い知らされる環境を、選んでここまできてしまった。
でも、踊りがなかったら私に一体何があるのか。



・・・・などということを、さまざまに考えた二日間でした。

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「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

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苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
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・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
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などなど。

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