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2007/08/09 (Thu) エゴと愛

20070807154003.jpg
箱根の彫刻の森美術館で撮ったもの。
私にとって・・・神さまとはこのイメージ。
ただ黙って静かに心の痛みに優しく寄り添ってくれる「エゴを離れた愛」の存在。


☆作家・芥川龍之介の書簡
大正四年(一九一五年)三月九日付 井川恭 宛

「イゴイズムを離れた愛があるかどうか。
イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁をわたることはできない。
人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒すことはできない。
イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない。 
周囲は醜い。
自己も醜い。
そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい。
しかも人はそのままに生きる事を強いられる。
一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪むべき嘲弄だ。
僕はイゴイズムを離れた愛の存在を疑う。(僕自身にも)。
僕は時々やりきれないと思うことがある。
何故、こんなにしてまでも生存を続ける必要があるのだろうと思うことがある。
そして最後に神に対する復讐は、自己の生存を失う事だと思うことがある。
僕はどうすればいいのだかわからない。
君はおちついているかもしれない、そして僕の言う事を浅はかな誇張だと思うかもしれない。
(そう思われてもしかたがないが。)
しかし僕にはこのまま回避せずにすすむべく強いるものがある。 
そのものは僕に周囲と自己とのすべての醜さを見よと命ずる。
僕は勿論亡びることを恐れる。
しかも僕は亡びるという予感をもちながらもこのものの声に耳をかたむけずにはいられない。(後略)」
 (『芥川龍之介全集 第十巻』岩波書店 1978年)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三五才で自殺したこの鋭敏な天才・芥川龍之介の死の枕元には、一冊の『聖書』が置かれていたという。
芥川は聖書の中に「イゴイズムを離れた愛」の存在を感じながら、そしてそれを求めつつも、神を神として信じられぬまま、深い闇の中にいる自分を感じ、それを凝視し、人間の心の闇を見つめてきた。

その鋭利な刃物のようなまなざしは、自分と、そしてすべての人間を取り巻く「黒洞々たる闇」(『羅生門』より)をひたすらに見つめる。
心の「闇」とは・・・すなわち、最終的には自己の利益を最優先にしてしまう人間の、エゴイスティックな「存在そのもの」に対する絶望感。

でも、闇があれば、一方では光(=神)が存在するのだ、ということを「信じる」ことができれば、きっと人生は生きるに値すると感じることができる。
だが、芥川は・・・その「光を信じる」という一点をどうしても越えることができなかった。
このことを彼は「僕には越えられない溝」(『歯車』より)と表現している。

時に芥川のような鋭い知性・・・そして真実を見抜きすぎるニヒルなまなざしは、人が光を信じるための大きな妨げとなってしまう。
でも、上の書簡に見るとおり、神は芥川に「回避せずに進め」「すべての醜さを見よ」と命じた。
・・・ただし、それは本当に神の声だっただろうか。
彼は、亡びる予感を抱きながら、逃れられずにその声にしたがっていくことによって、最後には自殺に至ったのだ。
だからこれは、神の声というよりもむしろ、悪魔のささやきかもしれない・・・。
芥川自身の繊細な知性によって研ぎ澄まされた感性という悪魔が、幻聴のように、その声を神の声として聞かせてしまったのか。
芥川は、イエスの手を求めつつもその手から零れ落ちてしまった一匹の迷える子羊だろうか。
ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのように・・・知性とエゴイズムに苦しんだからこそ、その果てに、光の中へ入っていく道を得ることができればよかったのに・・・。
そのためには、ただ「信じる」ということができればいいのだけれど、ああ、それはどれほど困難なことだろう。


この書簡を読むと、エゴイズム・・・つまり利己主義を離れたまことの「愛」を、心から求めて、求めて、そしてそこにどうしても至ることができなかった彼の苦しみを感じる。

まことの「愛」の存在を、求めなければ、妥協できれば、苦しまない。
でも、芥川には求めないことはもちろん、妥協することはできなかった。
エゴイズムを離れたまことの「愛」を得られない現実を痛いほど見つめ続けながら、それでも求めて、求めて、絶望して死んだ。
芥川の最後の小説は『続西方の人』であった。
西方の人・・・とは、すなわち、イエス・キリストを指す。
この小説の最後の一文では、こう書かれている。
・・・・われわれはエマオの旅人たちのように、われわれの心を燃え上がらせるクリストを求めずにはいられないのであろう。」

芥川のこの書簡に描かれたエゴと愛の問題は、私自身の抱える問題でもある。
だから、芥川の苦しみは、すなわち私自身の苦しみでもある。
私も、結局は自己中心的な生き方から逃れられない自分をみつめている。
悲しい思いで・・・。
相手を愛しているつもりでいながら、結局は自分のことを考えている・・・自分の幸福、自分の心の安定、愛「されて」生きること・・・・。
そして、自分の利益を越えて相手の幸福を心から願う、というまことの「愛」の存在を求めながらも、・・・自分がそうでありたいと願いながらも、そうあり続けることのできない人間の心の弱さに直面している。
私の中に、エゴを離れた愛でなければまことの愛ではない、という、この世を生きるには適さないような、困った潔癖な心がある。
それをまずは自分自身に、そして相手にさえも求めてしまうという傲慢な心。
でも、果たしてエゴを離れた愛など、人間が持つことができるのか・・・、と、芥川と同じく求めつつも疑う。
とにかく私には、エゴを離れて「愛する」ということが永遠の課題だ。
愛する、ということは、コントロールできない感情に振り回されることではない。
もっと、もっと、意志的でなければならない。
でも、人間はたくさんのさまざまな感情を実体験として味わうことによって、少しずつ成長していくのだ。
そして、その過程に置いてはエゴに悩み苦しむことも、必要なのだと感じる。
長い道のりを生きていく果てに迷ったり遠回りしたりしながら成長していき、最後にまことの愛に辿り着く・・・そんなものなのかもしれない。

まことの愛なんて無いのでは・・・と不安になるときに思い出すのは、敬愛する作家・三浦綾子さんと光世さんご夫妻のこと。
あの二人がいる!・・・この世には「まことの愛」を貫いて一生を生ききることのできる人もいるのだ、と、希望を持たせてくれる。
そして、三浦光世さんや、「光を信じる」ことの素直にできた優しい人たちが・・・今日もきっと、私のことを祈ってくださっている。
そのことを、日々感じながら感謝しながら生きている。

私は、「信じる」という問題を越えられないこの中途半端な状態のままに、たくさんの人の愛の中で、すでに光を感じながら生きている。
心の中に、常に光との対話がある。
花や、緑や、空や、音楽や、本や、人々が、私にはとても美しくきらめいて見える。
ふと見渡せば、私にとって、世界は光に満ちている。
私が素直に「神を信じる」ということができないのは、私がすでに恵まれすぎているせいかもしれない。まだ苦しむことが足りないのかもしれない。
でも、いつも、「信じる」ことを求め、「まことの愛」を求め、求めることをやめることができない。

敬愛するJさんは、
「キリスト教は厳しい砂漠という自然条件の中で、人々の『父なる神よ!』と叫ばずにはいられないうめくような苦しみの心から生まれた。
日本人が唯一絶対の神をなかなか信じることができないのは、あまりに日本が豊かな水と緑に恵まれているからではないだろうか。
唯一絶対の父なる神よりも、すべての自然の中に八百万(やおよろず)の神が宿る、という自然崇拝的な多神教的宗教のほうが日本人の感性に合うのでは・・・。」
とおっしゃられたが、まったくそのとおりかもしれない。
敬愛する河合隼雄先生も、ほぼ同じことを言っていらした。
水と緑に満ちた自然の豊かさと、私を含め多くの日本人の宗教観は、密接に結びついている。
信じなくてもすでに、光と水と緑につつまれて生きることができてしまう。
(でも日本人の心が真に潤っているかどうか・・・は、また別の問題であるが、そのことについてはまたあらためて考えることにして、ここでは触れないで置こう。)


最近、トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』を読んだ。
欲と俗の世界に生きる主人公は、何度もキリスト教の聖なる世界に心引かれながらも、なかなかそちらへ入っていくことができない。
だが、人生の晩年を迎えたときにようやく、光の中へと歩み始める。
すべてに、「ふさわしい時」があるのだ。
芥川はきっと、その「時」を待たずに死んだ。・・・心の闇を見つめて生きることの苦しみに耐え抜くには、彼の感性は鋭すぎたから。

三浦光世さんが、8月のカレンダーにうつくしい直筆で書いてくださった言葉は
「信ずる者はあわてない」
だった。
結論を急ぐのはやめよう。

「なぞ」は「なぞ」のまま、それと真摯に向き合いながら、葛藤を生きる。
そこに私だけの道がある。
「エゴイズムを離れた愛」は、私の遠い遠い理想であり、灯台のあかり。
今はそれで良い。

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Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

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「世界と人生を愛すること 
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太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
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・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
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・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
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・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
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などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

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