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2007/12/23 (Sun) 待つ女「松風」

2007_1218days0065.jpg
能楽堂の門のすぐ内側に、赤い椿が咲いていました。


2007_1218days0063.jpg
神楽坂 矢来能楽堂


● 能舞台「松風」鑑賞

先週の日曜日、舞踊団のアドバイザーはらりんに、能の舞台にお誘いいただきました。
昨秋に引き続き、矢来能楽堂での鈴木啓吾さんの舞台です。
(昨年書いた、我ながら気合いの入った感想文はこちら。
http://lunasolmilcoco.blog68.fc2.com/blog-entry-19.html

待ち合わせのこの門の前ではらりんを待ちながら、上の写真を撮りました。
椿は、ずっと撮ろうと思いながら・・・(この季節に盛んに咲いている、貴重な花ですものね。)やっと撮る機会を持てました。まだ開く途中のかわいい花。でも写真はイマイチ・・・?)

舞台のテーマは「待つ女」。
須磨に流された在原行平は、その地で潮汲みをする松風・村雨、二人の姉妹と出会い、恋をします。 やがて行平は烏帽子と狩衣だけを姉妹のもとに残し、都へ戻り、亡くなってしまいます。
姉妹はいつまでもいつまでも、去っていった行平の帰りを待ち続ける・・・。
それがこの作品のモチーフです。

須磨、と言えば『源氏物語』で光源氏が流され、明石の君と恋をした場所。
『源氏物語』の「須磨」の巻の中でも、光源氏は
「行平の中納言の藻塩たれつつ侘びける家居近きわたり」
に住んだと書かれています。
紫式部も、行平が須磨に流されたことを意識して、この章段を書いたのでしょう。
在原行平は、在原業平の兄。
弟・業平はかの有名な『伊勢物語』の主人公の男のモデルとされている人物として私にとってもなじみ深い。でも、その兄のことは、百人一首の歌でしか知りませんでした。

「立ち別れ いなばの山の峰に生ふる 
          まつとしきかば 今帰りこむ」在原行平

・・・「待っている」と聞いたなら、すぐに帰ってゆくよ・・・。
この和歌の下の句も、能の中で繰り返し歌われます。

この能について、シテの鈴木啓吾さんはこのように書いていらっしゃいました。
とても共感し、また感動したので、引用したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべてを承知の上で松風は行平を待ちます。
生きてゐた間も、死んだ後も。
行平が都に帰ったときから彼女の中の時間は止まった・・・。
満ちては欠け、欠けては満ちる月。
寄せては返し、返しては寄せる浦の波。
「永遠に続く止められた時間」の中で彼女は待ち続けます、何ものかの到来を。

自らの人生の中に於いても、永遠に続く止められた時間・・・誰の中にもあるのではないでせうか。
それは普通「思ひ出」と云ふ言葉で表現されますが。
「思ひ出」の事象と現在の状況が時間軸で繋がってゐる場合は、 つまり止まってはゐませんが、「思ひ出」の事象が過去のある時点で途切れてゐる場合、概ねこの「止められた時間」に当たると思ひます。
少なからずどんな方も心のうちに秘めた「永遠に続く止められた時間」を共有することで[待つ女]に共感することができるのではないかと思ふのです。

この作品のテーマとしては、佛法の側から恋の妄執といかに対峙するかと云ふことよりも、人として恋の苦しみをどう生きるかと云ふことに重きを置いてゐるやうに思はれます。
(中略)
観客の皆様との「永遠に止められた時間」の共有にこそこの能の作者の思ひがあるやうに思はれてなりません。

~以上、シテ鈴木啓吾さん・著 「幕のむかう三軒両隣り 『松風』編」より一部抜粋)~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●感想(その一・「能」というものは・・・)

やはり前回と同じように、まず、・・・「ただ、立っている」ということが、とてもとても「繊細」で「濃密」で、何かがみなぎりきったものであり得るのだ、ということにとても感動しました。
それは、私が踊る上でもとても大事に思って目指しているひとつの高みでもあります。
舞台を見ながら今回もまた、
「どうして、あれほどまでに舞台の上で動かずに、それでいて充実しきって人の目線と心を惹き付けて居られるんだろう・・・。」
と、その秘密を知りたいと思いました。
それにしても、能は動かない・・・!!!
これほどまでに「動き」の抑制されきった舞台芸術は他に例を見ないのではないでしょうか?

前回書いたこの言葉、もう一度載せておきたいと思います。
「能は、何も拒まず・・・でも、何も受け入れてもくれない・・・。
そして能にはいっさい押しつけがましさはなく、それでいて見る者に多くを要求する。
見る者は、ただ動かずにそこに『居る』だけの演者のみなぎらせている『気』を、あるがままに受け取るゆとり・・・『無心に受容すること』・・・が求められる。」

能に於いては、見る側・・・観客側に知性や理解力がなければそう簡単にはその真髄を楽しめるものではない、とあらためて感じました。
能に対する知識の乏しい私には、もっともっと勉強してから見ることが必要だと痛感しました。
はらりんのお書きになった素晴らしい解説書が無ければ、何も分からずに漫然と見ていたと思います。


●感想(その二・「待つ女」)
「待つ女・・・・・!!??重いなぁ、辛気くさいなぁ、私とはタイプが違うなぁ・・・。」
なんて、単純にうち捨ててしまうのは、いともたやすいこと。

でも、もう少し頑張って、私自身の心の中にある、「松風」と共有しあえるようなある想いを、よくよく見つめてみようと思います。
そうでなければ、シテ・鈴木啓吾さんのおっしゃる「永遠に続く止められた時間の共有」はできないと思うからです。
そしてそれができなければ、結局はこの作品を見た意味が無くなってしまうでしょう。
物事を考えるとき、いつも、「頭」ではなく、「心」で感じたい、と願います。
理解した「つもり」にはなりたくない。
恋する人を死してなお待ち続けた「松風」の心を、自分のもののように感じてみたい・・・。
私も、心の中であの美しい能面をつけて、松風になってみましょう・・・。

さて・・・。
「私の中にも居るだろうか、待つ女は・・・」、と考えます。
「思い出」の事象が過去のある時点で途切れてしまった、「止められた時間」。
もう二度と会えない恋しい人との別れ・・・。
それでもずっとずっと、愛する人を想い続ける心・・・。
おもてには出さない、けれど心の中を脈々と流れ続ける秘めた想い。
静かで激しい恋心。

あの人は、今も私を想ってくれているだろうか。
二人過ごした時間の記憶を、私と同じように繰り返しよみがえらせ、心の中で涙を流しているだろうか。
甘く美しい時間の記憶だけが、幻のように浮かんでは消える。
何度も私の名を呼ぶ優しい声。
愛おしみながら髪をなでてくれた手の温かさ。
決して忘れられない面影・・・。
それらを、繰り返し、繰り返し、寄せては返す波に乗せて心によみがえらせよう。

・・・そんな「松風」の想い、私のものとして感じることができるように思います。
特に、後半、愛する男・行平の唯一残していった衣服を身につけて松風が舞うシーンは、静かな狂気を宿していて、ぐっと心に迫ってきました。
やっと解き放たれた感情の中で、恋をすることの苦しさやかなしみが後から後からあふれ出してくる・・・。
そんな松風を、鳥肌の立つ思いで、息をのんで舞台を見つめました。

能の一番の恐さは、「止まった時間」にあるように思います。
「松風」はすでに亡くなり、その幽霊が僧にむかって、行平への切ない恋心を語っている、という設定になっています。
「待つ」状況は、もうこののち変化することがない。
永劫回帰。
止まった時間の中で、恋しい人を「待つ」状態に釘付けされた女・・・・。
そこには、期待や希望よりもむしろ、静かな絶望があります。
でも、待ち続ける。
それは、愛することが、苦しみであると同時に、彼女自身の選んだ唯一の道でもあるからでしょう。

愛することは、幸福よりもむしろ苦しいことの方が多いかもしれないけれど。
それでも、出会ってよかった、愛してよかった、愛し合えてよかった・・・。
こんなにも待ち続けたいと思えるあなたと、短い間でも愛し愛されて同じ時間を共有しあって生きることができた。
だから、私は、みずからすすんで、帰らぬあなたを永遠に待ち続けたい。
あなたを待つ永遠の時間の中に、閉じこめられていたい・・・。

静かな能面が、こんな風に語っている声が聞こえてきました。
それは、私の心の中から聞こえる声でもありました。



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comment

「能」は気になりながらも一度も観た事がなく、まったく無知でお恥ずかしい・・・。
何百年も前から続く日本の貴重な舞台芸術を、この現代においても変わらず継承している事はすばらしい事ですね。
先日、大徳川展を観に行った時、当時の戦国時代に使われていた能面も数多く展示されていて、その美しい表情にはつい引き込まれてしまいました。
微笑んでいるのか、悲しんでいるのか、無なのか・・・?
何ともいえない品格です。

面を付けたまま、首の角度をふと変えただけで伝わる表情。
ただ立っているだけ、そしてゆっくりと踏み出す一歩の重み。
marさんの日記を読んでいるだけで、その奥深さが伝わってきました。

それをフラメンコとリンクさせると・・・、
それは、魂の踊り、究極のフラメンコかもしれませんね。

いつか、そんなmarさんの舞台を観てみたいです。
あ~~~ステキ!!
2007/12/23 13:29 | erte [ 編集 ]

「永遠に続く止められた時間」とは、見事な言葉ですねぇ。

心の奥まで納得できるものがありました。
2007/12/23 14:10 | ♪あし♪ [ 編集 ]

お江戸にいた頃・観世流のお嬢様を担当していた事があり、なんどか
鑑賞させていただきました。
あと、某ブランドで・・・・能の舞台に招待頂いたり。

あの張りつめた空気が好きです。
見ているだけで背筋が伸びる!!

何も難しい事は無く、
ストレートな気持ちで、観ていると、
感動できると言うか…不思議な空気に包まれて・・・
生で観る事は、もうあまりなくなりましたが・・・
いいですよね。

たたずまいで、伝わってくるもの・・
簡単いは身に付かないけれど、憧れますね!!

2007/12/23 18:21 | さるしおん [ 編集 ]

☆erteさんへ

いったい能というのはどのような歴史をたどって発展継承されてきたのでしょうね。
すごく不思議に思うんですよ・・・。
はるかはるか昔、見る人々は、あの「あまりに動かない退屈な舞台」の何を楽しいと思って(失礼?笑!!)見ていたんだろう。
さらに面をかぶって・・・。
素直な疑問です。
観客への歩み寄り・・・というか、媚びやサービスが一さい(?)無く、孤高な感じです。
でも、とてもとても美しく、みなぎりきった空気が舞台上に満ち満ちているんですよ。

そして、erteさんのおっしゃるとおり、能面というのはとても雄弁です。
現実の人間・・・それをすっかり超越して、この世ならぬ違う世界の存在の魂を静かに静かに感じさせます。
哀しみも・・・愛も・・・どんなに激しくとも静かに降ってくる月光のように静かです。
「わかりやすさ」が無い分、「分かりたい!」と、見る者に思わせる。

私も、もっともっと勉強してみたいなぁって思います。
erteさんも、機会があったらぜひぜひ見てみて下さいね♪
衣装もとってもきれいですよ!

2007/12/23 20:54 | mar [ 編集 ]

☆あしさんへ

シテご本人のお書きになった、作品に対する「思い」や「解釈」を読めるのは、私のように能の知識のないものには大きな幸せです。

あれほど考えて考えて役柄を理解してから舞うものなのだ・・・と分かったことは発見です。
内面に豊かな言葉や思いがあふれているからこそ、あれほど抑制された動きから、立ちのぼってくるものがあるのですね。
2007/12/23 21:01 | mar [ 編集 ]

☆さるしおんさんへ

あれれ?お江戸にいらっしゃったことがあるんですね!
私が行った矢来能楽堂はまさに観世流のものでしたよ。

長い長い歴史の中で、鍾乳洞のように時間をかけて作り上げられた伝統の技は、余計なものが削り落とされた果てに残ったもの、という感じがします。

見るときに、すごく真剣に見ることを知らず知らずのうちに自分自身に課してしまうような・・・。
凛とした空気がありますね。
決して、悪い緊張ではなく、そう、さるしおんさんがおっしゃるように背筋が伸びるような気がします。

私は、「何か踊る上でのプラスになるようなことを学びたい」と、欲張りな気持ちで見ていましたが、だんだんと恋する人を死んでもなお待ち続ける「松風」の胸の痛みがジンジンと伝わってくるように感じました。
おもしろかったです!
2007/12/23 21:13 | mar [ 編集 ]

わたしも、お能を教育テレビでちらりと見るたびに、なんと退屈なものだろうと思っておりました。

生で見て初めて、そのすごさを知り、圧倒されたのです。

張りつめた濃密な空間を切り裂くように
神がかり的に、鼓の音が、下から天井まですぽーんとまっすぐに抜けたときのあの音色は
二十年近く経った今でも忘れられません。

やはり、長い年月を生き抜いてきた文化というのは
ただものではないわけですね。

お能とフラメンコのコラボレーション、お能のフラメンコ風のアレンジ、という舞台のチラシを何回か見かけたことがあります。
到底両立できなさそうなものを、ひとつの舞台でどうやって混ぜるのでしょう。想像ができません。
でも、どちらも、人間としての感情においてはつながっている。
それが、とても不思議であり、
とても、素晴らしいと感じます。
2007/12/23 21:59 | みるく [ 編集 ]

「私の心の中から聞こえる声でもありました。」という、結びの言葉に、深い深い想いを感じます・・。
僕には能やフラメンコにも偉そうなことを
言える知識も何もありませんが、
感情や想いを
その躍動する動きと繊細な指、視線や情熱で
ストレートに伝える「動」のフラメンコと、
ほとんど動きのない止まった「静」の中に
ある激しい「動」への共有を観る者に求める
能とはとても対照的であり、
それはその国の文化や伝統、継承される
習慣、生活、土地柄、等々がそのまま
反映されているように感じました。

「永遠に続く止められた時間」とは、
本当に素晴らしい表現ですね・・。
そして、
止まった時間の中で、恋しい人を「待つ」状態に
釘付けされた女・・・・。
「釘付けされた女」という激しい表現も
文字通り、心に刺さる言葉ですね・・。
marさんの感性を乗せた言葉は
本当に素敵です・・・。

能のお面は心の中の感情すべてを
その静かな表情の中に見いだすことが出来ると
聴いたことがありますが、
それは見る人それぞれの
「見方」によっても違って見えるでしょうし、
そのときの心の状態によっても
違って見えると思いますが、
それだからこそ「共有」「共感」を求めている
ものなのだなぁと感じました。

共有、共感というのは
他人から教えられたものではなく
ましてやおしつけられたものでもなく、
自らの人生の中で体験や経験を通して
培っていくもので、だからこそ、
能の「内」なる心の「動き」に
共感できる何かを感じたときに
言葉ではできない、何ともいいようがない
感動がわきあがってくるのではないかと思いました。
まとまりのないわかりずらい文章で
すいません・・。
何かを伝えようとしたいのですが
うまく言葉が見つからない感じがして・・。

marさんの日記を読んで、
うまくは言えないのですが、
何かをとても強く感じるものが
あります・・。

クリスマスシーズンにこうした
日本の伝統芸能を堪能するというのも
なかなかステキですね!
羨ましく思います・・。

話は全然違いますが、今はクリスマスの
早朝です・・。
さきほど、ふたりの子供の枕元に
プレゼントのオモチャを置いてきました。
そのまま僕も少しだけ寝ようと思ったのですが、
このあと起きてきた子供たちの表情を
思い浮かべたら、ワクワクして
すっかり目が覚めてしまって、今こうして
コメントを書いています・・。

「もちろん、プレゼントはサンタさんからの
贈り物だよ~!」と、
能のお面のようなすました顔をして
今日のクリスマスの日を過ごすことにしたいと思います・・。
2007/12/25 05:19 | takashi [ 編集 ]

☆みるくさんへ

コメントをありがとうございます!!

おっしゃるとおり、鼓の音、あの音をひとつ出すために、一体どれほどの鍛錬が必要だったのでしょうね。絶妙の間と言い、音の質と言い、それだけでもう、大変な芸術の高みを感じさせてくれます。

そして、私が特に音楽で感動したのは笛の音色です。
その笛の吹き手は今売れっ子の名手だそうですが、本当に空間を鋭く切り裂くシャープな笛の音が、胸に突き刺さるようでしたよ。

フラメンコと能のコラボレーションは、一度だけ見たことがあります。
「フラメンコ曽根崎心中」が生まれる一年前、我が師匠たちが造った「ブルーに染まる夢」という舞台です。
http://www.arte-y-solera.com/performance5.html
先生たちはそれ以前にも、『智恵子抄』をモチーフとした「レモン哀歌」という作品でも、能と共演しています。
私は卒論が『智恵子抄』だったので、ぜひ見てみたかった・・・それどころか出てみたかった(笑)作品です。
再演しないかな~。

「でも、どちらも、人間としての感情においてはつながっている。
それが、とても不思議であり、
とても、素晴らしいと感じます。」
まったく同感です!!

2007/12/25 09:02 | mar [ 編集 ]

☆takashiさんへ

さて、今朝のいっちゃんしんちゃんの喜びっぷりはいかがでしたか?
はじけるような歓声と笑顔が見えてくるようです。
いいなぁ!!
子供の頃のクリスマスって、何より楽しい一年で一番大きなイベントですものね。
プレゼントは何だったんだろう・・・?
パパサンタ、大事な役目をお疲れさまでした。

さて。
おっしゃること、とてもよく分かるように思いましたよ!
能面の中にどのような表情を読みとることができるのか・・・それには、表現者の実力もとても大事だと思いますが、それ以上に、見る側の理解力や想像力、そして「共感」する力が必要なのですよね。
それは、一般の人間関係においても同じであるような気がします。
ハッキリとは見えてこない相手の心を想像し、理解し、共感する力・・・。
そういう意味では、「能」とは、鍛え抜かれた芸によって、見る側の心が育てられ鍛えられる芸術家もしれません。
ただ、ぼーっと受け身でいては、見逃してしまう。
ちゃんと、見つめて共感することができるまで・・・、能面の表情を豊かに読みとれるようになるまで、自分から歩み寄らねばならない。

変なたとえかもしれませんが、動物や赤ちゃんは言葉を持たない。
だから、大人が、その泣き声や表情や仕草から何をいいたいのかを想像して汲み取ってあげなければならない。
最近暗いニュースを見ながら、この
「相手の気持ちを想像し、理解し、共感する力」
が、だんだんと衰えているのではないかと感じるときがあります。
とても難しいことだけれど、大事なことですよね。

平安時代に生きたこともなければ、潮汲みの仕事をしたこともなく、須磨に行ったこともなく、都の貴族との悲恋を経験したこともない・・・。
愛する人の帰りを待ち続ける・・・というようなけなげな経験も思いつくかぎりはないような私。
でも、だから松風の気持ちを理解できない、と言ってしまってはすべてはそこで終わり。
人間に「想像力」が与えられていることは素晴らしいことだと思います。

想像力があることは、相手の心への思いやりへも繋がってきますよね。

楽しいクリスマスでありますように!!
メリークリスマス!
2007/12/25 09:31 | mar [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/12/30 10:54 | [ 編集 ]

「松風」検索で初めてこちらに伺いました。
この度は一乃会にお運びいただき、ありがとうございます。
私は鈴木先生の社中にて謡をお稽古いただいている者です。

フラメンコというお舞台に立たれていらっしゃるとのこと。
さすが他流舞台にも素晴らしい賞眼をお持ちでいらっしゃるご様子で、そのような方に師匠の舞台を観ていただいていたこと、とても嬉しく存じます。

コメントにありました「レモン哀歌」、実は鈴木先生が能監修、出演もされていらっしゃいます。
素晴らしいご縁ですね。
どうぞこれからもご贔屓いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

なお、差し障りがないよう「管理人のみ閲覧」にチェックしましたが、ご判断で公開いただいても大丈夫です。

2007/12/30 18:07 | monya [ 編集 ]

☆monyaさんへ

はじめまして!!
このたびはコメントをちょうだいし、本当にありがとうございました。
鈴木先生のお弟子さん、とうかがい、拙い感想を読んでいただいたことに感激しています。
勉強不足でお恥ずかしいのですが、でも、あの凛とした張りつめた空気の中で、多くのものを吸収させていただけたと感じています。
またぜひこれからも機会があれば拝見したいと願っています!!

昨年は同じく矢来能楽堂で、「江口」を拝見しました。どちらも、澄んだ静けさに満ちた美しい舞台でした。

謡といい、笛、鼓、ただ聞いていると、それだけで心に深く響いてきますね。
歌詞は部分的にしか聴き取れないのですが、あの日はやはり、
「まつとしきかば 今帰りこむ」
のリフレインが、松風と行平の心の日々気合いのように聞こえて心に残っています。
長い歴史の果てに残ってゆくものは、だんだんと余計なものがそぎ落とされ、美しいエキスだけが純化されて残ってゆくのですね。年月の果たした役割を思います。

コメント本当に嬉しかったです!!
ありがとうございました。
お言葉に甘え、公開させていただきました!!
もしよかったら、またどうぞ遊びにいらして下さいね。
2007/12/30 23:07 | mar [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/01/04 20:12 | [ 編集 ]









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プロフィール

mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
・マドレデウス

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