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2007/08/20 (Mon) 新人公演

2007_0801yoko0168.jpg
ベゴニアの花。みっちりと咲いています。

☆「日本フラメンコ協会 新人公演 2007」

同じスタジオの仲間が群舞部門に出場するので、フラメンコ界での真夏の最大のイベント(?)である、
「フラメンコルネサンス21 日本フラメンコ協会新人公演」(要はコンクール)
を、中野ゼロホールに見に行ってきた。
8月17~19日までの3日間、合計91名と3組が出場し、それぞれの思いの丈をありったけの力を込めて表現する。
この、フラメンコのほぼ唯一の登竜門という位置づけに(良くも悪くも)なっている新人公演にかける出場者の思いは並々ではない。


☆心からお疲れさま!!
まずは、出演したすべての人に、心から「お疲れさま!!」を言いたい。
心を込めて言いたい。
特に、うちのスタジオの大事な、大好きな仲間たちのことは、一緒に踊っているような気持ちで見てしまう。
ので、気持ちが手に取るように伝わってきて、「じ~ん」とする。
身内びいきと言われようと、なんと言われようと、一人ひとり抱きしめて「素晴らしかったよ!!」と言いたい。
これまでのがんばりと、本番でのがんばりに、惜しみなく大きな拍手をしたい。


☆「見る」ということ
私は今年は仲間の出る最終日しか見に行かなかったけれど、その4時間少々で、
ぐっっっっっっっっっっっっっったりと疲れてしまった。
(悪い意味じゃなくて…)。
出演するのは、お金と体力と時間と精神力すべてをそそぎこんで、暑い夏に練習・練習・練習の毎日で、本当に本当に大変なこと。(経験者は語る。笑)
そして、その真剣な挑みを「見る」…しかも、心をこめて「見る」(しかも4時間ずっと)というのもまた、大変なことだと思った。
それぞれの踊る7分半に濃厚なドラマがある。
コンクールだから誰しもが命がけで踊るので、無駄は徹底的にはぶかれていて、濃縮還元ジュースの原液状態。
真剣に「見る」ことを迫られ、いやがおうでも熱い思い入れがビシビシと伝わって来てしまう。
力を抜いて楽しんで見ることができない4時間は、緊迫していて、息ができない感じ。
見終えたときには、すっかり頭痛になっていた。
(そんな中で私を唯一、何度か「クスリ」と笑わせ、おもわず「オレ!」と言わせた出場者は、友人の彼、スーさん。笑。あと、T.T.さんは「すごく上手だなぁ」と、ため息が出るほど感心させられた。でも、感心…と、感動…の差は大きい。)

私は踊りを、人ごととしてなかなか見ることができないので、見ているあいだずっと心が動くから、「見る」だけですごくエネルギーを消耗する。
コンクールにおける人の欠点は、我が事として胸に突き刺さる。
ちょっとした(グラッとしたり…、回転がぶれたり…、微妙に音を外したり…)失敗は針にさされるように我が胸を痛める。
踊りの後半の、苦しげにゆがみそうになる表情を必死で笑顔に保とうとする姿に苦しくなる。
そして…見ているとさまざまな考えに心が揺すぶられる。
見知らぬ人の踊りは、決して優しい心でばかり見ているのではない自分に気付く。(むしろ、厳しい目で見てしまう。)
私だけではなくきっと、人間の心の中に住む辛口コメンテーターは、たいてい自分を棚上げにする。
そういう意味で、コンクールというのは、客席に温かさの欠ける残酷で傲慢な場だと思う。

でも、その大変さや、場の空気に耐えて4時間「見る」(主体的な心で見る)ということを続けると、たくさんのことに気付かされる。
簡単に言ってしまえば、「人の振り見て…」的に、自分の課題も見えてくる、ということ。
考えさせられることが多すぎて頭痛になったのかな?

☆すごく上手なんだけど…
本当にため息が出るほど「上手」な人がた~くさんいて、その人たちは、「みんな」容姿も美しく、「みんな」ブラッソ(腕づかい)もマノ(手首から先の動き)もきれい、「みんな」足も強くて良く動くし、「みんな」それぞれに工夫があり、「みんな」熱く踊っていた。
私は(正直に言って良いのか分からないけれど)、…それだからこそむしろ、残念なことに「誰が誰だかサッパリ区別が付かない感じ」だなぁ、と思ってしまった。
上手な人は、技術レベルが近いからこそ、みんな似て見えてしまった。
(そして、図々しいことを言えば、自分もその部類の末席に加わり、似たようなタイプになっていたかもしれない。)
むしろあまり上手じゃない人のほうが個性的に見えてしまうほど。
(だからといってコンクールなので、上手ではない人が良いとはまったく言えない。)
ソロの半分ぐらいの人が、高い高~いレベルでの、「ドングリの背比べ」だ。
あの中から頭ひとつ抜きんでるのは相当のこと。(男性は少ないからやはり得だ。)
だから、毎年コンクールの結果を聞くと、
「え?なんであの人?」
と思うことが多い。(失礼!)
でも、結局はその時本番の一瞬をどう踊ったか、ということはしだいに消えていき(舞台芸術は花火のようなもの。)、賞を「取った」「取らない」という結果だけが、残酷にも残っていく。
芸術を「評価する」というのは困難なことだ。そして責任の重いことだ。

とっても上手。
とっても美しい。
とっても素敵。
…そんな人はゴマンといるんだ、ということを知る。
(高いレベルでのドングリの背比べに何の意味があるんだろう。)

でも、何かが足りない。
どこかがもったいない。
もう一つ、心に届かない。
「オレ!」という言葉がまったく出てこない。
…その原因は何だろう、と、否が応でも考え込んでしまう。
もちろん、そう簡単に答えが出せるぐらいなら、悩みはしないのだけれど。

上手じゃなくても良いので、「オレ!!」と叫びたくなるような踊りを見たい。
その人の粋な抜けっぷりに笑い転げて涙が出るような踊りを見たい。
その人臭さと「フラメンコらしさ」の結合がプンプンと匂うような踊りを見たい。
そういうときに、心から感動する。
(コンクールにそれを望むのは間違いかもしれない。だからこそ、去年のTさんの忘れられない泥臭いフラメンコ臭のすばらしさが、どれほど貴重なものだったかを感じる。彼女を今年見られなかったのが本当に残念。)

☆自分のためのメモ
せめてもこれから踊っていく上での自分自身へのヒントになるように、昨日私が気付いたことを、忘れないうちに書きとめておきたい。

*「フラメンコ」であること、こそが最重要。
バレエなどの踊りの基礎をしっかり持っていることはとても大事。踊りの基礎がないと、身体の使い方や重心、軸、が理屈からはずれてしまい見苦しい。
でも、何よりもまず「フラメンコ」であることが大事。
では「フラメンコ」とは、何か。…むむむ。
やはりまずはギターとカンテと呼応した「フラメンコ」の音楽を、身体が奏でることを皮切りに考えていこう。

*些細なことが命取り!
レベルの高いところへ行けば行くほど、むしろ「些細なこと」こそが重要になってくる。そこを丁寧につめていくことの大切さを実感。
あごを上げる、下げるときの微妙な角度や、目線の角度、ヒジの位置、などを、重箱の隅をつつきまくるまで丁寧に自分の中で突き詰めて、その果てに考えずに無意識でいても一番いいところにピタッとおさまるようになるまで、日々の鍛練を積むこと。
ちょっとしたところが「上手なのに惜しい…」の原因のひとつなのだ。
身体の隅々まで、忘れずに意志的であること。

*抜けきる。
抜けるときに音をはずさない。小気味良いほどスッキリ抜ける!抜ける瞬間こそがフラメンコのもっともオイシイところなのだから。(でもムズカシイ…)

*クネクネしない。
女性らしいやわらかな動きは、いやらしいクネクネと表裏一体。その紙一重のところを間違えると、媚びた気持ちの悪い踊りになる。
(上手なんだけど、ベリーダンスに転向した方が良いのでは…というような女性的クネクネがたくさんいた。私はそれを好きではないと思った。)
スッキリと身体の中心を通る芯を持ち、無駄なクネクネをいさぎよく消し去ること。
(これは、「フラメンコであること」ともつながってくる。)

*踊りを詰め込みすぎない。
コンクールで踊る7分半を、「ワザの博覧会」にして、自分にできることすべてを詰め込む必要は全くない。
何もしない…けれど物事は背後で大きな音を立てながらゴウゴウと進んでいるような、「間(ま)」が、あればあるほどいい。
待って、待って、待って、待って、グッと抑えて、そしてやってくる爆発の瞬間を迎える…というのがいい。
爆発しっぱなしはむしろインパクトを弱める。


☆おまけ
去年自分が書いたことを読み返してみた。

「コンクール考」(2006/8/26 Sun)
http://lunasolmilcoco.blog68.fc2.com/blog-entry-8.html

去年も、だいたい同じようなことを考えていたんだな~、と、ちょっと笑ってしまう。
でも、今あらためて読んで我ながら「なるほど」と思うことも色々とあった。

一部抜粋。

これから、私はどう踊っていくのか・・・・。
まず私は私で「自分の良さ」をよく分からなくてはいけないのだと思った。
それから、どう踊りたいのか・・・という明確なビジョンを持つこと。
「誰かのように」踊るのでは意味はないのだ、ということ。
「私らしさ」のあり方が中途半端ではいけないのだ、ということ。
(中略)
派手な技術を無理に詰め込んで見せつけることは逆効果、むしろ、能のように、押さえて押さえて引き算をして、装飾を削り落とした、真実のみを語るような踊りを踊っていきたい・・・。

なるほど・・・・。
それで、ソロで踊る「ソレア」がああいう形になっていったんだな~。
すっかり忘れていた。(笑)
私はやはり、もう少し、今進んでいる路線(そぎ落としていくこと)を突き詰めていきたいなぁ。
まだまだまだまだ道は遠いし、ちっとも満足していない。
新人公演に出ないことで、以前より退化してしまっては元も子もない。
自分の道をちゃんと(逃げずに)歩み続けること。
そのための良き師、切磋琢磨し合ういい仲間にせっかく恵まれているのだから…。
そして、たくさんの(自分ひとりでは手に入れることのできなかった)すばらしい経験の場を与えてもらっていることに感謝しつつ、それらを自分の糧にしていきたい。

やはりコンクールのような濃厚な舞台を「見る」こと、しかも主体的に「見る」ということから、多くを学べるのだなぁ。
「見る」ことはとても大切だ。
新人公演、とっても疲れたけれど、見に行って良かった。

(そして、私は、物事を考えるときに、こうやって書いてみないと、しっかり整理・把握できないのだなぁとつくづく感じた。だから長くなってしまう…。笑。もしここまで読んでくれたなら、本当にありがとうございます。)

さあ、私も、また頑張って踊っていこう!

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プロフィール

mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

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「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
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・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
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・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
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などなど。

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