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2006/09/29 (Fri) 能「江口」鑑賞記

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能 「江口」 鑑賞記

先日、秋の光が美しく降る中、舞踊団のアドバイザー・Hりんに能を見に連れて行っていただいた。
この間のライブで踊る時に「能のように舞う」を自分のテーマにしていたにもかかわらず、私は能に対しては知識が無いに等しく、漠然としたイメージしか持っていない。一度見たことがある・・・という程度で何も知らないのが実情。
そこで、Hりんに「機会があったら能を見たいのでぜひ!!」とお願いしていたところ、快くこのような機会を与えて下さった。(本当にありがとうございました!!心から感謝しています。)

Hりんは能についての本も執筆し、今回見せていただいた能「江口」のパンフレットの解説も書いていらっしゃる「プロ」だ。Hりんのお書きになったこの作品の解説は、それだけを読んでも充分に人の心の深部に触れてくる感動的な素晴らしいものであった。これは「ある、たった一人の人」のために書かれたものだそうなのだけれど、誰が読んでも、人間の「生きる」ことへの普遍的で真摯な問いかけであり、真剣に生きる意味を求める心には必ず強く響くものがある文章であると感じた。

事前にその日見る作品「江口」の概要やテーマなどをうかがって、それからいよいよ胸を高鳴らせながら東京・神楽坂にある矢来能楽堂(http://www.kanze.com/kanze1.html)へ向かった。

★能 「江口」 について

この作品の内容は、次のようなものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある旅の僧が、遊女「江口の君」の旧跡にたたずんで、一夜の宿りを断られた時に詠まれた西行の歌を口ずさむ。
「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」
すると、女の霊が現れて、
「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」
(あなたが出家されている身であればこそ、このような遊女の宿にあえてお泊めしなかったのです。)
・・・と語り消えてゆく。
そして三人の遊女たちの秋の月光の中での華やかな船遊びの場面になる。
ふたたび僧の前に姿を現した江口の君の霊は、釈尊の教え、無常を説き、執着(=「心とむる」)を離れれば心は自在を得ると言い、最後にその姿は普賢菩薩となり、光と共に西の空へと消えてゆく・・・。
 

( http://www.webslab.com/enkai/agyo/egc/egc01.htm ←作品の詳しい内容についてはこちらでどうぞ!謡の全文や現代語訳まであるのですごい!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この作品は、能の作品の中でも深淵で理解するのが難しい作品であるそうだ。宗教的でもあり、初心者向けの作品ではないと言われつつ、それでも、むしろこの作品を見られたことは私にとって幸運であったと思う。
「俗」に生きた遊女が最後には浄化され菩薩へとなっていく・・・。

最後にそのような大きな救済が演じられるという部分にも強く惹かれる。
私が「能が見たい」と言った心の中にあった想いとしては、私の求めるものは、濃密な「重さ・深さ・真実」、そして、今自分の抱えている芸術上の問題に対する何らかの「光」・・・道しるべとなってくれるようなヒント、であったから。

★素人の素直な感想

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舞台を見て感じたことを、素人くさくても正直に書いておきたいと思う。心の記録と、今後の学びのために。

まず、・・・「ただ、立っている」と言うことが、これほどまでに「繊細」で「濃密」で、何かがみなぎりきったものであり得るのだ、ということにとても感動した。
(そして、そう、私は、「それ」を見たかった、感じたかったのだ!)
シテ「江口の君」はとても静謐で、純化された秋の空気のように美しく優しいのだけれど・・・でも、体の中から何かがあふれんばかりにみなぎりきった、濃厚な空気を抱いていた。
「充実しきった『無』」というようなものがそこにあった。
足をたった一歩、前に踏み出す、ということは、これほどに意味のある重いものなのだ。
足を一歩前に出すまでに、何千何万もの空気の揺れのひだを作りながら体中の細胞がさざ波のように伝達しあい、繋がり合って、身体というのは動くものなのだ。
その、そぎ落とされた果てに残った最小限のゆっくりとした動きに、私の心も静かに波立ち、ぐうううっっっと心が引き寄せられる。

能面は美しい。
ちょっとした角度の変化によって、本当にささやかで複雑でとても繊細な表情の違いが見る者の心に届いてくる。
泣きたいのに笑いたいような・・・哀しみの中にふと喜びが香るような・・・その曖昧さの揺れを、なぜだかとても愛おしいと感じる。
刻々と変化していく表情は、抽象的で象徴的なのだけれど、それだからこそ無限のイメージの広がりがあり、見る者の想像力を知らぬ間に静かにかき立てている。・・・というよりも、見る者の心の状態を揺れながら映す鏡なのだろうか。
それでいて、能面はまるで月のよう・・・手の届かぬ高みでどこか冷たく美しい孤高の光を放っている。

「華やかな場面」とされる船遊びのシーン。(上の写真参照)
3人の女性はただ、ただ、動かずにそこに「居る」。
でも、秋の月光が降り、さざめく川面が見えてくる。
・・・もしも私が、「遊女の華やかな船遊びのシーンだよ。自由に踊ってご
らん。」と言われたら、もっともっともっともっと動くだろう。百倍は無駄な動きをしてしまうだろう。手を花のように波のように大きく動かし、上半身を大きく揺らし、笑顔を造り・・・。その私の動きの中には、きっといくらかの「真実」と共に、たくさんの「嘘」があるだろう。
どうして、あれほどまでに舞台の上で動かずに、それでいて充実しきって人の目線と心を惹き付けて居られるんだろう・・・。何だか嫉妬にも似た想いがちくっと胸を刺し、切なくなる。私が舞台の上でしたいこと、これから挑みたいことは、「何もせずに舞台上に『居る』ことに耐えられる自分になること・・・なのかもしれない。」と思う。

「遊女が普賢菩薩になり、白い雲に乗り光の中を西方へ去る・・・」という、その場面こそがこの能の核心でクライマックスだと思うのだけれど、私の力のなさで、その部分をダイレクトな感動として理解することが出来なかったのがとても残念・・・。
ただ、ある瞬間、静かであいまいな能面の表情が、一瞬くっきりと鮮やかな「歓喜」を宿したように感じた。それが、その瞬間だったのだろうか。
でも、「そう簡単に理解することのできないものである。」という部分もまた、能の深遠な魅力であるのだろうと思う。


能は、何も拒まず・・・でも、何も受け入れてもくれない・・・。
そして能にはいっさい押しつけがましさはなく、それでいて見る者に多くを要求する。
見る者は、ただ動かずにそこに「居る」だけの演者のみなぎらせている「気」を、あるがままに受け取るゆとり・・・「無心に受容すること」・・・が求められる。

先月勘三郎の歌舞伎を見た時には、「歌舞伎って、なんてサービス精神にあふれる芸術だろう!!」と驚いたけれど、これは全くその対極にあるように感じた。(鍛え抜かれた精進の上に成り立つ芸、という点は同じだけれど。)

能には一切「媚び」がない。
ただ凛として、そこに「在る」。


このように充実し、みなぎりきった、豊饒で静謐な「江口」を見せてくれたシテ、鈴木啓吾さんに感謝している。

それから。
新進気鋭の笛奏者・竹市学さんの笛の音色は、調和しつつある空間を切り裂いて、鋭く響いた。ドキッとするような・・・ナイフのように刺さる音。
私は彼を「パンク魂」を持った人だなぁ、と感じた。
とんがっている。殺気立っている。
目つきも鋭く、「本物の音以外、一音たりとも出しはしないぜ!」・・・というような・・・気迫、のようなものを感じた。

また機会があったらぜひ能を見てみたい。
そして、世阿弥の『風姿花伝(花伝書)』も、読もうと思う。(ちょうどゼミの仲間との読書会の課題になっている。)

今回、能「江口」を鑑賞して感じたことが、私の心の中の栄養になり、蒔かれた種となって、いつか花を咲かせることへとつながっていきますように・・・。

(Hりん、本当にありがとうございました!)

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comment

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2006/09/30 16:55 | [ 編集 ]

marさんこんにちは。

フラメンコを始めてから、他のどんな芸能を鑑賞することも、ある意味で参考になっていますが、「能」ですかー・・・。

でもそういえば、先日のmarさんのタラントで、「静かな、凛とした感じ」・・・立ってるだけの潔さっていうのかな、そういうの、感じました。それって、能につながっているのかもしれませんね。

うう・・・フラメンコって奥が深い・・・。(ごめんなさい、勿論能も・・・)
2006/10/01 07:23 | めめ★ [ 編集 ]

めめさんへ

めめさん、お元気ですか?
海の公園での舞いは大成功でしたか?お疲れさまでした。大人気のめめさんですから、大活躍だったのでしょうね。

本当に、最近は色々な舞台を見ると、すごく欲張りになって色々吸収したい~!!って思うんです。
舞台ではなくても、本も、音楽も、美術も、花も、・・・毎日の人との関わりや、嫌なことまでも、ぜんぶ栄養にしちゃいたいな~と思っています。
芸の肥やし!?
ふふふ。

どんな芸術でも、一歩足を踏み入れるととてもとても深くて、なかなか頂上までたどり着くことが出来ないけれど、だからこそ、追いかけ続けたくなる魅力があるのでしょうね。
フラメンコなんて、始めた時は「一年ぐらい習ってある程度マスターしたら次はタップでもやろうかなぁ。」と思っていたのに、あまりに上手くならない至思うように踊れないので、はまり続けてあれから10数年・・・(´ー`)ハッハ!
本当に魅力は尽きませんね。飽きず、たゆまず、大好きなままでいたいです。

2006/10/01 12:38 | mar(マル) [ 編集 ]









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Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
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