FC2ブログ
2019・11
<< 10 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/23/24/25/26/27/28/29/30/ 12 >>
2006/09/29 (Fri) 能「江口」鑑賞記

eguti.jpg


能 「江口」 鑑賞記

先日、秋の光が美しく降る中、舞踊団のアドバイザー・Hりんに能を見に連れて行っていただいた。
この間のライブで踊る時に「能のように舞う」を自分のテーマにしていたにもかかわらず、私は能に対しては知識が無いに等しく、漠然としたイメージしか持っていない。一度見たことがある・・・という程度で何も知らないのが実情。
そこで、Hりんに「機会があったら能を見たいのでぜひ!!」とお願いしていたところ、快くこのような機会を与えて下さった。(本当にありがとうございました!!心から感謝しています。)

Hりんは能についての本も執筆し、今回見せていただいた能「江口」のパンフレットの解説も書いていらっしゃる「プロ」だ。Hりんのお書きになったこの作品の解説は、それだけを読んでも充分に人の心の深部に触れてくる感動的な素晴らしいものであった。これは「ある、たった一人の人」のために書かれたものだそうなのだけれど、誰が読んでも、人間の「生きる」ことへの普遍的で真摯な問いかけであり、真剣に生きる意味を求める心には必ず強く響くものがある文章であると感じた。

事前にその日見る作品「江口」の概要やテーマなどをうかがって、それからいよいよ胸を高鳴らせながら東京・神楽坂にある矢来能楽堂(http://www.kanze.com/kanze1.html)へ向かった。

★能 「江口」 について

この作品の内容は、次のようなものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある旅の僧が、遊女「江口の君」の旧跡にたたずんで、一夜の宿りを断られた時に詠まれた西行の歌を口ずさむ。
「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」
すると、女の霊が現れて、
「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」
(あなたが出家されている身であればこそ、このような遊女の宿にあえてお泊めしなかったのです。)
・・・と語り消えてゆく。
そして三人の遊女たちの秋の月光の中での華やかな船遊びの場面になる。
ふたたび僧の前に姿を現した江口の君の霊は、釈尊の教え、無常を説き、執着(=「心とむる」)を離れれば心は自在を得ると言い、最後にその姿は普賢菩薩となり、光と共に西の空へと消えてゆく・・・。
 

( http://www.webslab.com/enkai/agyo/egc/egc01.htm ←作品の詳しい内容についてはこちらでどうぞ!謡の全文や現代語訳まであるのですごい!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この作品は、能の作品の中でも深淵で理解するのが難しい作品であるそうだ。宗教的でもあり、初心者向けの作品ではないと言われつつ、それでも、むしろこの作品を見られたことは私にとって幸運であったと思う。
「俗」に生きた遊女が最後には浄化され菩薩へとなっていく・・・。

最後にそのような大きな救済が演じられるという部分にも強く惹かれる。
私が「能が見たい」と言った心の中にあった想いとしては、私の求めるものは、濃密な「重さ・深さ・真実」、そして、今自分の抱えている芸術上の問題に対する何らかの「光」・・・道しるべとなってくれるようなヒント、であったから。

★素人の素直な感想

g_nou_asi.jpg

舞台を見て感じたことを、素人くさくても正直に書いておきたいと思う。心の記録と、今後の学びのために。

まず、・・・「ただ、立っている」と言うことが、これほどまでに「繊細」で「濃密」で、何かがみなぎりきったものであり得るのだ、ということにとても感動した。
(そして、そう、私は、「それ」を見たかった、感じたかったのだ!)
シテ「江口の君」はとても静謐で、純化された秋の空気のように美しく優しいのだけれど・・・でも、体の中から何かがあふれんばかりにみなぎりきった、濃厚な空気を抱いていた。
「充実しきった『無』」というようなものがそこにあった。
足をたった一歩、前に踏み出す、ということは、これほどに意味のある重いものなのだ。
足を一歩前に出すまでに、何千何万もの空気の揺れのひだを作りながら体中の細胞がさざ波のように伝達しあい、繋がり合って、身体というのは動くものなのだ。
その、そぎ落とされた果てに残った最小限のゆっくりとした動きに、私の心も静かに波立ち、ぐうううっっっと心が引き寄せられる。

能面は美しい。
ちょっとした角度の変化によって、本当にささやかで複雑でとても繊細な表情の違いが見る者の心に届いてくる。
泣きたいのに笑いたいような・・・哀しみの中にふと喜びが香るような・・・その曖昧さの揺れを、なぜだかとても愛おしいと感じる。
刻々と変化していく表情は、抽象的で象徴的なのだけれど、それだからこそ無限のイメージの広がりがあり、見る者の想像力を知らぬ間に静かにかき立てている。・・・というよりも、見る者の心の状態を揺れながら映す鏡なのだろうか。
それでいて、能面はまるで月のよう・・・手の届かぬ高みでどこか冷たく美しい孤高の光を放っている。

「華やかな場面」とされる船遊びのシーン。(上の写真参照)
3人の女性はただ、ただ、動かずにそこに「居る」。
でも、秋の月光が降り、さざめく川面が見えてくる。
・・・もしも私が、「遊女の華やかな船遊びのシーンだよ。自由に踊ってご
らん。」と言われたら、もっともっともっともっと動くだろう。百倍は無駄な動きをしてしまうだろう。手を花のように波のように大きく動かし、上半身を大きく揺らし、笑顔を造り・・・。その私の動きの中には、きっといくらかの「真実」と共に、たくさんの「嘘」があるだろう。
どうして、あれほどまでに舞台の上で動かずに、それでいて充実しきって人の目線と心を惹き付けて居られるんだろう・・・。何だか嫉妬にも似た想いがちくっと胸を刺し、切なくなる。私が舞台の上でしたいこと、これから挑みたいことは、「何もせずに舞台上に『居る』ことに耐えられる自分になること・・・なのかもしれない。」と思う。

「遊女が普賢菩薩になり、白い雲に乗り光の中を西方へ去る・・・」という、その場面こそがこの能の核心でクライマックスだと思うのだけれど、私の力のなさで、その部分をダイレクトな感動として理解することが出来なかったのがとても残念・・・。
ただ、ある瞬間、静かであいまいな能面の表情が、一瞬くっきりと鮮やかな「歓喜」を宿したように感じた。それが、その瞬間だったのだろうか。
でも、「そう簡単に理解することのできないものである。」という部分もまた、能の深遠な魅力であるのだろうと思う。


能は、何も拒まず・・・でも、何も受け入れてもくれない・・・。
そして能にはいっさい押しつけがましさはなく、それでいて見る者に多くを要求する。
見る者は、ただ動かずにそこに「居る」だけの演者のみなぎらせている「気」を、あるがままに受け取るゆとり・・・「無心に受容すること」・・・が求められる。

先月勘三郎の歌舞伎を見た時には、「歌舞伎って、なんてサービス精神にあふれる芸術だろう!!」と驚いたけれど、これは全くその対極にあるように感じた。(鍛え抜かれた精進の上に成り立つ芸、という点は同じだけれど。)

能には一切「媚び」がない。
ただ凛として、そこに「在る」。


このように充実し、みなぎりきった、豊饒で静謐な「江口」を見せてくれたシテ、鈴木啓吾さんに感謝している。

それから。
新進気鋭の笛奏者・竹市学さんの笛の音色は、調和しつつある空間を切り裂いて、鋭く響いた。ドキッとするような・・・ナイフのように刺さる音。
私は彼を「パンク魂」を持った人だなぁ、と感じた。
とんがっている。殺気立っている。
目つきも鋭く、「本物の音以外、一音たりとも出しはしないぜ!」・・・というような・・・気迫、のようなものを感じた。

また機会があったらぜひ能を見てみたい。
そして、世阿弥の『風姿花伝(花伝書)』も、読もうと思う。(ちょうどゼミの仲間との読書会の課題になっている。)

今回、能「江口」を鑑賞して感じたことが、私の心の中の栄養になり、蒔かれた種となって、いつか花を咲かせることへとつながっていきますように・・・。

(Hりん、本当にありがとうございました!)


2006/08/29 (Tue) 歌舞伎「中村勘三郎 襲名披露」

20060829235100.gif

歌舞伎
「十八代目 中村勘三郎 襲名披露


演目
一,本朝廿四考 十種香
二,十八代目中村勘三郎襲名披露 口上
三、身替座禅


母と一緒に、歌舞伎を見に行きました。
急に知り合いの方に券があるからと声をかけて頂き、喜んではせ参じました。
そうしたら、なんと、大人気の中村勘九郎あらため中村勘三郎襲名披露公演ではないですか!!嬉しかった~~~!!
歌舞伎を生で見るのは本当に久しぶり・・・そして人生で二度目の体験。
前から11列目の中央で見やすく、イヤホンガイドも借りて解説も聞きながらだったので、内容や見どころもとてもよく理解できました。

舞台は本当に素晴らしかったです!!
舞台に釘付けになり引き込まれ、心から堪能しました。
正直言って、もっと退屈なのかと思っていたけれど(すみません・・・・)、でも、そんなことは全くありませんでした。どうしてもっと早く、こういった日本の古典芸能に親しまなかったのかと悔やまれるほどに、心から面白いと思いました。

歌舞伎の舞台では色彩がまばゆいほどにあふれていました。
極彩色の鮮やかな色遣いの衣装やメイク(隈取り?)、華やかで凝った舞台セット。
金色に白に紫に赤に黒に緑・・・細かな刺繍の着物や美しい帯。
日本の古来の「色」とはこんなにも鮮やかで美しいのかとあらためて気付いて。
生で唄われる歌と三味線の真剣勝負の掛け合いもいいですね。

そして・・・さすが、勘三郎はすごい!!
とっても華があって粋で、軽妙ですべてが達者!!
肩の力が楽に抜けているようでありながら、隙が無くすべてぴたりと決まる。
ちょっとした目線ひとつで客席をワッと湧かせる。
親しみやすい雰囲気でサービス精神旺盛、見るものの心を舞台に引っ張り込
む力があるのです。
本物のプロとは、こういうものなのだということをつくづく感じさせてくれました。

特に、襲名披露の「口上」では生身の彼の人間性を感じました。
単なる襲名の挨拶にとどまらず、こんなことを話してくれました。

「先日海外に旅行に行ってきました。
歌舞伎の歴史は三百年と言うけれど、ギリシャの演劇の歴史は三千年だそうです。
そのギリシャで演劇を見た時に、三千年前の作品を新しくアレンジして新演出でやっていました。
自分は素晴らしいと喜び、まわりの観客も拍手喝采、でも一方で、『こんなものギリシャ演劇ではない!!』と怒っているギリシャ人のおばさんもいた。
それで良いのだと思いました。
歌舞伎には三百年の歴史があります。
でも、ギリシャ演劇には三千年の歴史があり、今日なお生きて、人々に愛されて進化を続けている。
歌舞伎においてもちろん古典を大事にしていきたいと思っています。
ですが私は、今の世に生きた歌舞伎、現代の人が喜んだり怒ったりしたくなる歌舞伎、そういうものに果敢に挑み続けていきたいのです。」

客席は拍手喝采!!
勘三郎さんの熱い志が伝わってきた。

日本にはこんなに素晴らしい舞台芸術がある。
・・・今日そのことをあらためて感じ、誇りに思った。
この歌舞伎という素晴らしい宝物が、ギリシャ演劇のように三千年先までも、その時代時代を生きる人々と共に、「生きて」あって欲しい。
彼・勘三郎は、間違いなくその鎖がつながっていくために欠かせない一部を担う人になっていくのでしょう。
そんな人の襲名披露公演を間近で見ることが出来たこと。
きっと一生忘れられないと思いました。
これからも、ぜひ応援させて頂きたいし、また舞台を拝見したいと思います。


そして私にしては珍しく、「日本人である自分」ということを考えました。
偶然かもしれないけれど、私は今、日本に生まれて育っている。
たまたま、だけど実際に毎日日本語をしゃべって、日本で暮らし生きている・・・。
それなのに、どうして今まで、音楽も文学も踊りも絵画も、芸術に関する分野の多くを・・・海外の芸術にばかり惹かれ憧れて、追いかけ追い求めてきたんだろう・・・。
そのことが、なぜか急に不思議に思えてくる。
今日の日は、なんだか私の今後の歩みへの大きなヒントになりそう。

今日の舞台を、和服で見にいらしている人が大勢いて美しかった。
「私も着物を着てみたいなぁ・・・!」と思いました。
つい先日、友人の書道展に行ってペン字で書かれた万葉集や百人一首の和歌の美しさに息をのんだ。
「私も、あんな風に大好きな和歌を美しい文字で書けたらどんなに気持ちがいいだろう・・・。書いてみたいなぁ。」と思った。
これを機会に、歌舞伎はもちろん、能や、狂言や、文楽ももっともっと見てみたい。
日本画の名品ももっともっと見てみたい。
(私の大好きなゴッホだってクリムトだってみんな日本に憧れたんだ。)
茶道や華道、日本舞踊や謡曲も面白そうだなぁ・・・。
(祖母は謡曲、母は三味線を習っていたのに、私はこれまで全く興味がなかった。)

私って・・・何だか初めて日本に来た外国人みたい・・・(笑)。
(そんな日本人らしくない自分であることにすら、今まで気付いていなかった。)
今、日本の文化に急に興味が湧いてきている。
勘三郎さんのおかげかなぁ・・・。
(それ以外にも、思えば今日まで様々な布石があったような気もする…。たくさんの「和」に興味が向くような種がこれまでに少しずつ埋められてきていて…今日、勘三郎マジックでそれらの種がいっせいにピョコッと芽を出したような感じ!?う~ん、人生って何がきっかけになるか分からないけれどちゃんとつながって導かれていく。不思議だなぁ。)

日本の古典文学作品を読むのだけは以前から好きでした。
日本の伝統芸能や文化を学ぶのは今からでも遅くないでしょう。
色々と自分の心に湧き上がってくる興味の方向性を大事にして、素直に楽しんで、好奇心旺盛に新しいものと良い出逢いをしていきたいです。
ワクワク、ワクワク♪


(この舞台を見るきっかけをくださったMさんTさんありがとうございました。)


2006/08/25 (Fri) ミュージカル「ウエストサイドストーリー」

wss_logo.jpg

wss-p1.jpg


06.jpg


行ってきました!!
本場ブロードウェイミュージカルの名作中の名作
あの「ウエスト・サイド・ストーリー」を見に!!
公式サイトhttp://www.westsidestory.jp/

生で本物のブロードウェイミュージカルを見るのは初めて。
(劇団四季や映画では大好きで見たけれど・・・。)

歌と踊りが大迫力で本当に素晴らしかった!

ダンサーたちのそろいもそろった質の高さには驚くばかり。
活き活きと、飛び跳ね、唄い踊る。
あんな風に踊れたら、どんなに気持ちがいいだろう!!


この作品は高校生ぐらいの時に映画(ビデオ)で見ていました・・・。
燃え上がる純粋な恋の悲しい結末に、
コタツにもぐってシクシク泣いた記憶があります。
ミュージカルが大好きな母が、この作品のレコードをよく聴かせてくれていました。
だから、私にとっては、懐かしくまたなじみのある曲ばかり・・・・。
「トゥナイト」「クール」「アメリカ」など、
誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

久々にこの物語と懐かしい再会を果たし、
高校生の時には気付かなかったことも様々に感じました。
一番は物語の背景のアメリカ社会最下層部での移民・差別問題。
単なる不良グループ同士の争いではないと、色々と考えさせられました。
あとは、この物語と、ベースとなる「ロミオとジュリエット」との違い、とか。
舞台作品における群舞の役割とあり方とか・・・・。
目と目があった瞬間に恋に落ちる心のときめき☆について・・・とか(笑)。
すっかり忘れていて、今回見て驚いたのは、
この作品は「ロミオ&ジュリエット」とは違って、
マリアだけが生き残るのだ、ということ・・・・。
二人手に手を取り合って一緒に天国へと旅立つ・・・という結末を、
心の中で準備して待っていたので、「え~っ!!!!」と驚きました。
この方がリアリティはありますが、恋は天国でも成就しないのですね・・・。

舞台に深く引き込まれ、本当にいい時間を過ごせてとても幸せでした。
(このような機会を設けて下さった方に心から感謝します。)

これを機会に、もっともっと生のいい舞台をたくさんたくさん見たい!!
と、心の中は燃えています。
この熱い気持ちをエネルギーに変えて、私もまた頑張ろうっと!!
ああ、踊りた~い!

下の写真を見ていると、あなたもだんだん行きたくな~る・・・
行きたくな~る・・・ 行きたくな~る・・・・・・


07.jpg


カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

mar(マル)

Author:mar(マル)
☆大切なこと
「真・善・美」な道を求めて日々成長すること。

☆好きな言葉
「世界と人生を愛すること 
苦しい時にも愛すること 
太陽の光を感謝して受け取ること 
苦しみの中でも微笑を忘れないこと」
(ヘルマン・ヘッセの言葉) 

☆好きなこと
・空が好き。
・本(古典・純文学系)が好き。
・きれいな音楽が好き。
・いい映画や、美術、旅行も好き。
・木に咲く花が好き。
・花の写真を撮ることが大好き。
・色々考えることが好き。
・文章を書くことも好き。

☆好きな本
・ヘッセ『デミアン』『春の嵐』
・リルケ『若き詩人への手紙』
・高村光太郎『智恵子抄』
・三浦綾子『道ありき』『氷点』『泥流地帯』『塩狩峠』
・倉田百三『出家とその弟子』
・ドストエフスキー『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』
・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
・サンテグジュペリ『星の王子さま』
などなど。

☆好きな映画

『初恋の来た道』『ポンヌフの恋人』『ローマの休日』『アメリ』『父と暮らせば』『ノッティングヒルの恋人』『ライフイズビューティフル』『ベティーブルー』『存在の耐えられない軽さ』『嵐が丘』『LOVERS』『汚れた血』『イングリッシュペイシェント』『エトワール』『風と共に去りぬ』など

☆好きな音楽

・グレン・グールドの弾くバッハ(特に『ゴールドベルク』)
・マドレデウス

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

フリーエリア

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



RSSフィード