2007・08
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2007/08/30 (Thu) 愛と犠牲

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(上の写真はこちらのページよりお借りしました
http://www.latrabajadera.com/index.htm

鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団公演
「ARTE Y SOLERA  
愛と犠牲
http://www.arte-y-solera.com/news.html

2007年9月28日(金)19:00開演/29日(土)14:00開演
会場:東京・赤坂 草月ホール
チケット価格:全席指定・税込み
S席 7,000円/A席 6,500円/B席 6,000円
踊り:鍵田真由美/佐藤浩希 ほか 舞踊団一同
カンテ:マテオ・ソレア/アナ・レジェス
ギター:クーロ・デ・ヘレス/マレーナ・イーホ/斉藤 誠
サックス:近藤和彦   トロンボーン:パット・ハララン
パーカッション:今福健司  ベース:土井孝幸
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●こんな公演になりそうです。

9月末に、「愛と犠牲」というフラメンコ公演をおこないます。
ストーリーのある作品ではなく、プーロ(純粋)なフラメンコの舞台ですが、フラメンコはまさに人間のたましいの声。きっとその声を、心で感じていただけると思います。

スペイン語で「愛と犠牲」は「Amor y Sacrificio(アモール・イ・サクリフィシオ)」。
私たちのスタジオの名前は「Arte Y Solera(アルテ・イ・ソレラ=芸術と礎)」。
どちらも奇しくも「A y S」です。

「愛と犠牲」というタイトルを、最初聞いたときは驚きました。
あまりに、・・・何だか胸に刺さる言葉だったので・・・。
でも、これ、日本語で聞くから、特別に痛く重く感じるのですね。
実は、「Amor y Sacrificio(アモール・イ・サクリフィシオ)」とは、スペインにおいてキリストの死と復活を祝う「セマナ・サンタ(聖週間=復活祭・イースター)」のお祭りでかつがれる、山車の上のマリア像の名前に由来しています。
*「セマナ・サンタ」については、ヒロ君先生のブログをご覧下さい。
http://arte-y-solera.com/blog/2007/04/post_10.html
公演自体は、もちろん単純に「セマナ・サンタ(聖週間)」を再現する、というものではなく・・・。
人間に共通の「愛と犠牲」が心に呼び覚ます、深く普遍的な感情を感じていただけるようなものになる・・・と思います。

●「愛と犠牲」に想うこと。

愛と犠牲・・・。
すべての人が生きる上で、避けて通ることのできない道。
私のすぐ周りを見回せば、そこに生きる誰も彼もが「愛と犠牲」の中を、与えられた運命をおのおのに担いながら歩んでいることに気付きます。
このブログを今、この瞬間見て下さっている方も・・・きっと、自分で気付いていてもいなくても、さまざまな形の「愛と犠牲」の中を、人知れぬ喜びと涙の中で生きていることと思います。
きっと、この作品は、すべての人のためのもの。
私自身の、あなた自身のためのもの。
そして、私の中では、「愛と犠牲」というよりは、むしろ「愛=犠牲」。
その二つは不可分のものとして、固く固く結びあっているように感じます。
私は私なりの「愛と犠牲」を・・・全身全霊で踊れますように・・・と、祈るような想いでいます。


どうぞ、どうぞ、ぜひ、見にいらして下さいね!

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2007/08/27 (Mon) Live3

立てつづけに3つ、すばらしいライブを見に行きました。
3つまとめて書くには、一つずつのできごとが大きすぎるのですが・・・。

ライブ「Live」とは・・・こんな意味。
・ 生きている, 生きた(living);本物の
・ 生の, 実況の;目の前にいる
・ 〈目などが〉生き生きとした;陽気な, 活気のある
・あざやかな, 鮮明な,すがすがしい, さわやかな;音がよく響く

私の見た3つとも、まさに上のような「Live」でした。
熱い熱い夏の終盤に、舞台に立つ人の生きた命の輝きに触れ、心を動かされたいい時間を過ごすことができて幸せでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その1☆宇崎竜童JAZZ LIVE
赤坂1111(ノヴェンバーイレブンス)にて
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おみやげとしてプレゼントしていただいたワインのラベルです。


私たちの「フラメンコ曽根崎心中」の作曲と音楽監修の宇崎さん。
その宇崎さんのまた別の(でもやっぱり同じ)魅力を、JAZZYにガツンとパワフルに見せていただきました。
(アサノさん、本当にありがとうございました!!)

宇崎さんのハスキーな声には、人の心をゆさぶるパワーがある。宇崎さんの音に乗せて発する言葉には、「ソウル」がある。
よく「芸能人のオーラ」という言葉を聞くけれど、宇崎さんは、存在自体がもうすでにひとつのカリスマだなぁ、と感じる。宇崎さんが、ただ自然体でそこにいるだけで、彼のオーラが瞬間に開場全体を満たす。
宇崎さんのアコースティックギター、そして、荒れ狂う竜のようなサックスに、滝みたいに音が流れ降るピアノに、空気を低くふるわすベースに、粋なドラムの、若く勢いのあるメンバーのサウンドも最高にかっこよかった。

「イミテーションゴールド」って、JAZZで聞くと、こうなるのね!カッコイイ・・・!!
宇崎さんの声で聞く「スイートメモリーズ」って、ビタースイートだなぁ・・・。
トーク(あの声だから、口を開くだけでロックな感じ!)の内容がおもしろすぎて大爆笑の連続、観客を乗せ、笑わせ、盛り上げ、そしてアッという間に時間が経ち・・・。
もっと見たい!!聞きたい・・・!!大満足なんだけれど、もっともっと~~~~!!
・・・という気持ちで、1時間少々のライブは終了。
その引き際のあっさり加減すら、「宇崎さん」だなぁと思った。
超一流のプロ、というのは、こういうものなのだなぁ。
ちょうど一番「美味しい」ところで、腹八分目で終わることで、見る側に余韻が残る。
大人の魅力に触れることのできた、赤坂の夜でした・・・。

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会場に入る前に赤坂の夕焼けがきれいだったので思わず写真を撮りました。

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その2☆矢野吉峰フラメンコリサイタル「Grasia〔s〕」
新宿エルフラメンコにて

うちの舞踊団のエース、「曽根崎」の悪役クヘイジでおなじみの(?)よっちゃんの、3回目のリサイタル。

身内びいきといわれてしまうかもしれないけれど・・・・・・。
すごくよかった~~~~~~!!!!!
私は、フラメンコがすごく好きなのに、最近は見るときによけいなことを考えすぎてしまって、なかなか感動できないことが悩みでした。
でも、この舞台は、私のそんなひねくれた心を突き破って、「オレ!」と叫ばせてくれました。
そのことにまず感謝です。

この良さを、言葉で語るのは大変なことです。見て下さった方は、きっと分かってくれるはず。言葉にし尽くせるものではないですね。
踊りのすばらしさ、そしてバックのミュージシャンのすばらしさが、舞台上で見事に輝いていました。
たった一時間ぐらいの長さでしたが・・・濃密で、凝縮した、まさに「フラメンコ」でした。

軽妙で粋な明るい「カンティーニャ」からスタート。
ヘレスの香りたっぷりの「ブレリア」は、ミュージシャンだけの演奏。アントニートのファルセータやマヌエルの唄が、ヒロ君先生(と346)のパルマ・ハレオと絶妙の掛け合いで美味しさ倍増し、楽しませてくれました。
そして新たな挑戦の「ファルーカ」。
そしてこの日とくに圧巻だったのは、MKとのパレハの「シギリージャ」・・・。
あの二人の個性と生き様の命がけのぶつかり合いが、見る人の心を揺さぶって、涙が出てしまうような、そんな作品になっていたことに驚かされ感動しました。
正直言って練習の過程を「まだ、ぜんぜんまとまってないの・・・」と謙虚なKMから日々聞きつつ、間に合うかしらと心配してもいたので・・・、実際は期待の何倍もすごくて。
私は胸一杯で涙をこらえながら見ていましたよ。
そして、カンテソロの「マラゲーニャ」から「グラナイーナ」。マヌエルの「黒い声」の魅力を、こうまで引き出してしまうのは何の力?
そして、この日までのよっちゃんのフラメンコ人生の集大成とも言える渾身の「ソレア」。
汗で洗われたようなよっちゃんの「ソレア」を踊る顔は清々しくてウソがない感じで、踊れば踊るほどに余計なものが剥がれ落ちて生まれ変わっていくような・・・。
このようなひとつの高い到達点を見せてくれたこの瞬間こそ、また新たなよっちゃんの次への歩み出しの時、誕生の時なのだなぁと感じました。

いや~、よっちゃんはさすがですね!!
そして、KMは、なんてなんていい踊り手なんでしょう。
そしてこの二人を育てた、マユミ&ヒロ君先生のすばらしさをもまた実感しました。
バックのミュージシャンは最高!!(そして彼らのあれほどの良さを活かしきったのは、きっと唄やファルセータを選び、パルマとハレオで実は信じられないほどたくさんの仕事をしていたヒロ君先生のフラメンコ感性。)
応援に来てくれた、スタジオのたくさんの仲間たち。
・・・・私のフラメンコファミリーは、「私にとって」間違いなく世界一だなぁ、と幸福な気持ちで実感しました。(歌い手のアントニオ・デ・ラ・マレーナがいなかったのが、本当に残念だけれど・・・。)

このファミリーでおこなえる、九月の公演「愛と犠牲」に、私も身を投げ出して命がけで行こう、とあらためて思いました。

打ち上げも楽しかったね~♪
この日の主役たちが、あまりに素晴らしかったので、秘蔵写真をちっちゃめに載せることにしたいと思います(笑)。ナイショでお願いします(´ー`)♪
(禁無断掲載・無断転写ですよ!)
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我が師・真由美先生&この日最高だったよっちゃん&ギターのマコちゃん。
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我らが愛する弟ギタリストのアントニートと、普段モードの本日の主役。

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歌い手マヌエルのハートを打ち抜くJJの指!(笑)
そしてなぜか目をそらす、ヒロ君先生と346(笑!!)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆ゲラメッツライブ♪
ゲラメッツ☆Summer Live 2007 目黒音の箱にて
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ライブに関する写真を撮りそびれてしまったので・・・。
私にとってのたなぼたんちゃんのイメージで、花の写真を選んでみました。

最後になってしまいましたが・・・。
うちのスタジオのたなぼたんちゃんのコンサートに行って来ました♪
ミュージカルの曲を中心とした、実力派の楽しいライブ。
女性三人(それぞれに個性的で魅力的、そして3人ともすごく歌が上手!!)、と男性一人(もと劇団四季の人だそうです。さすが華があります。)のボーカルに、ピアノ、バイオリン、ギター、バイオリン、ドラム。
アンコールを含めるとナント計22曲!Σ(・ロ・ノ)丿!!
ソロあり、デュエットあり、英語の唄あり、日本語の唄あり・・・。衣装も曲ごとに違っていて、工夫されていました。

参加している人のすべてが、音楽を愛していることが伝わってきて、客席にいる私も素直にただただ音楽を楽しませてもらいました。
なんだか、仲の良い、あたたかい空気のただよう、心地よい空間。

唄はそれぞれに個性的で、自分の良さを活かして聞かせてくれました。
特に心に残っているのは、「信じられないほど優しい」と紹介されていた麻未さんという人の声が、済んで美しくて優しくて、きれいだったこと。
歌は心、人間性が出るのですね。優しい人の声は美しく、優しい声でした。

そして、やっぱりたなぼたんちゃん。
これもまた身内びいきといわれてしまうかもしれないけれど・・・。
でも、それを抜きにしても、私には一番輝いて見えましたよ!!!!
キラ☆キラ☆キラ☆キラ☆☆☆・・・・と輝く美しい瞳、美しい笑顔。
声は深さもあり、澄んでもいて、力強さと、温かさと、真っ直ぐさと素直さと・・・、たくさんたくさんの色を感じさせてくれる、豊かな歌でした。
これもまた人間性ですね。素敵な女性だなぁとあらためて感じました。
(そんな魅力的で多彩な「たなぼたんちゃん」のblogはこちら。 
タカラノタマゴ 
http://blog.livedoor.jp/ciao_waki/ 
たなぼたんちゃんのソロで歌った「YOU RAISE ME UP」という曲。
歌が素直に心に届いてきて、涙がこぼれる思いで聞きました。
私を支えてきてくれた色々な人の顔が一気に浮かんできました。感動でした。

また次の機会にも、ぜひぜひ聞きに行きたいです♪
素敵な時間をありがとう!!


2007/08/23 (Thu) 1歳!
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今日は、妹の赤ちゃんヒロ君の1歳の誕生日です。

ヒロ君、お誕生日おめでとう!!
生まれてきてくれて、本当に本当にありがとう!!
私たちを、たくさん、たくさん幸せにしてくれてありがとう!!
ますます元気に、ゆっく~り、ぐんぐんおおきくな~れ!

そしてヒロ君は、一週間の検査入院を終えて、今夜退院しておうちに帰ります!!
退院おめでとう!!お誕生日におうちに帰れてよかったね。
検査結果が出るのはまだまだ先・・・でも、きっと大丈夫!
一週間、ヒロ君もママも、よく頑張ったね。

うちに来てくれていた日々に撮りためたかわいい写真を載せます。

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「ぼく泣いちゃった・・・。」

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「おみそしる大好き!」
母乳以外なかなか口にしてくれなかったのですが、やっとおみそしるを飲めるようになりました!!お椀を両手で持って可愛いのです・・・。

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「にらめっこ!」
転がすとベルのような音の鳴るあひるさんと、にらめっこ。

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「ナラちゃんにタッチ♪」
ナラちゃんはとってもいい子なので、毛をつかまれてもさわられてもじ~っとガマンしてくれました。ヒロ君より四ヶ月先輩のナラちゃん。二人は仲良し。

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「わ~い!!」
冷やし中華はもちろんまだ食べられません。(笑)
お皿がすごく大きく見えます。ヒロ君もご満悦!

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「おっ!!」
実際に見るとすごく小さいのに、さすが1歳、少年らしい表情も見せてくれます。

2007/08/22 (Wed) Miss you!

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白い百日紅(さるすべり)と夏の空。

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空の明るい青さと、うろこのような雲の美しさに、思わず写真を撮りました。


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枝も花も、空へ空へと伸びていきます。


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長く庭を華やかにしてくれていた百日紅を好きになった夏。


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「ハッハッハ・・・・・。それにしても毎日暑いよう。」  愛犬ココともうします。

残暑お見舞い申し上げます。

アメリカから二年半ぶりに帰国した妹も、夫と1匹の犬と2匹の猫(ペットの構成がなぜか我が家と同じ!)の待つアメリカへと戻ってしまいました。
やっぱり寂しいなぁ・・・・。
次に会えるのはいつだろう・・・・・・。
妹からも、早速、
「無事に着きました。やっぱり家族はいいね。もうすでにホームシックです。」
というメールが来ました。

日本人の家族だから、久々に会ったからと言って、欧米人のように大げさに態度に表したり、なにか特別に濃厚な話を熱くするわけではない。
でも、同じテーブルで食事して、たわいもないことで笑って・・・それだけで充分に以心伝心、言わずもがなで温かい空気の共有ができる。
そういう時間を、ふたたび持てたことを、幸福に思います。

そうそう!!
妹がこちらにいるあいだ、ほぼ毎日(Σ(・ロ・ノ)丿!!)アメリカ人の夫マットから我が家に電話がありました。
私が電話に出て、
「ごめんマット、今、妹はママと出かけちゃってるんだ~。」
と言うと、
「オッケー、僕はもう寝ちゃうから、彼女に『I love you&I miss you』と伝えて~!」
だって!!(笑)
日本人の男性だったら、妻の実家に電話しても、きっとこういうことは言わないのでしょうねぇ・・・。

マットと言えば、アメリカンジョーク(?)の達人で、爆笑エピソードが多いのですが、
今回こんな話を聞きました。
妹が、何かの折りに、
「もう、一緒にいることがあまりに当たり前になってしまって、存在感を感じない。あなたは空気のような存在よ。」
と言おうとして、英語で何というのか考えて、
「マット、あなたは私にとってもうAir(空気)よ。」
と、ちょっとイジワルに言ったそうです。
日本では、奥さんをないがしろに無視している中年男性がたまに謙遜も込めて、
「いや~、うちの妻なんて、もう空気みたいなもんですよ。はっはっは・・・。」
と使ったりする言葉。あんまりいい意味では使いませんよね。
でもマットは大感激して、
「もう、僕がいなくては生きていけないんだね!君にとって、もっとも大事なものってことだね!!」
とすごく喜んだそうです。
分かっていて上手くかわしてくれたのか、それとも本当に勘違い!?

もう一つ、嬉しくも可笑しいエピソード。
マットは、自分のブログに妹の写真を載せていましたが、その中に、一枚ボヤけたものがあって、それに対し読者から、
「これは、ピンぼけ写真だね!!」
というコメントが来たのです。が、なんと、ユーモアたっぷりに
「彼女の美しさに、カメラがクラッと来て焦点を合わしきれなかったのさ!」
と、応えたそうです。

二人は結婚してもう4年近く経つかな。
今もなお毎日、マットに「可愛いね。」「美しいね。」と言われて、実際に妹は昔よりずっときれいになっていましたよ。本当に嬉しいことです。

両親にとっては(私にとっても)、可愛い末娘が大学を卒業してすぐから遠く離れた外国に暮らし、なかなか会うことのできないことは、すごく寂しいこと・・・。
でも、優しく穏やかなマットに愛されて、日々を幸せに生きていたら、何よりも嬉しいはず。

久々ににぎやかに家族の集った我が家は、すっかり静けさを取り戻してしまいました。
・・・でも、幸福なにぎわいの余韻が、まだそこここにただよっている感じです。



2007/08/20 (Mon) 新人公演

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ベゴニアの花。みっちりと咲いています。

☆「日本フラメンコ協会 新人公演 2007」

同じスタジオの仲間が群舞部門に出場するので、フラメンコ界での真夏の最大のイベント(?)である、
「フラメンコルネサンス21 日本フラメンコ協会新人公演」(要はコンクール)
を、中野ゼロホールに見に行ってきた。
8月17~19日までの3日間、合計91名と3組が出場し、それぞれの思いの丈をありったけの力を込めて表現する。
この、フラメンコのほぼ唯一の登竜門という位置づけに(良くも悪くも)なっている新人公演にかける出場者の思いは並々ではない。


☆心からお疲れさま!!
まずは、出演したすべての人に、心から「お疲れさま!!」を言いたい。
心を込めて言いたい。
特に、うちのスタジオの大事な、大好きな仲間たちのことは、一緒に踊っているような気持ちで見てしまう。
ので、気持ちが手に取るように伝わってきて、「じ~ん」とする。
身内びいきと言われようと、なんと言われようと、一人ひとり抱きしめて「素晴らしかったよ!!」と言いたい。
これまでのがんばりと、本番でのがんばりに、惜しみなく大きな拍手をしたい。


☆「見る」ということ
私は今年は仲間の出る最終日しか見に行かなかったけれど、その4時間少々で、
ぐっっっっっっっっっっっっっったりと疲れてしまった。
(悪い意味じゃなくて…)。
出演するのは、お金と体力と時間と精神力すべてをそそぎこんで、暑い夏に練習・練習・練習の毎日で、本当に本当に大変なこと。(経験者は語る。笑)
そして、その真剣な挑みを「見る」…しかも、心をこめて「見る」(しかも4時間ずっと)というのもまた、大変なことだと思った。
それぞれの踊る7分半に濃厚なドラマがある。
コンクールだから誰しもが命がけで踊るので、無駄は徹底的にはぶかれていて、濃縮還元ジュースの原液状態。
真剣に「見る」ことを迫られ、いやがおうでも熱い思い入れがビシビシと伝わって来てしまう。
力を抜いて楽しんで見ることができない4時間は、緊迫していて、息ができない感じ。
見終えたときには、すっかり頭痛になっていた。
(そんな中で私を唯一、何度か「クスリ」と笑わせ、おもわず「オレ!」と言わせた出場者は、友人の彼、スーさん。笑。あと、T.T.さんは「すごく上手だなぁ」と、ため息が出るほど感心させられた。でも、感心…と、感動…の差は大きい。)

私は踊りを、人ごととしてなかなか見ることができないので、見ているあいだずっと心が動くから、「見る」だけですごくエネルギーを消耗する。
コンクールにおける人の欠点は、我が事として胸に突き刺さる。
ちょっとした(グラッとしたり…、回転がぶれたり…、微妙に音を外したり…)失敗は針にさされるように我が胸を痛める。
踊りの後半の、苦しげにゆがみそうになる表情を必死で笑顔に保とうとする姿に苦しくなる。
そして…見ているとさまざまな考えに心が揺すぶられる。
見知らぬ人の踊りは、決して優しい心でばかり見ているのではない自分に気付く。(むしろ、厳しい目で見てしまう。)
私だけではなくきっと、人間の心の中に住む辛口コメンテーターは、たいてい自分を棚上げにする。
そういう意味で、コンクールというのは、客席に温かさの欠ける残酷で傲慢な場だと思う。

でも、その大変さや、場の空気に耐えて4時間「見る」(主体的な心で見る)ということを続けると、たくさんのことに気付かされる。
簡単に言ってしまえば、「人の振り見て…」的に、自分の課題も見えてくる、ということ。
考えさせられることが多すぎて頭痛になったのかな?

☆すごく上手なんだけど…
本当にため息が出るほど「上手」な人がた~くさんいて、その人たちは、「みんな」容姿も美しく、「みんな」ブラッソ(腕づかい)もマノ(手首から先の動き)もきれい、「みんな」足も強くて良く動くし、「みんな」それぞれに工夫があり、「みんな」熱く踊っていた。
私は(正直に言って良いのか分からないけれど)、…それだからこそむしろ、残念なことに「誰が誰だかサッパリ区別が付かない感じ」だなぁ、と思ってしまった。
上手な人は、技術レベルが近いからこそ、みんな似て見えてしまった。
(そして、図々しいことを言えば、自分もその部類の末席に加わり、似たようなタイプになっていたかもしれない。)
むしろあまり上手じゃない人のほうが個性的に見えてしまうほど。
(だからといってコンクールなので、上手ではない人が良いとはまったく言えない。)
ソロの半分ぐらいの人が、高い高~いレベルでの、「ドングリの背比べ」だ。
あの中から頭ひとつ抜きんでるのは相当のこと。(男性は少ないからやはり得だ。)
だから、毎年コンクールの結果を聞くと、
「え?なんであの人?」
と思うことが多い。(失礼!)
でも、結局はその時本番の一瞬をどう踊ったか、ということはしだいに消えていき(舞台芸術は花火のようなもの。)、賞を「取った」「取らない」という結果だけが、残酷にも残っていく。
芸術を「評価する」というのは困難なことだ。そして責任の重いことだ。

とっても上手。
とっても美しい。
とっても素敵。
…そんな人はゴマンといるんだ、ということを知る。
(高いレベルでのドングリの背比べに何の意味があるんだろう。)

でも、何かが足りない。
どこかがもったいない。
もう一つ、心に届かない。
「オレ!」という言葉がまったく出てこない。
…その原因は何だろう、と、否が応でも考え込んでしまう。
もちろん、そう簡単に答えが出せるぐらいなら、悩みはしないのだけれど。

上手じゃなくても良いので、「オレ!!」と叫びたくなるような踊りを見たい。
その人の粋な抜けっぷりに笑い転げて涙が出るような踊りを見たい。
その人臭さと「フラメンコらしさ」の結合がプンプンと匂うような踊りを見たい。
そういうときに、心から感動する。
(コンクールにそれを望むのは間違いかもしれない。だからこそ、去年のTさんの忘れられない泥臭いフラメンコ臭のすばらしさが、どれほど貴重なものだったかを感じる。彼女を今年見られなかったのが本当に残念。)

☆自分のためのメモ
せめてもこれから踊っていく上での自分自身へのヒントになるように、昨日私が気付いたことを、忘れないうちに書きとめておきたい。

*「フラメンコ」であること、こそが最重要。
バレエなどの踊りの基礎をしっかり持っていることはとても大事。踊りの基礎がないと、身体の使い方や重心、軸、が理屈からはずれてしまい見苦しい。
でも、何よりもまず「フラメンコ」であることが大事。
では「フラメンコ」とは、何か。…むむむ。
やはりまずはギターとカンテと呼応した「フラメンコ」の音楽を、身体が奏でることを皮切りに考えていこう。

*些細なことが命取り!
レベルの高いところへ行けば行くほど、むしろ「些細なこと」こそが重要になってくる。そこを丁寧につめていくことの大切さを実感。
あごを上げる、下げるときの微妙な角度や、目線の角度、ヒジの位置、などを、重箱の隅をつつきまくるまで丁寧に自分の中で突き詰めて、その果てに考えずに無意識でいても一番いいところにピタッとおさまるようになるまで、日々の鍛練を積むこと。
ちょっとしたところが「上手なのに惜しい…」の原因のひとつなのだ。
身体の隅々まで、忘れずに意志的であること。

*抜けきる。
抜けるときに音をはずさない。小気味良いほどスッキリ抜ける!抜ける瞬間こそがフラメンコのもっともオイシイところなのだから。(でもムズカシイ…)

*クネクネしない。
女性らしいやわらかな動きは、いやらしいクネクネと表裏一体。その紙一重のところを間違えると、媚びた気持ちの悪い踊りになる。
(上手なんだけど、ベリーダンスに転向した方が良いのでは…というような女性的クネクネがたくさんいた。私はそれを好きではないと思った。)
スッキリと身体の中心を通る芯を持ち、無駄なクネクネをいさぎよく消し去ること。
(これは、「フラメンコであること」ともつながってくる。)

*踊りを詰め込みすぎない。
コンクールで踊る7分半を、「ワザの博覧会」にして、自分にできることすべてを詰め込む必要は全くない。
何もしない…けれど物事は背後で大きな音を立てながらゴウゴウと進んでいるような、「間(ま)」が、あればあるほどいい。
待って、待って、待って、待って、グッと抑えて、そしてやってくる爆発の瞬間を迎える…というのがいい。
爆発しっぱなしはむしろインパクトを弱める。


☆おまけ
去年自分が書いたことを読み返してみた。

「コンクール考」(2006/8/26 Sun)
http://lunasolmilcoco.blog68.fc2.com/blog-entry-8.html

去年も、だいたい同じようなことを考えていたんだな~、と、ちょっと笑ってしまう。
でも、今あらためて読んで我ながら「なるほど」と思うことも色々とあった。

一部抜粋。

これから、私はどう踊っていくのか・・・・。
まず私は私で「自分の良さ」をよく分からなくてはいけないのだと思った。
それから、どう踊りたいのか・・・という明確なビジョンを持つこと。
「誰かのように」踊るのでは意味はないのだ、ということ。
「私らしさ」のあり方が中途半端ではいけないのだ、ということ。
(中略)
派手な技術を無理に詰め込んで見せつけることは逆効果、むしろ、能のように、押さえて押さえて引き算をして、装飾を削り落とした、真実のみを語るような踊りを踊っていきたい・・・。

なるほど・・・・。
それで、ソロで踊る「ソレア」がああいう形になっていったんだな~。
すっかり忘れていた。(笑)
私はやはり、もう少し、今進んでいる路線(そぎ落としていくこと)を突き詰めていきたいなぁ。
まだまだまだまだ道は遠いし、ちっとも満足していない。
新人公演に出ないことで、以前より退化してしまっては元も子もない。
自分の道をちゃんと(逃げずに)歩み続けること。
そのための良き師、切磋琢磨し合ういい仲間にせっかく恵まれているのだから…。
そして、たくさんの(自分ひとりでは手に入れることのできなかった)すばらしい経験の場を与えてもらっていることに感謝しつつ、それらを自分の糧にしていきたい。

やはりコンクールのような濃厚な舞台を「見る」こと、しかも主体的に「見る」ということから、多くを学べるのだなぁ。
「見る」ことはとても大切だ。
新人公演、とっても疲れたけれど、見に行って良かった。

(そして、私は、物事を考えるときに、こうやって書いてみないと、しっかり整理・把握できないのだなぁとつくづく感じた。だから長くなってしまう…。笑。もしここまで読んでくれたなら、本当にありがとうございます。)

さあ、私も、また頑張って踊っていこう!


2007/08/17 (Fri) サリュー

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☆恵比寿 小さく温かなフレンチレストラン『サリュー』

誕生日当日は、夜まで練習でした・・・。その日はスタジオの近くの美味しい焼鳥屋さんで気楽な食事。それはそれで楽しくて満足だったんだけれど・・・。

でも、日を改めて、お気に入りのちいさなフレンチレストランへ空が連れて行ってくれました。
恵比寿駅から徒歩5分ぐらいかな?
今回で4,5回目の訪問になる、レストラン『サリュー』です。
サリュー、とは、フランス語で親しい者同士の気軽なあいさつに使う言葉、だそうです。

こじんまりとした温かい雰囲気でくつろげる、大好きな店。
木の扉を開けると、2人がけのテーブルが11コだけ。
アッという間に満席になってしまいます。

*「サリュー」はこんなお店です。
http://www.asahibeer.co.jp/jukusen/sevenbonds/vol4-salut_shop.html

*口コミ評判ではこのようなお店。
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13005476/

http://www.asku.com/RV/010R/?area_id=13&_item_id=6051831&_user_id=&mode=&page=0


☆こんなものを食べました。

夜のコースは5250円(飲み物・サービス料別)で、ボリュームたっぷりの前菜8品から1品、メイン料理8品から1品、デザート4品から1品を選ぶプリフィクス。
これに、パンと、食後の飲み物、ちいさな焼き菓子がついてきます。
(ランチは2500円で、このようなコースを食べられます。おすすめ!)

前回「トラットリア・イ・ビスケロ」に行ったときサッパリ写真を撮らなかったことの反省(?)に基づいて、今回は料理の写真を撮ってみました。
あかりの関係かな・・・。美味しそうに撮るのはやっぱり難しい・・・!!
本当はもうすこし美味しそうだったんだろうな~、…と思ってご覧下さい!
料理名は・・・メモしてくるのを忘れたので、正確ではありません。(笑)

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前菜(その1) 
ハモと焼き茄子、夏野菜に、冷たいコンソメゼリーがかかっている。
中央の白いアイスクリームのようなものは枝豆のムース。

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前菜(その2)
夏らしいあゆのお料理。
温かく料理されたあゆの下には温かいクリームソース味のカッペリーニ。

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メイン(その1)・・・(写真が逆さまでごめんなさい。)
牛頬肉のエビスビール煮込み。(何しろ恵比寿にあるお店だから。)
とっても柔らかくて、まるでビーフシチューのようでした。 

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メイン(その2)
白金豚3種類。どれも違う食感でとても美味しかったです。
カリッと焼かれたグリル。ハーブの香りのよい腸詰め。
キャベツやお豆と一緒の柔らか~い煮込み。

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デザート(その1)
グレープフルーツのゼリー寄せ。
ショウガのアイスクリーム。さっぱりスパイシー。

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デザート(その2)
層になったメロンごろごろ具だくさんゼリーとヨーグルトムース。
その上にシャリシャリのシャーベット。
みどりの葉はミントで、清涼感満点。

こんなお気遣いをいただきました………。
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ありがとうございました。チョコのメッセージ。
お店の方も、この店にぴったりの温かい笑顔で感じのいい方たちです。

ここのお店のデザートは、いつも季節の果物がとっても上手に使われています。
桃のコンポートや、林檎を使ったデザートも心に残っています。

今回食べられなかったお料理も、メニューや周りのテーブルをちらっと見る限りどれも美味しそうだったので心残り。
夏のメニューが変更される前に、また行けたら嬉しいなぁ…。
でも、素敵なディナーは時々だからこそ、特別な感じがして、より嬉しいのでしょう。

☆夜のカフェテラス

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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「夜のカフェテラス」

『サリュー』の壁には、私の大好きなゴッホの「夜のカフェテラス」の模写がかかっています。
黄色いカフェのあかりと、紺碧の夜に瞬く星。
コントラストの美しい、温かいゴッホの絵が、店のかわいらしい雰囲気によくマッチしています。


「ゴッホは、『これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ』と言っていますが、実はこの絵は、夜、外で描かれました。彼によれば、『これは色あせた、青白い、みすぼらしい光のある因習的な黒の夜から脱する唯一の方法』だったのです。」
*以上は、
http://www.momat.go.jp/Honkan/Gogh/#cafe より引用。

店のあかりがこんなに黄色く明るく輝くはずはない。
星の一つひとつがこんなに大きく明るく瞬くはずはない。
でも、ゴッホの心にはそのように映った・・・そのことこそが大切なのでしょう。
因習的な黒い夜から脱した、特別な夜。美しい夜・・・。

ありがとう!
ごちそうさまでした。


2007/08/14 (Tue) クールビューティー

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「暑いのは嫌い・・・。」


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「ベタベタされるの、もっと嫌い・・・!」


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「ねえ、いったい私を誰だと思っていらっしゃるの・・・?」


我が家のミルちゃんは、なかなかのクールビューティー。
(娘のナラは人なつこくて甘えん坊。どうしてこんなに性格が違うの!?
ちなみに犬のココちゃんはもっともっと人なつこくて甘えん坊!!)

自分の娘すら、自立させたあとは近寄らせない。
呼んでもももちろん「プイ!」とよそを向く。
ゴキゲンのいいときだけ少しなでさせてくれるけれど・・・。
こちらが調子に乗ると、キッとにらみ、ググッとうなり、ビシッと一撃が飛ぶ。

気高い女王様のような立ち居振る舞い。
アビシニアンの娘。

可愛がって可愛がって大事に大事に育てたのに、・・・つれない美女です。
でもそこがまた、たまらなく魅力的。

生後八ヶ月で亡くなった姉のルナちゃんの分も、千年長生きしてくれますように・・・
と祈りを込めて、
「Mil」(ミル=スペイン語で『千』という意味)と名づけました。

嫌がられながらも、スキを見ては抱っこしたりなでたりしたくてたまらない私!

ミルちゃ~~~~ん!!
たまには抱っこさせて!!


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「まぁ、眠いとけっこう無防備になっちゃうのよね・・・。」

 


2007/08/13 (Mon) 徒然

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街でよく見かける、この可愛い花の名前は・・・・・?
と、困っていたら、こんなものを見つけました。
http://ksbookshelf.com/DW/Flower/index.html#FZukan
これは便利!花の名前が分からないときはこちらをどうぞ!

・・・というわけで、この花は「ランタナ」です♪

東京では連日の酷暑日を記録中!!
本当に暑い日々が続いていますが、みなさんお元気ですか?
「お誕生日おめでとう!」を、ありがとう!ありがとう!!嬉しかったです。

ちょっとつれづれなるままに・・・、最近の日々について書こうと思います。

●フラメンコ

今年の七月は、私史上(とても充実していたけれど)もっとも疲れた一ヶ月でした。
そして、その波を越えてやっと一息・・・などと思う暇もなく、踊る日々は続いています。

八月に入ってからも、ほぼ毎日レッスンに行っています。
舞踊団の9月の公演に向けての練習が、月・水・金・土・日。
そして通常のクラスレッスンは火・木・土。
レッスンのおかげで、夏休みになっても一泊旅行も・・・日帰り旅行すら・・・ままならぬ日々ですが・・・。・゚・(つД`)・゚・。。
でも、やっぱり仲間と共に踊る日々は熱く充実しています。
天才(ヒロ君先生)が、新しいものを創っていく過程に居合わせられることのできる幸福を感じています。
何もないところから、「あたらしいものを創る」というのはものすごいエネルギーです。
そのエネルギーの渦の中で、私たちもエネルギーを放出しつついます。

●家族

そんな合間をぬって、家族との時間や友人との時間も過ごせているので、うれしい♪

八月に入ってから、祖母の入居するケアハウスの納涼祭に浴衣を着て行きました。
浴衣姿を祖母が喜んでくれたのが嬉しかった。空も一緒、家族で笑って屋台で食べて飲んで・・。
見よう見まねで盆踊りもしてみましたが、あれ、以外と難しいですね。
・・・でも上手なおばさまの後ろについて、気分良く手を上げたり叩いたり。
いつかお見せしたいものです。私の盆踊り・・・。(笑)
家族にとって幸福な、楽しいひとときでした。

そして妹たち二人(と赤ちゃんヒロ君)が里帰りしてきて、家族久々にそろっての楽しい時間もあり・・・。
でも、可愛いベイビー・ヒロ君は、昨日(日曜日)、ひとりぼっちの一週間を寂しく耐えた(笑)パパが迎えに来て、ママ(我が妹)と共に自分のお家に帰っていきました。
毎日可愛いほっぺにチューしていたので、離れるのはちょっぴり寂しい気持ちです。
ヒロ君は今週、検査のためにしばらく入院です。お誕生日(23日)には退院できるといいのだけれど・・・。また病院に会いに行くつもりです。
そして検査の結果が良いことを、心から祈ろうと思います。

●友人

先日、高校時代からの親友二人SちゃんCちゃんとお昼を食べてから、Sちゃんのお家でおしゃべりしました。
Sちゃんのうちにはちいさな女の子と赤ちゃんがいるので、久しぶりの絵本を手にして読み返してみたのですが・・・。
童話・児童文学のすぐれた作品というのは、大人の心にも深く染みこむ力がありますね。
なんだか、読むと涙ぐみたくなるようないい本がたくさん。
私も子供ができたら、たくさんたくさん本を読んであげたい、と思いました。

●マイブーム(?)

私は相変わらず河合隼雄さんの本を立てつづけに読んでいますが、河合さんも、児童文学や昔話への造詣が深く、それらについても色々と書いていらっしゃいます。

河合さんの訃報を聞いてから読み返したのは、
・「昔話の深層 ~ユング心理学とグリム童話~」(同上)
・「日本人とアイデンティティー ~心理療法家の着想~」(同上)
・「河合隼雄 その多様な世界」(岩波)
・「日本人とグローバリゼーション」(講談社+α新書 石井米雄との共著)
そして今読んでいるのは、
・「ファンタジーを読む」(講談社+α文庫)

本当に、示唆に富んだおもしろい本ばかり・・・・。読めば読むほどに、河合先生のお人柄に惹かれます。
すっかり私の中で「河合隼雄読書週間」になっています。
河合先生がたくさんの本を残してくれたことに感謝しつつ、またほかのほんもどんどん読み進めていこうと思います。

河合先生の本を読むようになってから、夢を覚えていようと努力しています。これがなかなか難しいのですが・・・。
そして、自分の見た夢について色々と考えていますが、やはり「なぞ」だらけ。
心の奥を見つめていくこと・・・その重要性を思いつつ、「なぞ」の中にいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ああ、今日も暑いなぁ・・・。
さて、パソコンを閉じて、夜の練習までのひととき、またゆっくり本でも読むことにしようっと!
(本当につれづれな日記?になってしまいました。まぁいいか。(;´ー`)ハッハ・・・。)


2007/08/12 (Sun) 花

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川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

涙流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを この胸に
花として 花として 迎えてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の 唄なのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花を咲かそうよ

(「花」作詞・作曲者 嘉納昌吉)


8月12日。
私の誕生日。

命を授けてくれてありがとう。
今日まで生かしてくれてありがとう。

あ~、生まれてきて良かった。
これからも、たくさん泣いたり笑ったりしながら、
いついつまでも心の中に、花を咲かせていきたいです。


2007/08/09 (Thu) エゴと愛

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箱根の彫刻の森美術館で撮ったもの。
私にとって・・・神さまとはこのイメージ。
ただ黙って静かに心の痛みに優しく寄り添ってくれる「エゴを離れた愛」の存在。


☆作家・芥川龍之介の書簡
大正四年(一九一五年)三月九日付 井川恭 宛

「イゴイズムを離れた愛があるかどうか。
イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁をわたることはできない。
人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒すことはできない。
イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない。 
周囲は醜い。
自己も醜い。
そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい。
しかも人はそのままに生きる事を強いられる。
一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪むべき嘲弄だ。
僕はイゴイズムを離れた愛の存在を疑う。(僕自身にも)。
僕は時々やりきれないと思うことがある。
何故、こんなにしてまでも生存を続ける必要があるのだろうと思うことがある。
そして最後に神に対する復讐は、自己の生存を失う事だと思うことがある。
僕はどうすればいいのだかわからない。
君はおちついているかもしれない、そして僕の言う事を浅はかな誇張だと思うかもしれない。
(そう思われてもしかたがないが。)
しかし僕にはこのまま回避せずにすすむべく強いるものがある。 
そのものは僕に周囲と自己とのすべての醜さを見よと命ずる。
僕は勿論亡びることを恐れる。
しかも僕は亡びるという予感をもちながらもこのものの声に耳をかたむけずにはいられない。(後略)」
 (『芥川龍之介全集 第十巻』岩波書店 1978年)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三五才で自殺したこの鋭敏な天才・芥川龍之介の死の枕元には、一冊の『聖書』が置かれていたという。
芥川は聖書の中に「イゴイズムを離れた愛」の存在を感じながら、そしてそれを求めつつも、神を神として信じられぬまま、深い闇の中にいる自分を感じ、それを凝視し、人間の心の闇を見つめてきた。

その鋭利な刃物のようなまなざしは、自分と、そしてすべての人間を取り巻く「黒洞々たる闇」(『羅生門』より)をひたすらに見つめる。
心の「闇」とは・・・すなわち、最終的には自己の利益を最優先にしてしまう人間の、エゴイスティックな「存在そのもの」に対する絶望感。

でも、闇があれば、一方では光(=神)が存在するのだ、ということを「信じる」ことができれば、きっと人生は生きるに値すると感じることができる。
だが、芥川は・・・その「光を信じる」という一点をどうしても越えることができなかった。
このことを彼は「僕には越えられない溝」(『歯車』より)と表現している。

時に芥川のような鋭い知性・・・そして真実を見抜きすぎるニヒルなまなざしは、人が光を信じるための大きな妨げとなってしまう。
でも、上の書簡に見るとおり、神は芥川に「回避せずに進め」「すべての醜さを見よ」と命じた。
・・・ただし、それは本当に神の声だっただろうか。
彼は、亡びる予感を抱きながら、逃れられずにその声にしたがっていくことによって、最後には自殺に至ったのだ。
だからこれは、神の声というよりもむしろ、悪魔のささやきかもしれない・・・。
芥川自身の繊細な知性によって研ぎ澄まされた感性という悪魔が、幻聴のように、その声を神の声として聞かせてしまったのか。
芥川は、イエスの手を求めつつもその手から零れ落ちてしまった一匹の迷える子羊だろうか。
ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのように・・・知性とエゴイズムに苦しんだからこそ、その果てに、光の中へ入っていく道を得ることができればよかったのに・・・。
そのためには、ただ「信じる」ということができればいいのだけれど、ああ、それはどれほど困難なことだろう。


この書簡を読むと、エゴイズム・・・つまり利己主義を離れたまことの「愛」を、心から求めて、求めて、そしてそこにどうしても至ることができなかった彼の苦しみを感じる。

まことの「愛」の存在を、求めなければ、妥協できれば、苦しまない。
でも、芥川には求めないことはもちろん、妥協することはできなかった。
エゴイズムを離れたまことの「愛」を得られない現実を痛いほど見つめ続けながら、それでも求めて、求めて、絶望して死んだ。
芥川の最後の小説は『続西方の人』であった。
西方の人・・・とは、すなわち、イエス・キリストを指す。
この小説の最後の一文では、こう書かれている。
・・・・われわれはエマオの旅人たちのように、われわれの心を燃え上がらせるクリストを求めずにはいられないのであろう。」

芥川のこの書簡に描かれたエゴと愛の問題は、私自身の抱える問題でもある。
だから、芥川の苦しみは、すなわち私自身の苦しみでもある。
私も、結局は自己中心的な生き方から逃れられない自分をみつめている。
悲しい思いで・・・。
相手を愛しているつもりでいながら、結局は自分のことを考えている・・・自分の幸福、自分の心の安定、愛「されて」生きること・・・・。
そして、自分の利益を越えて相手の幸福を心から願う、というまことの「愛」の存在を求めながらも、・・・自分がそうでありたいと願いながらも、そうあり続けることのできない人間の心の弱さに直面している。
私の中に、エゴを離れた愛でなければまことの愛ではない、という、この世を生きるには適さないような、困った潔癖な心がある。
それをまずは自分自身に、そして相手にさえも求めてしまうという傲慢な心。
でも、果たしてエゴを離れた愛など、人間が持つことができるのか・・・、と、芥川と同じく求めつつも疑う。
とにかく私には、エゴを離れて「愛する」ということが永遠の課題だ。
愛する、ということは、コントロールできない感情に振り回されることではない。
もっと、もっと、意志的でなければならない。
でも、人間はたくさんのさまざまな感情を実体験として味わうことによって、少しずつ成長していくのだ。
そして、その過程に置いてはエゴに悩み苦しむことも、必要なのだと感じる。
長い道のりを生きていく果てに迷ったり遠回りしたりしながら成長していき、最後にまことの愛に辿り着く・・・そんなものなのかもしれない。

まことの愛なんて無いのでは・・・と不安になるときに思い出すのは、敬愛する作家・三浦綾子さんと光世さんご夫妻のこと。
あの二人がいる!・・・この世には「まことの愛」を貫いて一生を生ききることのできる人もいるのだ、と、希望を持たせてくれる。
そして、三浦光世さんや、「光を信じる」ことの素直にできた優しい人たちが・・・今日もきっと、私のことを祈ってくださっている。
そのことを、日々感じながら感謝しながら生きている。

私は、「信じる」という問題を越えられないこの中途半端な状態のままに、たくさんの人の愛の中で、すでに光を感じながら生きている。
心の中に、常に光との対話がある。
花や、緑や、空や、音楽や、本や、人々が、私にはとても美しくきらめいて見える。
ふと見渡せば、私にとって、世界は光に満ちている。
私が素直に「神を信じる」ということができないのは、私がすでに恵まれすぎているせいかもしれない。まだ苦しむことが足りないのかもしれない。
でも、いつも、「信じる」ことを求め、「まことの愛」を求め、求めることをやめることができない。

敬愛するJさんは、
「キリスト教は厳しい砂漠という自然条件の中で、人々の『父なる神よ!』と叫ばずにはいられないうめくような苦しみの心から生まれた。
日本人が唯一絶対の神をなかなか信じることができないのは、あまりに日本が豊かな水と緑に恵まれているからではないだろうか。
唯一絶対の父なる神よりも、すべての自然の中に八百万(やおよろず)の神が宿る、という自然崇拝的な多神教的宗教のほうが日本人の感性に合うのでは・・・。」
とおっしゃられたが、まったくそのとおりかもしれない。
敬愛する河合隼雄先生も、ほぼ同じことを言っていらした。
水と緑に満ちた自然の豊かさと、私を含め多くの日本人の宗教観は、密接に結びついている。
信じなくてもすでに、光と水と緑につつまれて生きることができてしまう。
(でも日本人の心が真に潤っているかどうか・・・は、また別の問題であるが、そのことについてはまたあらためて考えることにして、ここでは触れないで置こう。)


最近、トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』を読んだ。
欲と俗の世界に生きる主人公は、何度もキリスト教の聖なる世界に心引かれながらも、なかなかそちらへ入っていくことができない。
だが、人生の晩年を迎えたときにようやく、光の中へと歩み始める。
すべてに、「ふさわしい時」があるのだ。
芥川はきっと、その「時」を待たずに死んだ。・・・心の闇を見つめて生きることの苦しみに耐え抜くには、彼の感性は鋭すぎたから。

三浦光世さんが、8月のカレンダーにうつくしい直筆で書いてくださった言葉は
「信ずる者はあわてない」
だった。
結論を急ぐのはやめよう。

「なぞ」は「なぞ」のまま、それと真摯に向き合いながら、葛藤を生きる。
そこに私だけの道がある。
「エゴイズムを離れた愛」は、私の遠い遠い理想であり、灯台のあかり。
今はそれで良い。


2007/08/08 (Wed) イ・ビスケロ

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2007年8月1日の夕方の空の色・・・。
台風の前だったからでしょうか、すごく赤い空でした。

★美味しい店、トラットリア・イ・ビスケロをご紹介します!

毎年、空の誕生日は江東区の花火大会の日と重なります。
花火を見て「おめでとう!」を言うのが、もう何年もの習慣です。
だから、めったに足を運ばない江東地区に足を踏み入れる年に一度のチャンスでもあるのです。
去年は、せっかくだから・・・と、その近くで評判のいい美味しいレストランはないか、いろいろ探してみました。
そこで出逢ったのが、東西線の木場駅にある「トラットリア イ・ビスケロ」!!

*お店のホームページ
http://www.ensuisha.co.jp/ibischero/

*こんなお店です・・・。
http://www.tra-noi.com/gusto/ristorante/ibischero.html

*クチコミでもこんなに評判の良いお店。
http://tokyo.gourmet.livedoor.com/restaurant/info/12225.html

http://gourmet.yahoo.co.jp/restaurant/klist.html?gd=M0013018333&ld=0000799961&sr=1

本当に何を食べてもとっても美味しい・・・!! 
そして、内容の充実度の割にお手ごろ価格・・・!!
店内はゆったりとテーブル同士の間隔が広く、気さくでありながら落ち着いて、品のいい雰囲気です。

今年も、花火のあとで楽しみに、一年ぶりにこの店に足を運びました。
コースはなくて、メニューを相談しながら選んでいく方式。
お店の人の対応が気持ちよく親切です。
そして、驚いたことに一年前に一度訪れただけだった私たちを覚えてくれていました。
「去年はあちらのお席でしたよね・・・。」
こういう心遣いって、本当に嬉しくなってしまいます。こちらから言う前に、
「シーフードの入っていない食べ物は・・・」
と、私のアレルギーのことまで覚えていてくれました。
ああ、こんな風にされると、ちょっと遠くても、わざわざ通いたくなる~!

今年は、こんなものを食べました・・・。
*トマトとモッツアレラチーズのカプレーゼ
 ・・・良くあるメニューと、あなどるなかれ!トマトそのものが、チーズそのものが、すごく美味しい!!
*ブロッコリーとアンチョビのパスタ
 ・・・クリームペースト状のブロッコリーの濃厚なソースが美味しいシンプルなパスタ。(去年食べたトマトとバジルのシンプルなパスタも、とにかく美味しかった!)
*アスパラのリゾット
 ・・・こくのあるクリームとアスパラが、長いお米に絡んでとっても美味しい!(去年食べたゴルゴンゾーラのリゾットも、最高でした!)
*白金豚のグリル
 ・・・美味しい豚を香ばしく焼いたものに、レモンをジュジュッと搾っていただきました!
*デザート
 ・・・プリンは甘さ控えめでほろ苦いカラメルのかかった大人味。すごく美味しい!
 誕生日だと言ったせいか、チーズケーキにろうそくを立てたものをサービスで出してくれました。本当に心遣いがすごい!
*飲み物
 食後のコーヒーはこくのあるカプチーノ。(プラス、食事中にビール2杯と、グラスワイン1杯。)

二人でたっぷり食べておなかいっぱい大満足、お酒もちょっぴり飲んで、デザートにコーヒーまで込みで、お会計は一人5000円を切りました!

「また来ますね!」
と、大満足でお店を出ました。

グルメブログを書くつもりではなかったので、料理の写真もお店の写真もろくに撮らず・・・。
でも、あまりに美味しいので、ぜひお近くの方は・・・と思い、ご紹介したいと思います。

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テーブル上のろうそくと、最初のひと皿だけ撮って、あとは食べることに夢中・・・!!


2007/08/07 (Tue) 家族

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「みんな一緒は楽しいね・・・・。」

かわいいヒロ!もうすぐ1歳の誕生日。
・・・ヒロはヒロなりのペースで、毎日少しずつでも着実に、ちゃんと成長しています。
ときどきの発作にドキドキしながら、でも、この笑顔にメロメロです。
最近よく笑ってくれるようになりました!

結婚して家を離れた妹二人が、里帰りしてきました。

上の妹は、二つ離れた県から、もうすぐ一歳になるヒロ君といっしょに一週間。

下の妹は、2年半ぶりにアメリカのコロラドから帰国・・・二週間滞在します。
(つまり、下の妹は、ヒロ君と初対面でした。)

父も母もとてもとても喜んでいます。
久々に両親の笑顔をたくさん見ることのできる幸福を味わっています。

妹たちと離れて暮らすようになってから、まさか(たった一週間とはいえ)また5人家族がそろって食卓に顔を並べ、同じ屋根の下に暮らす日が来るとは、思っていませんでした。

しかも、それ以外にも、妹の夫たち、そしてヒロ君と、家族が増えていく不思議・・・。
きっとまた、次に集まるときには、さらに家族が増えていたり・・・!?
そんな嬉しいこともある・・・かもしれません。

家族が集まること。
何でもないようなことなのだけれど、すごく幸せだなぁと思います。


2007/08/06 (Mon) 宇宙花火
花火の写真にチャレンジしました。
カメラを必死で調整しながら、花火モードにしてみたり、夜景モードにしてみたり、シャッタースピードを変えてみたり、さまざま、試行錯誤!!

でも、本当~~~~に難しい!!
おかげで(?)まともな花火はほとんど撮れずに、おもしろ写真ばかりが撮れました。
花火、というよりまるで宇宙の神秘・・・・?
モダンアート?
うん、まぁ、なんだか、これはこれで楽しいかも♪

きれいな花火は撮せなかったけれど、試行錯誤のあとを、良かったらご覧下さい。
撮ることがとっても楽しくて、夢中になって撮りましたよ。(´ー`)ハッハ・・・。
今年中にリベンジできるかなぁ・・・。

最初にあやまっておこう・・・。
「たくさんすぎてごめんなさい。これでもそうとう削ったのです・・・。もし最後まで見てくれたなら、本当に本当にありがとう!」

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これは、撮った中でも比較的花火らしく写ってくれたもの。



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宇宙の誕生、ビッグバン!?



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赤い光の糸が降る~~~~~!!



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宇宙を飛び回る音符、どんな音楽を奏でているの?



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光の糸の花が咲く。



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きらめく光のさざ波のよう・・・・。


まだまだたくさんあるので・・・(笑)。
続きは下に載せました。
もうすこしお付き合いいただけるようでしたら、
右下にある「READ MORE・・・」をクリックしてくださいね♪
けっこういいのがありまっせ!(*'ー'*)♪

花火写真はまだ続く・・・ぜひ見て下さい♪ こちら↓

2007/08/04 (Sat) なぞ

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花が風に揺れていたのはどうして・・・?


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こんな不思議な星形の連なりはどうして・・・?


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何で?どうして?なんのために?・・・・・・・・・・・・すべては「なぞ」。


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百日紅の花がこんなにかわいらしく不思議な形なのも・・・・「なぞ」。

「なぞ」

世界は「なぞ」に満ちている。

私、とは?
私の心、とは?
本当の気持ち、とは・・・?
・・・私はどうしたいの?
・・・どうしてこうしたの?
・・・これからどうすべきなの?
なぜ、この道を選んだの?
何が本当の幸福なの?

私の内側も、外側(外界)も、「なぞ」、「なぞ」、「なぞ」に満ちた世界・・・。
わからないことばかり。

わからないことばかりの世界の中で、分からないことだらけの人生を、「なぞ」に向きあいながら生きていく。

生きる、ということは、「なぞ」の中で葛藤にもみくちゃにされながら必死に「なぞ」と向きあって、そしてさまざまなことを受け入れていくことかもしれない。

「なぞ」は「なぞ」のまま、「なぞ」を真摯に生きていくしかない。

その中で何らかの選択をしたとき・・・それは、結果的にきっと正しい答えになっていく。
人生は一度だから、自分のただ一度の人生を、人は生きるしかない。
稽古もせず脚本も持たずに「人生」という舞台にいきなり上げられた俳優のように・・・。
生きなかったもう一つの道、というのは、永遠にもう失われた道となっていく。

「僕の前に道はない 僕の後に道はできる」
と、高村光太郎は言った。
踏み出す一歩が人生を創るのだから、どこに一歩を踏み出せばいいのか、それが大きな大きな問題となっていく。
そして、どこに踏み出せばいいのかは、「なぞ」。
でも、何だか見つめると、光のさす方向がある。

踏み出した足を「正解だった」と思えるように、選んだ道を心を尽くし生きていくしかない。
「なぞ」も「葛藤」も、きっと必要な過程。
もし神さまがいるならば道はすでに用意されていて(主の山に備えあり)、迷ったり悩んだりした果てにも、唯一の道へと導かれていく・・・と、そんな風にも考えたり・・・。
でも、この考え方で良いのかどうかは・・・やっぱり「なぞ」!

「なぞ」を生きる。
「なぞ」のままで生きる。

そこに、自分にしかない道が生まれてくる・・・と信じて。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日訃報を聞いたばかりの河合隼雄さんの本を読み返している。
本の中で心に残った部分を私自身のために、メモしておきたい。
なぜなら、河合先生の言葉が私にとって「とても切実な問題」としてビシビシと、鋭く優しく胸に響いたから・・・。
上のような「なぞ」を考えるきっかけも、私自身の心と、河合先生の文章が、ちょうどいいタイミングでピタリ来たから・・・。
心に響いた部分を引用することはすなわち、自分自身の言葉で語る以上に今の私の心の奥底に抱える大きな問題を、えぐり出してくれていると感じる。
これもまた、私の心の記録として・・・。

以下引用は『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』(講談社+α文庫)より

*避けられた課題は常に拡大され、それは普遍的な性質を帯びてくる。(p136)

*運命を避けようとする試みが、ますます運命を引き寄せることになる。(p156)

*人間にとって外界のすべての事象はすべて「なぞ」であるとも言うことができる。
人間をめぐる万物はそれぞれ「なんぞ?」と問いかけてくる。
この「なぞ」をわれわれは解き明かさねばならず、その答えの集積こそが人間の文化というものであると考えられる。(p224)

*人間をひとつの世界と見て、そのようなミクロコスモスと、宇宙というマクロコスモスの対応を考える思想は洋の東西を問わず古くから存在している。
確かに人間の内界は無限のひろがりをもち、それは外界のひろさと匹敵すると考えることができる。
かくて、人間に対する「なぞ」は外界からだけではなく、内界からも発せられることになる。
「私とは何か」という問いは、「私の魂とは何か。」という問いにおきかえられる。
自分の心の奥にはいったい何があるのか。
魂は存在するのか。
これらのことは確かに人間にとっての永遠の「なぞ」である。(p225)

*「なぞ」が解かれたかのように見えるときでも、疑問はさらに湧いてくる。
「いったいそれは『本当は』何なのだろうか」と。
これは、自分自身に対してもそうである。
われわれの自我はそれ自身について知っており、外界についての知識は自我を豊かにする。
しかし、自我がそれ自身の存在に目を向けたとき、その存在が深く基礎づけられたと感じる知恵は、先に述べた知識とは次元の異なるものである。
ユングは自我の内部でそれを豊かにする知識と、自我存在を深く基礎づける知恵とを区別し、後者の場合はアニマ(男性の心の中に存在する女性の理想像のようなもの。詳しくはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9Eが関係してくると指摘している。(p234)

*魂の世界に住む彼女(童話の主人公の姫)にとって、外界の世界はすなわち「なぞ」であり、解くことはできないのである。
これは外界の現実にのみとらわれた人間にとって、彼女が永遠の「なぞ」であるのと同様である。
このなぞ解き姫は、美しいが高慢であったと言われている。
このアニマの高慢さをわれわれはどのように体験するであろうか。
われわれ男性がアニマの存在に気付きはじめると、その内界のすばらしさに魅せられて、今まで大切にしてきたことはすべて無に等しいとさえ感じられる。
人間の心と心の接触こそが第一であり、そのためには地位も財産も名誉もすべて不要であるなどと思うとき、それはそれで確かに正しいことでありながら、そこに「高慢」の危険性が充分に存在している。
そのとき、アニマの、すなわち「魂」の高慢の鼻を、外的世界の「なぞ」が押しつぶすのである。(p239)

*人間の結婚ということの難しさ、あるいは男性性と女性性の結合ということの難しさ・・・それは一度に成し遂げられるものではなく、長い過程の中で、離別と結合を繰り返しつつ成就されることを意味している。
 人間の成長に死と再生のプロセスが必要であるように、結婚生活の発展のためには、離婚と再婚が・・・同一人に対して行われるのではあるが・・・必要であることを物語っているのではないだろうか。
あるいはアニマ、アニムスの問題は、それを外界に投影して生きたあと、それを実際に自分の内界のこととして知る第二の段階が必要であることを物語っているとも考えられる。
ともかく、対立物の合一という仕事は一筋縄では成就されがたいのである。(p268)

*指輪はその円環性によって自己の象徴であり得るとともに、結合と拘束を表す。
結合と拘束とは言ってみれば同じことであるかもしれないが、その人の主観的な受けとり方によってそれは何かの結合と感じられたり、何ものかによる拘束と感じられたりするということであろう。

*結婚ということ自身が対立物の合一であり、ひとつの完結した円環をつくるものである。(p283)

*真実は、簡単に計り知ることのできない第三の道として存在している。
あれかこれかという二者択一の選択の道ではなく・・・。
早まって片方に決めてしまうことなく、両者の葛藤の中に身を置いて正面から取り組んでゆくと、その人なりの第三の道がひらけてくるものである。
ここで「その人なりの」という表現をしたとき、これはまさに「人となり」という言葉につながるものである。
つまり、両者の葛藤にもまれることにより、そこには他人の真似できない、その人の個性ができあがってゆくのである。
あれかこれかという断定は、既存の何らかの価値判断に従うかぎり決められるものである。
しかし、第三の道は、その人個人の個性を必要とし、既存のものに頼らない創造的行為となる。


2007/08/03 (Fri) フラメンコ山

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この花はエンジェルス・トランペット ( Angel's trumpet tree )
「天使のラッパ」とは、なんて上手いネーミング!まさにその通りのイメージですね。

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☆真由美先生のレッスン

昨日は真由美先生のレッスンだった。(・・・私には珍しい書き出し?)

*万が一!?真由美先生を知らない方のために・・・。
http://www.arte-y-solera.com/index.html

達人・真由美先生(舞踊の精、とも言える)は、様々な身体の使い方を的確に教えて下さる。たとえ方もものすごく上手で、肩をハンガー、腕をタオルにたとえたり、イメージがわきやすい。
私たちを笑わせ、燃やし、熱く本気にさせて一段上へと導いてくれる。
素晴らしい現役の「踊り手」であると同時に、本当に素晴らしい「先生」だと感じる。
もうすぐ師事して丸七年になるというのに、先生のレッスンは毎回新しく、受けられると嬉しくて、ちょっぴり(かなり?)緊張感もある。
目から鱗が落ちるような思いで、一つひとつの動作を新鮮に感じながら、汗びちょになって楽しくレッスンを受けた。

先生は、身体の使い方に「正解」を持っている。子供の頃から舞踊一筋、長年培ってきた日々の鍛錬が先生の体の中に染み渡って、「正解」を作っている。
だから、信頼感を持って習うことができる。
先生が「それは間違っているよ。」と言うとき、確かにそれは間違っている。軸がずれていたり、横から見たら不格好だったり、繊細さにかけたり、何かがおかしいのだ・・・。
習うとき、「自分」にこだわりすぎて頑固だと、成長できない。
先生の教えに、まずは素直にしたがってみる。真似をしてみる。言われたことに(できてもできなくても)とにかく一生懸命に挑戦してみる。
・・・そこから、新たな自分と出会うきっかけも生まれる。
「学ぶ、ということは、素直になることだなぁ」とあらためて感じた。

尊敬・信頼できる「師」がいる、というのは本当に幸福なことだ。
そして、その人の、人生のもっとも輝く瞬間、・・・優れた才能が新たな何かを「造っていく」過程に、参加させてもらい、共に造る一端をになわせてもらえる幸福。
初演から出演させてもらっている「フラメンコ曽根崎心中」や、スペイン人ミュージシャンとの生粋のフラメンコの舞台である「ARTE Y SOLERA」シリーズに、最初から関われた私の人生のタイミングの幸運を思う。
でも、これもきっと、偶然ではなく必然!

先生たちとは、運命的な出会いだなぁ、と、心から感じる。
真由美先生、ヒロ君先生と私たちは、また新たな「作品」(プーロフラメンコの舞台)をこれから造っていくところだ。
タイトルだけ決まっていて(これまたすごいタイトル!!)、まだほかのことは決まっていない。
でも、素晴らしい作品になる(する!)、という、絶対の確信がある。


☆「フラメンコ」という山

昨日、そんなレッスンの帰り道で考えていた。
「フラメンコ」という山のことを・・・・。

カルチャーセンターでフラメンコを習い始めた高校一年生の私・・・。まだ「セビジャーナス」しか知らなかった。
発表会で当時師事していた先生や、先輩方の踊りを見て、コケティッシュな「ガロティン」や哀愁のある「タンゴ・デ・マラガ」にあこがれた。
「すごいなぁ、素敵だなぁ。いつか、その二曲を踊ってみたいなぁ。その時がくるまでは、フラメンコをやめずに続けていよう・・・。」
そう思ったことを、ついこの間のように思い出す。
そう、フラメンコを始めたばかりの頃の私の目指す山の頂上は、そこだった。
でも、フラメンコという山は、分け入っても分け入っても青い山・・・(by山頭火)。
気付いたらいつしか、「ガロティン」も「タンゴ・デ・マラガ」も、もう何度も何度も舞台で踊ってきた。
そしてそのふた山は、今の私の目指す頂ではなくなってしまった。(またいつか、別の形で挑戦するときが来るかも知れないけれど・・・。)

「フラメンコ」という山は不思議な山で、登れば登るほどに頂上が高く高く、遠く遠くなっていく。(フラメンコだけではなくどんな道においても、ひとつの道を究めようとする、というのはこのようなことなのかも知れない。)
・・・頂上が逃げていく、というよりもむしろ、登りはじめたばかりのころには見えないところに頂上がある、ということなのかなぁ・・・。
高い方へ登っているつもりが、実はいつしか深い沼の底の底へとドップリ・・・と言っても良いかも。恐ろしい深淵、でもあるのだ。
はじめは、花の咲く丘をスキップしながらハイキング。徐々に周囲は緑におおわれ、道は険しく厳しくなっていく。
時には、たったひとりで雪渓にしがみつきながら断崖絶壁をよじ登らなければならないほどに苦しいこともある。
でも、登れば登るほどに、見たこともない景色や感動と出逢う。
そしてフラメンコではいつも、どんなにひとりで踊るときも、歌とギターが共に寄り添い続け、叱咤激励し、時にはぶつかり合い、からみながら、かならず一緒に「居て」くれる。

こんなに登り続けることになるとは、思っていなかった。
私の人生の多くの時間を、体力を、精神力を、お金を、そそぎこんでそそぎこんで来た。
ある人から、
「もうフラメンコの道においては『見るべきほどのものは見つ』、という状態なのでは。」
と云われたこともあった。
でも、つらいときも、登り続けることをやめることができなかった。
それがドゥエンデ、・・・フラメンコの魔力かも知れない。
そして今も、まだまだ頂上は見えず、ずいぶん登ってきたような気もするけれど、それでも当分辿り着けそうもない・・・と感じている。

私の場合、今いる環境(鍵田・佐藤舞踊団)のおかげで、ひとつの頂に到達して喜んでホッとすると、すぐそこから、次の頂を目指すための、あらたな道が始まっている。
「何しているの、ホラ、次へ行くよ!!靴の紐を締めて、しっかり荷物を背負って!!」
と明るい声がかかる。
みんなの笑顔が私を歩かせてくれる。
ノンビリ屋でなまけものの私だから、こうでもしなくては、自分自身の意志だけでこれほどの山をいくつも登り続けることなんてできなかっただろう。
人や機会に恵まれてきたから、踊り始めてからずっと飽きたり倦んだりする暇がなかった。
良い登山リーダー(先生たち)や、いい登山パーティー(舞踊団の仲間やスタッフの方たち)との出会いがなければ、私はとてもここまで登り続けてくることはなかっただろう。
「リーダー(先生たち)の目指す高みはどこまで続くのだろう。二人の持つ地図に描かれた『頂上』はどこなんだろう。二人の目には何が映って居るんだろう。それをもっともっと分かち合いたい」
と、いつも、いつでも願う。
今はとにかく、敬愛するあの二人の目指す高みを、頼もしい仲間のひとりとして(そうであれるように努力し続けて)共に目指していこうと思う。
どんなに苦しい過程があったとしても、あの二人の目指す『頂上』には何か素晴らしいこと、何かおもしろいこと、なにか美しいことが、待っているのは間違いないから。
これまでもずっとそうだった。
何より私は、あの二人が大好きなのだ。
そして、一緒にいるのが、楽しくてたまらない。

そして、私自身のフラメンコという山を考えたとき・・・。
ある時、登るのに苦しくなって、背中にしょっているリュックを開けてみた。
開けてみると、まずぎっしりと入っていたのは、「本」だった。それが、私の「アイテム」だった。
不思議なようだけれど、これでこれはひとつの事実であって、踊っていく私をもっとも私たらしめて、助けてくれているのは「文学」かも知れない。
ヒロ君先生はよく、
「バッハが僕にすべてを教えてくれた。」
と言うけれど、私の場合は、「文学が」と言い替えられる。
「何を真善美とするのか」・・・とか、「人はいかに生きるのか」という「問い」と向きあって生きることを教えてくれたのは「文学」だ。
それは不思議とフラメンコの山を登るための心の力に密接に結びついてくれている。
それから、音楽や、美術や、映画や、花や、写真や、仕事や日々の生活・・・そして、大好きで大切な人たち・・・この人生で出逢ってきた人たち・・・それらも私の大きな力だ。

同じモチーフを繰り返すことの素晴らしさ、偉大さを、私に教えてくれたのは画家のモネだ。
彼が「睡蓮」を繰り返し描き続けたように、私も、同じ曲を繰り返し踊っていこうと思う。
舞踊団が、繰り返し踊ってきた「シギリージャ」「マルティネーテ」。
私個人の今目指すひとつの頂である「ソレア」。
それが、今の目標。
まだまだ、登りたい頂は続く。

心と身体の体力を付けて、ゆっくりでも歩みを止めることなく、・・・これからもグングン登っていけますように・・・。
さぁ、次の公演が楽しみだ!!

*フラメンコ公演
「ARTE Y SOLERA」
9月28日(金)29日(土)
於:草月ホール(東京・赤坂)
鍵田・佐藤先生、私たち舞踊団のメンバー、そして生粋のスペイン人ミュージシャンとともにおこないます。
ぜひ見にいらして下さいね!
(できれば・・・私からチケット買ってくださると・・・。
とってもとっても嬉しいです(´ー`;)ハッハ・・・。
よろしくどうぞ~!)


2007/08/01 (Wed) きらめき

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驟雨に打たれ、うなだれる白い百日紅(サルスベリ)の花を見つめていました。

そして、雨が上がった瞬間に、「きらめき」を見ました。
雨上がりの百日紅は何と美しかったことでしょう・・・。

「瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい!」
("Verweile doch! Du bist so schön.")(ゲーテ『ファウスト』より)
と、心の底から、そう感じることのできる人生の瞬間・・・。

ゲーテの小説『ファウスト』で、年老いた学者・
ファウスト博士は、
「生きることの真の充足感を得たい。もし自分が『瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい!』という言葉を言葉から叫ぶことができるならば、悪魔に魂を渡してもかまわない・・・。」
と言いました。

それほど、人生に「きらめき」の瞬間を持つことはたやすいことではない、ということなのでしょう・・・。
生涯に一度でも、そう心の底から真に感じることができたなら、命を捨てても惜しくはないほど価値のあること、と・・・ゲーテは言おうとしたのでしょうか。
もう、一生分の感動を生ききった、と思えるほど美しい瞬間を味わったその時こそ、人生の終わりが来ても思い残すことはないと・・・。

私はもう、そう、はっきりと口にすることのできる時間を、何度も何度も味わって「きてしまった」と、そう感じています。
そのことを思うとき・・・、ただ静かに泣きたくなるのはなぜでしょう。

雲間から細くさした光の中で、雨の滴を宿すレースのような百日紅の花の美しさ・・・。
花びらは白いフリル。淡いピンクのしべのユニークで奔放なしなり。毬のようにかわいらしいつぼみ。

我が家の玄関の扉を開けたところに毎夏咲いている百日紅が、こんなにかわいい花だということを、今年はじめて知りました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今日は、空の誕生日。

私の人生に、たくさんの「きらめき」の瞬間をくれた人。

生まれてきてくれてありがとう。
生きてきてくれてありがとう。
出逢ってくれてありがとう。

胸一杯にあふれる思いを込めて、「おめでとう」と、「ありがとう」を、言わせて下さい。

心から、心から、お誕生日、おめでとう!!



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プロフィール

mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
・マドレデウス

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